(その1)からのつづき
「街道と往来」の視点からみると、土合村ではなく与野町がその要所となっているようです。
講座で配布された資料「明治13,14年陸軍陸地測量部発行の地図」では与野は村では
なく町となっています。
与野は中山道からの脇街道があり、日光御成街道の鳩ヶ谷宿近くの川口新井宿辺りより
さいたまの見沼、三室、木崎を通って中山道を横断し、与野町へ至る赤山街道があり、
また羽根倉橋渡船場から大久保・上峰を経由して鎌倉街道羽根倉道が与野町へ至って
おり、物流の要所であったと思われます。
ラミーユ浦和に引っ越して来て、暫らくして(15~16年前)埼京線の与野本町駅に降り、
歩いた時、町の様子が落ち着いた住宅街で、比較的年数が経っている住宅が多くあり
与野は新興住宅地ではないと感じたことがあり、何故なのかと疑問に思っていました。
それがこの講座を聞いて、かなり歴史ある町であることが分かってきました。
この様に、自分が住んでいる界隈の歴史を知るというのは愉しいものです。
<おわり> ひろちゃん