みなさん
こんにちは
昨日の鎌倉
午前11時に材木座にある五所神社でお祓いを受けてから、各社毎に挨拶やらなにやらやって、出発
五所神社
しょぼいと思わせて
参道が長い
超立派な寺社仏閣のならぶ鎌倉のにしては地味
この郵便受け、現役ですか?
右手にはお稲荷様
お供えが夏
鏡餅もあります
鎌倉市のサイトによると
1908(明治41)年7月に乱橋村と材木座村が合併したとき、乱橋(みだればし)村の三島神社と八雲神社と金毘羅宮、材木座村の諏訪神社と見目(みるめ)明神の5社が併わさり、三島神社があった場所にまつられました。 そして、同年11月に五所神社と名づけられました。
本殿は材木座村の諏訪神社から社殿を移築したものでしたが、関東大震災のときに崖崩れにより倒壊したため、1931年に建て直されました。
境内もお社も小さい神社ですが、地元の人々の信仰を集め、今でも6月第2日曜日の乱材(みざい)祭りでは、3基の神輿が繰り出し、うち2基が海に入ります。
と言うことで、
この白装束の神輿は海には入りません
スマホとカメラの2体もちだと整理が大変
スマホだけならブログはラクだけど、
やっぱりカメラの方がよく撮れるので
今後はどうするかな?
こんにちは
昨日の鎌倉
午前11時に材木座にある五所神社でお祓いを受けてから、各社毎に挨拶やらなにやらやって、出発
五所神社
しょぼいと思わせて
参道が長い
超立派な寺社仏閣のならぶ鎌倉のにしては地味
この郵便受け、現役ですか?
右手にはお稲荷様
お供えが夏
鏡餅もあります
鎌倉市のサイトによると
1908(明治41)年7月に乱橋村と材木座村が合併したとき、乱橋(みだればし)村の三島神社と八雲神社と金毘羅宮、材木座村の諏訪神社と見目(みるめ)明神の5社が併わさり、三島神社があった場所にまつられました。 そして、同年11月に五所神社と名づけられました。
本殿は材木座村の諏訪神社から社殿を移築したものでしたが、関東大震災のときに崖崩れにより倒壊したため、1931年に建て直されました。
境内もお社も小さい神社ですが、地元の人々の信仰を集め、今でも6月第2日曜日の乱材(みざい)祭りでは、3基の神輿が繰り出し、うち2基が海に入ります。
と言うことで、
この白装束の神輿は海には入りません
スマホとカメラの2体もちだと整理が大変
スマホだけならブログはラクだけど、
やっぱりカメラの方がよく撮れるので
今後はどうするかな?