『
『アラビアン.ナイト』は、千夜一夜物語とうたわれてるほどに数々のお話が綴られていて、それは、娯楽という期待、を裏切らない、出来映えの見事な物語集の集大成です。(アラビア語原題はアルフ.ライラ.ワ.ライラ)
誰でも、子供の頃に「シンドバットの冒険」と「アリババと40人の盗賊」は、なんらかの形で親しんだものです。ディズニー映画もありますしね。
でも、シェヘラザードが夫のペルシャ王シャハリヤールに夜ごと語るお話のほとんどは、子供向けではありませんが...。
(それに上の二話は、本来のアラビアン.ナイト全集の中には入っていないらしんですが、平凡社の東洋文庫のアラビアンナイト全訳には別巻として最後の19巻に配されています。)
前妻に裏切られ,傷ついた王は、、すっかり女性不信に落ち入りまして、毎日、新たに妻を娶っては、一夜を共にしたら、その新妻を殺すという決めごとをします。女性に対する復讐ですね。
かわいそう新妻が次々に犠牲になる。
そこで、それを阻止しようと,大臣の娘シェヘラザードが、自ら、名乗り出て、妃になるんですね。
殺されない為には,毎夜、面白い話を語って、そして、続きはまた明晩..ってことで...、
王は物語の先を知りたい一心で..それではと....夜を重ねて一夜のお伽の物語を千夜へとつなげ..そして命をつなげ....,
最後は、もちろん、王は彼女の賢さに感服し、その決めごとを撤回して、めでたしめでたしのカップルと相成るのでした。
これが一番外の枠物語の骨子となって、それぞれの物語が語られていくわけです。
あちらの(ペルシャやアラブ、それにインド)お話は、構成が入れ子式になっていて(枠物語と言うらしいんですが)ひとつの、ストーリーの登場人物たちが、それぞれに別の物語を語る..、ものによっては、またそこから派生して別の物語が入っていたりするんです。
ひとつの外枠の物語が、その中の小さな物語をたくさん含んでいて、一つのタイトルで、一冊をほとんどを占めている巻もあります。
それがまた、どのお話も勝るるに劣らない面白さで、見事な展開で読み手を引きつけて,ストーリー構成の、展開の巧みさに、感心します。さすがに語り継がれた、千夜一夜!のお伽話。
粒ぞろいに面白いんですね。
語り部文化ならではの、物語を楽しませる為の、娯楽性に対する、熟成された完璧主義みたなものを感じます。
印刷本も,映画もテレビも無い時代、”物語る”というのは、ほんとうに人々の楽しみだったんだなあと....
それゆえに、語り部の力量というのも、名人クラスになったら、王侯貴族からご祝儀などもはずまれたんでしょうね!..なんて想像するんです。町の庶民も、きっと拍手喝采で、楽しみにしていたんでしょうね。
お話の出来もさることながら、イスラム、ペルシャ界隈の、たとえば、ダマスカス,バクダッド、カイロなど..にぎわいの聞こえそうな、また、それぞれの町の個性豊かな素晴らしさ、王侯貴族や庶民の生活ぶりなどから、いかにも薫り高いイスラム文化の成熟度がしのばれるのです。
そのあたりも楽しめる千夜一夜物語なのです。
全集翻訳本は、もちろん、読んでこそ、千夜一夜の物語を味わい楽しめる訳ですが、
なんといっても、エドモンド.デュラックをはじめとして、20世紀初頭の、達者な挿絵画家が手がけたアラビアンナイトの魅力的な絵本は、大人も子供も読めて,特に、デュラックの美しい挿絵は、シェヘラザードの毎夜の語りのように、アラビアの奇想天外なお伽噺の世界に見るものを誘ってくれますね。
つづく~
『アラビアン.ナイト』は、千夜一夜物語とうたわれてるほどに数々のお話が綴られていて、それは、娯楽という期待、を裏切らない、出来映えの見事な物語集の集大成です。(アラビア語原題はアルフ.ライラ.ワ.ライラ)
誰でも、子供の頃に「シンドバットの冒険」と「アリババと40人の盗賊」は、なんらかの形で親しんだものです。ディズニー映画もありますしね。
でも、シェヘラザードが夫のペルシャ王シャハリヤールに夜ごと語るお話のほとんどは、子供向けではありませんが...。
(それに上の二話は、本来のアラビアン.ナイト全集の中には入っていないらしんですが、平凡社の東洋文庫のアラビアンナイト全訳には別巻として最後の19巻に配されています。)
前妻に裏切られ,傷ついた王は、、すっかり女性不信に落ち入りまして、毎日、新たに妻を娶っては、一夜を共にしたら、その新妻を殺すという決めごとをします。女性に対する復讐ですね。
かわいそう新妻が次々に犠牲になる。
そこで、それを阻止しようと,大臣の娘シェヘラザードが、自ら、名乗り出て、妃になるんですね。
殺されない為には,毎夜、面白い話を語って、そして、続きはまた明晩..ってことで...、
王は物語の先を知りたい一心で..それではと....夜を重ねて一夜のお伽の物語を千夜へとつなげ..そして命をつなげ....,
最後は、もちろん、王は彼女の賢さに感服し、その決めごとを撤回して、めでたしめでたしのカップルと相成るのでした。
これが一番外の枠物語の骨子となって、それぞれの物語が語られていくわけです。
あちらの(ペルシャやアラブ、それにインド)お話は、構成が入れ子式になっていて(枠物語と言うらしいんですが)ひとつの、ストーリーの登場人物たちが、それぞれに別の物語を語る..、ものによっては、またそこから派生して別の物語が入っていたりするんです。
ひとつの外枠の物語が、その中の小さな物語をたくさん含んでいて、一つのタイトルで、一冊をほとんどを占めている巻もあります。
それがまた、どのお話も勝るるに劣らない面白さで、見事な展開で読み手を引きつけて,ストーリー構成の、展開の巧みさに、感心します。さすがに語り継がれた、千夜一夜!のお伽話。
粒ぞろいに面白いんですね。
語り部文化ならではの、物語を楽しませる為の、娯楽性に対する、熟成された完璧主義みたなものを感じます。
印刷本も,映画もテレビも無い時代、”物語る”というのは、ほんとうに人々の楽しみだったんだなあと....
それゆえに、語り部の力量というのも、名人クラスになったら、王侯貴族からご祝儀などもはずまれたんでしょうね!..なんて想像するんです。町の庶民も、きっと拍手喝采で、楽しみにしていたんでしょうね。
お話の出来もさることながら、イスラム、ペルシャ界隈の、たとえば、ダマスカス,バクダッド、カイロなど..にぎわいの聞こえそうな、また、それぞれの町の個性豊かな素晴らしさ、王侯貴族や庶民の生活ぶりなどから、いかにも薫り高いイスラム文化の成熟度がしのばれるのです。
そのあたりも楽しめる千夜一夜物語なのです。
全集翻訳本は、もちろん、読んでこそ、千夜一夜の物語を味わい楽しめる訳ですが、
なんといっても、エドモンド.デュラックをはじめとして、20世紀初頭の、達者な挿絵画家が手がけたアラビアンナイトの魅力的な絵本は、大人も子供も読めて,特に、デュラックの美しい挿絵は、シェヘラザードの毎夜の語りのように、アラビアの奇想天外なお伽噺の世界に見るものを誘ってくれますね。
つづく~