みなさん
こんにちは
安田楠雄邸の周辺はなんだかすごいお屋敷ばかりで
須藤邸、かなり広い邸宅です
吉野石膏の社長が代々お住まいです
この近くに須藤公園という小さな公園があります。
元は、加賀の前田家の下屋敷で、明治時代は政治家の品川弥次郎子爵邸であったものを明治22年に実業家の須藤吉左衛門が買取、昭和8年に公園部分は東京市に寄贈されました
池があり、そこには赤い橋がかかり、藤棚がありとなかなか風情のある公園ですが、ただいま工事中では入れません
残念!
かなりの坂道を下ります
公園内には階段があるもようですが、
すごい斜度です、雪の日は大変そう
公園の端っこには災害用ポンプ井戸がありました
須藤家のお隣
お茶室の様です
茶人であった山脇善五郎氏の築地の家が関東大震
災で被災したため、震災直後、ここに建てられた邸宅
山脇善五郎とは裏千家の茶人で、赤坂の女子校山脇学園とは関係ありません?
現在は茶室 睡庵 として使われています
そしてその隣の日本家屋
すごいでしょう?
2階の窓はおたふく窓
サッシに変えてません
このお宅は表札からお住いの方の苗字はわかるのですが、前述の2軒のように簡単にはわかりません
他にも
高村光太郎の実家とか、
プロレタリア文学の作家で、共産党の宮本顕治の妻、宮本百合子の旧邸宅跡の門とか
この門しか残ってませんが、この路地を入って行くと高村光太郎の実家、高村光雲の遺宅があります。
行ってないけど
一口に谷根千とか呼んじゃってるけど、千駄木はとても下町なんて呼べない区画もあるってことだな
こんにちは
安田楠雄邸の周辺はなんだかすごいお屋敷ばかりで
須藤邸、かなり広い邸宅です
吉野石膏の社長が代々お住まいです
この近くに須藤公園という小さな公園があります。
元は、加賀の前田家の下屋敷で、明治時代は政治家の品川弥次郎子爵邸であったものを明治22年に実業家の須藤吉左衛門が買取、昭和8年に公園部分は東京市に寄贈されました
池があり、そこには赤い橋がかかり、藤棚がありとなかなか風情のある公園ですが、ただいま工事中では入れません
残念!
かなりの坂道を下ります
公園内には階段があるもようですが、
すごい斜度です、雪の日は大変そう
公園の端っこには災害用ポンプ井戸がありました
須藤家のお隣
お茶室の様です
茶人であった山脇善五郎氏の築地の家が関東大震
災で被災したため、震災直後、ここに建てられた邸宅
山脇善五郎とは裏千家の茶人で、赤坂の女子校山脇学園とは関係ありません?
現在は茶室 睡庵 として使われています
そしてその隣の日本家屋
すごいでしょう?
2階の窓はおたふく窓
サッシに変えてません
このお宅は表札からお住いの方の苗字はわかるのですが、前述の2軒のように簡単にはわかりません
他にも
高村光太郎の実家とか、
プロレタリア文学の作家で、共産党の宮本顕治の妻、宮本百合子の旧邸宅跡の門とか
この門しか残ってませんが、この路地を入って行くと高村光太郎の実家、高村光雲の遺宅があります。
行ってないけど
一口に谷根千とか呼んじゃってるけど、千駄木はとても下町なんて呼べない区画もあるってことだな
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