響きあうA"LIFE & ~『ピッコロの冒険』~

ピッコロの自分探し、広大な内なる意識へと冒険の旅の物語
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シェイクスピア別人説2 『フランシス.ベーコンの謎1』

2011-07-16 14:42:38 | シェークスピア別人説

あらためてフランシス.ベーコンとは

フランシス.ベーコン(1561−1626)(Francis Bacon)

イングランド近世(ルネサンス期)のキリスト教神学者、哲学者、法律家である。

父親はエリザベス1世の国璽尚書を務めたニコラス・ベーコン。母親アンはギリシャ語、ラテン語、フランス語、イタリア語に堪能な才女であり、ベーコンは、幼い頃からとびきりの教育を受けていた。12歳でケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学。その後、ロンドンのグレイ法曹院で法律を学ぶ。

23歳で国会議員となり...中略.、1605年に『学問の進歩』を出版する。1606年、45歳のときに14歳の少女と再婚!(これってよく分からない?それにベーコンは同性愛者だったとも言われているし)

1607年に法務次長になったことを皮切りに順調に栄達し、1617年に国璽尚書、翌年には大法官となる。

1621年、汚職の嫌疑を受けて失脚。4日間ではあるが、ロンドン塔に閉じ込められもした。この時代の宮廷つとめの偉い人たちは、多かれ少なかれ一度は投獄されています!

これが、ジィニアスなベーコンにしては、ちょっと残念な人生の終わり方なんですが..

隠退生活の中、鶏に雪を詰め込んで冷凍の実験を行った際に悪寒にかかり、それがもとで亡くなったと。

以上がベーコンの一般的な、ざっと経歴。

 

 

さて、シェイクスピアはフランシス.ベーコンだと主張するベーコン派は、伝統的に様々な面白い説を資料に基づいて提示しています。

最近の別人説では、ベーコンの重厚な文体とシェイクスピアの洒脱な文体は相容れないとされる傾向が強く、一般的には、別人説から逸脱しているかも..なんですが、それでも彼らベーコン派は、We love Francis Bacon! まさに、愛して止まないのです。

ここでは、別人説というより、彼にまつわる謎のいくつかをルポしてみました。

 

*まず一つ目の謎は?
フランシス.ベーコンは、エリザベス1世とレスター伯ダドリーの隠し子である。

レスター伯ロバート.ダドリーはエリザベスの幼なじみで、結婚を考えたほどの恋仲だったのは周知の事実。

しかし、周りの反対は強硬で,結果的には、1560年9月にダドリーの当時の妻が階段から転落して死亡すると、大きなスキャンダルとなり、多くの人々が女王と結婚するためにダドリーが妻の死を企てたと疑った。

ダドリーとエリザベスの共謀説が流れたため、結婚を断念。実際は乳がんを患っていたとか、自殺説とか、真相は分かっていないらしいですが。

 

エリザベス女王とレスター伯ダドリー ベーコンの本当の両親?

しかしながら、

1560年、女王がレスター伯の子を宿したという噂が立ちました。

噂を流したというかどで、実際に、何人かが投獄されています。

ベーコンが生まれたのは、まさにその翌年。

 

さて、その頃にエリザベスの妊娠してたかも?!という肖像画がこれ!

この謎に充ちた絵はハンプトンコートにあるそうです。

マタニテイドレスのクイーンエリザベス? 右下の額縁様の中に書かれているのがベーコンの、不当な運命にたいする泣き言ソネットらしいのです。実際、この絵にコメント出来る人は、関係筋でもいないらしい。これは時空をを超えた王室の秘密か

                   

 

それにこんな絵もあります。女王と愛しげな一人の子供が!

"A Queen and Her Son," a drawing attributed to NicholasHilliard (1547-1619), from the British Museum.

確かに、この肖像画はミステリアスですね。書かれた年代といい、書いた画家といい、

まして、タイトルが

"A Queen and Her Son"

由来としては、由緒正しく思えますし、どんな意味が込められていたんでしょうか?

 

それから、

ベーコン派はこのようにも..。

フランシス.ベーコンの目の色はブラウン。

しかし、ベーコンの両親の目の色は、二人ともグレイ、その子供がブラウンになることは突然変異に等しく、その確率は10万分の1以上だという。

それに対して、エリザベス1世、ダドリー共に目の色はブラウンだと。


若き日のベーコン。可愛いですね

これを描いたのも上の肖像画と同じ作者。時の宮廷画家Nicholas Hilliard (1547-1619)です。

 

 

ベーコン派は似てると言うんですけど、どうでしょう?

ベーコン(左)        噂の父親、エリザベスの恋人、レスター伯ダドリー(右)

 

もちろん、それだけではなく、誇り高く伝統あるベーコン派は、いくつかのソネットや、ベーコンの手紙などで、この説を支えています。

 

ベーコンの出生は秘密にされて、彼がそれなりの処遇をされなかったことを、悲しみ恨んだ..らしい複数のソネットを、彼がエリザベスとレスター伯の隠し子だという根拠の一つとして、ベーコン派は揚げています。

 

また、ベーコンが18歳での父親を亡くした時、充分な遺産相続を受けなかった。

遺産は彼の母親が相続し、ベーコンには、一切、情けをかけなかったとか。

母親からも冷たくされたのは、本当は女王の子だから、女王がめんどうを見るだろうと期待されたからだと。

 

なるほどね..割合と説得力あります。私もベーコンがエリザベスの隠し子なら..面白いなと思っていますが..。あり得る事じゃないでしょうか..ね?


ちなみに、通説の両親、ニコラス.ベーコンとアン.ベーコンはこれです。

よくわかりませんが^-^ まあ、似てる..?

それにしても、ベーコンが実の子だとすると、ずいぶん冷たい母親ということになりますね。父親が死んだ途端に、ベーコンは経済的に窮乏し、留学先から帰国せざるを得ないほどだったんですから!

 

 

*二つ目の謎

フランシス.ベーコンとエセックス伯ロバート.デュヴァルは実の兄弟である。

 

ベーコン派によるとエリザベス女王と象徴と暗示的な二人の子供の肖像画をあげています。

この肖像画からのベーコン派の謎解きはと言うと?

 

この二人の子供とは?

船の櫂を持っているのがベーコンを表わしている...彼はエリザベスの跡取りとして王座を約束されていたという。何故なら船の櫂は、国を治め、国を導くという象徴であると。


また、

殉教や苦難を暗示する羽根を持っているのが、エセックス伯ロバート.デュヴァルを表わしていると。

彼は女王の寵愛を受けていたにもかかわらず、謀反を起こし、最終的にロンドン塔で処刑されました。そのとき女王は涙にかきくれたということです。


エセックス伯ロバート.デュヴァル(1566−1601)とは?

初代エセックス伯ウォルター・デヴァルーとレティス・ノリス(Lettice Knollys)の子として、カンブリアに生まれた。ただし、父親はエリザベス1世の寵臣を長く務めた初代レスター伯ロバート・ダドリーだという説もある

 

母方の曾祖母メアリー・ブーリンは、ヘンリー8世の2番目の妻でエリザベス1世の母親であるアン・ブーリンの姉だった。(映画になりましたね”ブーリン家の姉妹”)

 

なるほど..少なくとも、エリザベス1世とも血縁ということになりますね。


つまり、噂のレスター伯ダドリーがエセックス伯ロバートの父親なら、エリザベスとも血縁であると同時に、ベーコンとロバートは異母兄弟ということになるんですね。

 

しかし、やはり、ベーコン派はそれでは済ませません。

エセックス伯ロバートが処刑されたロンドン塔の内部の壁にロバート.チューダーというサインが彫られているのです。調査によると、ロバート.チューダーなる人物が投獄されたという記録は無いというんですね。

これは、エセックス伯が、エリザベス1世に連なるチューダーの家系だということを、最後に世間に知らせたんじゃないかという見方が出来る..ベーコン派は、これは、れっきとした証拠じゃないかと。

 

そして、エリザベス1世のふたりの息子、長男はフランシス.ベーコン、次男がエセックス伯ロバート.デュバルは直系のチューダー兄弟だというわけです。

ベーコンも、また、自分の祖父はヘンリー8世、(つまりエリザベスの父親)と書いているそうですし、チューダー家のシンボル白薔薇を、出版物などに使っていたそうです。

 

(う~~ん、確かに生まれ育ちがふたりとも、ちょっと複雑かもしれない..。父親を早く亡くしたり...それに、たしか、ふたりの後見人はエリザベス1世の宰相、バーリー卿ウイリアム.セシルだったしね。この人は別人説の筆頭候補、オクスフォード伯の後見人でもあり、自分の娘をオクスフォードに嫁がせている。別人説に連なる人物たちにも、様々な影響を及ぼした、ウイリアム.セシルは極めて、重要な登場人物です!そうそう、また、バーリー卿はベーコンの叔父にもあたります)

 

それはそうと、

レスター伯ダドリーと結婚するとき、レティス.ノリスは妊娠中で、前夫、初代エセックス伯ウオルターとの子供が宿っていて、ダドリーとの結婚では、ロバートは彼女の連れ子となっているんですが、これがまたもや、ベーコンの時と同様に、実はレスター伯ダドリーとエリザベスとの二人目の子だったってことでしょうか?!

秘密裏に、そのようにアレンジされ、完全に隠蔽されたということでしょうか?

 

しかし、ベーコンの時に比べると、エセックス伯ロバートの誕生の時期となると、

エリザベスの年齢にいくぶん無理があるかな?なんて..私は思うんですけど..ね。


それにレスター伯が女王エリザベスをあきらめて、勝手にレテスと結婚した時、エリザベスは、カンカンに怒ったという話もありますし。

 

けれども、事実は小説より奇なり、ましてや世紀の舞台裏、超セレヴの背景や状況に於いては、このようなことぐらい、平気であり得るとも言えますよね。



さて、

*三つ目の謎とは?

これがなんとも..?なんですが、

セルバンテスの「ドン.キホーテ」はひょっとして?フランシス.ベーコンが書いた!?

 という大胆な説なんです。

ベーコン   セルバンテス

 

 

いやはや、まだまだ、あります。ベーコンの秘密!?

それは、また、

 

次の、フランシス.ベーコンの謎2へ続きます。

 

それから、謎ではないですが、ほんとはベーコンの存在として、その後の世界に一番重要な意味を持った、彼の哲学者として功績なども

 

 

突然の3月11日!未曾有の地震と津波という天災、それに加えて、原発事故という人災、あの日以来、ブログはツイッターのまとめ一色で、3ヶ月以上が経ってしまいました。

久しぶりに、中断していた記事のアップです。

 

ちなみに、この前の記事、

シィクスピア別人説1『シェイクスピアは誰か?』は、

http://blog.goo.ne.jp/ramni/e/c42499e2f5df80d829a609592f4996d3

↑ここですので、合わせてよろしく。

 

 

今後とも、よろしくお願いします。(^^)

 

       Image: Matt Collins

 

 

 

 

 

 



シェイクスピア別人説1「シェイクスピアは誰か?」

2011-03-10 23:45:11 | シェークスピア別人説

 

シェイクスピアは誰なのか?

 

これは、もはや人類文化遺産に対する、本気のミステリーかもしれません。
論議は何時果てる事なく続いているようです。

はじめは、そんな状況が...好事家のあいだのことかと受け流していましたが、ちょっと覗き込んでみると、本気モード!さもありなんという事情が伺い知れます。

確かに一般に流布しているシェイクスピアを無邪気に”それ”とするのは、どうなんだろう?
そんな気がしてきます。

 

こんな話があると知ったのは、ずっと前、フランシス.ベーコンの検索をした時の事、

アーテステックで、お茶目で 真面目な、ベーコンがシェイクスピアだと信じている 熱烈なベーコン愛好家たち,ベーコン派のサイトです。英語の上に、たくさんの部屋があるので、迷い込んでしまいます。

アカデミックでありながら、画像が素敵で、見るだけでも楽しいのでご紹介しますね。

Sir Francis Bacon's
New Advancement of Learning
http://www.sirbacon.org/toc.html

この表紙の絵の中のギャラリーhttp://www.sirbacon.org/gallery/gallery.htmlか、あちこちクリックするといろいろ出てきますし、

 

カタログなんてクリックするとTシャツとかポスターなど、CDなんて、どうやらラップらしい..!下はTシャツのプリントのひとつ。

サイトの下側に羅列したコンテンツでも出てきますが、資料も多いので、楽しい所を探してくださいね。粋なはからいが沢山ありますから。

 

 

さて、本題です。

そもそも、何故こんなやっかいなミステリーになったのか?

というのも、ストラスフォード出身のシェイクスピア氏の境遇には、これらの博学で外交通、宮廷生活でも縦横無尽、哲学にも法律にもやたらと詳しい.....歴史はお勉強出来るとしても、これほどのお話やソネットを書くには、..確かに無理がある....

それに彼自身の個人的な記録、彼自身を想像させるような記録がほとんど無く、ストラスフォードのお役所のごく事務的な結婚や子供の出生の記載とか、訴訟の記録、妻に2番目にいいベッドを残すという遺言とか、味もそっけもない事務的な記録のみなんです。

かたや、ロンドンではこの当時からシェイクスピアの出版物や劇はもちろん大人気、貴賤を問わず喝采されていた作家シェイクスピアなのに、ロンドンでの哀悼やお葬式の記録もない。狭い世界でそれぞれ知り合っていたはずなのに、ストラスフォードのシェイクスピアの噂話が残っていない。

 

私的にも(勝手なフィーリングなんですが..)この経歴から見えてくるストラスフォードのシェイクスピアは、どうも..キャラクター的にも、かっこいい破廉恥さや、俯瞰的視座を持ち得たとは感じられないんです。

 

当時、ロンドンには宮廷に出入りする貴族を含め、優れた人気作家たちが活躍していましたが、

当時の貴族には、この手のジャンルには作家として名前を出さないという不文律があったそうなんです。

それに、誰が書くにしろ、周知の種本があったり、誰かのものを、また自分流に書くなんてことは、どうやら普通のことだったらしい。

シェイクスピアは誰なのか?過去数世紀にわたって、たくさんの候補者が挙げられましたが、

現在もなお強力なのは、やはりフランシス.ベーコン(1509−1592)と、

第17代オックスフォード伯エドワード・ド・ヴィア(1550−1604)

じゃないかという意見。


ベーコン説は100年前に全盛だったらしいですが、今でも意外に根強いようです。

最近急上昇したのが17代オックスフォード伯エドワード・ド・ヴィアです。

フランシス.ベーコンは政治家で哲学者、理念的にアメリカ建国にも一躍負っていますし、その頃のニューエイジとでも言いましょうか、理想的な国『ニューアトランテス』の作家でもあります。(彼は秘密結社バラ十字の有名な党員なんですが)

真面目で偉くて立派なんですが、どうも重厚すぎる..、あのシェイクスピアの諧謔性や清濁合わせ飲んで、普遍的でありつつ痛烈な台詞まわし..とか、今ひとつ軽妙さが感じられない....。どーかなあ?みたいな気がするんです。

もちろんベーコン派には、様々な論証があって、強烈な支持者がいるんですが。ただ、今はあまりかくれシェイクスピアの候補としてはフェイドアウト気味のようです。

それにくらべて、第7代オックスフォード伯というのは、性格や身分、境遇のプロセスがぴったりな感じがするんです。

彼は幼い頃から、エリザベス女王側近の博学の後見人を親代わり、かつ家庭教師として育ち、若い頃から女王の寵愛を受け、宮内劇団もまかされたり、自分でも劇団を持ち、脚本も書く、劇作家たちのパトロンでもある..、才気煥発、伊達者で気性激しく、決闘などおちゃのこだし、優れた劇作家たちも、彼の才能、文才の素晴らしさに嫉妬を超えて感嘆せざるをえないというほどのバリバリ。

彼の人生は、その気性ゆえに、一筋縄ではいかず、波瀾万丈、ハムレットやロミオとジュリエットを暗示させる経験も味わっている..。等々..

 

シェイクスピア・ミステリー [単行本] ジョーゼフ ソブラン (著), Joseph Sobran

, 小田島 恒志 (翻訳), 小田島 則子 (翻訳)

先頃、読んだ本『シェイクスピア.ミステリー』でオックスフォード伯のキャラクターや人生を知ったんですが...作者ジョーゼフ.ソブランは前半で過去のたくさんの候補者のひとつひとつの説を検証し、その上で否定して、後半で、オックスフォードが、なぜ有力な候補か、その人となりや人生をよく調べ、これが真なんじゃないかと述べているんですが。(最近では、このオックスフォード説が、俄然人気らしい)

 

このオックスフォード伯!

これで、なにかピーンときちゃった私は、このミステリーがあらためて面白くなったのでした。

そして、エリザベス1世やその側近の人々、その繋がりや系譜とか、気になってやたらに気持ちが忙しくなっているのであります。

 

あらためて映画のエリザベスものはもちろん、
アカデミー賞の『王様のスピーチ』なども、より面白く見れそう♪

 

さまざまな推論の経緯については、一冊の本よりもまとまっているこのウィキサイトがありますよ。
シェイクスピア
 http://ja.wikipedia.org/wiki/シェイクスピア別人説

 

 

次回は”フランシス.ベーコン自身の謎”についてのお話しです。

 

   

       Image: Matt Collins

 

 



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