響きあうA"LIFE & ~『ピッコロの冒険』~

ピッコロの自分探し、広大な内なる意識へと冒険の旅の物語
&つれづれの内なる対話、 A"LIFE&ONENESS

ワンネス 麗しき如は来るかな...

2010-08-24 16:22:59 | スピルチュアル 
この美しいイメージはウェブのshetter stockさんから拝借しました





あるとき感じたことがあります

如とは...
ありのままのこと


気づきが起きて.....

さまざまな自分に対する思い込みや、潜在的に、また意識的に選択していた観念体系が
はらりと落ちたとき

ありのままの自分が
立ち顕われる


それまでに心にまとっていたペルソナという衣が
はらりと脱げたとき


ありのまま、すなわち如が来たということなんだなって

それが如来ったことなんだなって


如来の心は

すべてのこころと
ひとつのところ

つまりワンネス

”私は在る”


在るという意識..
それは万物がよってたつところ

私は在る..と

草も木もからすも犬も

そしてひとつの細胞も、
物質の分子も

あなたもわたしも

私は在る...


その意識は繋がった、まったきひとつの意識

ゆえに

”ワンネス”
すべてはひとつ


”私は在る”というところの....”私”という意識なんだと














響き

2010-07-19 01:51:49 | スピルチュアル 
         

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 響きあう



A"LIFE &ONNESS






つれづれプラクテス2

2010-07-18 17:14:47 | スピルチュアル 

困ったものだね...かといって?これって試練
ずれて立脚するエゴという性質は、よく理解している。だからこそ、自らの中の、埋没している無意識的観念(隠された思い込み)を見いだして、より透明かつ透徹さとして言語化され、それなりに構築されて来たのだが....なんだかこの世的な有り様を、あらためて学んでいるようではある。

一般的な関係性の中での愛を立脚点にしたとき.....それは見事なまでの図柄の違いになるのかもしれない。それはクリアな透明感とは全く違うものだね。
信仰という道を共有しているか、修行者という認識の中にいるかしないかぎり、自らを高める方向を向いている訳ではないのだ。

自己を前提としている、つまり自我以外に、自己イメージを知らない場合、それがまさしく疑いようもなく、世界を見ていると思い込んでいる場合、俯瞰の目をもって、眺めている存在は....果たして...その愛は、どういう作用をするのだろうか?

つまり、より良くなるようにという意思よりも、そのまま、ありのまま受け入れることか?

建設的ではないという方向は、はたして宇宙に適合するのか?

いや、建設的であろうと破壊的であろうと、それは変容の要素として宇宙的調和的であるとは言える。俯瞰的に見れば、建設も破壊も、調和のためにあるからだ。だが、とどまるということ、つまり、変容しない、変化しないということは、どうなのだろう?変えないという意思は不調和だろうと思われる。

思うに、自我を固持することを選択するという意思って、なんとも不思議だが、まさしく、それは自我という慣性の法則に捕らわれているわけで、自己の本質を見いだせないという...やはり、どうかな?とは思うが、果たしてまさに、選択は自由だ...と思い遣りやる。

そしてその魂の指向性、かつ嗜好性ってものによって、幸福感、充実感、安心感があったり..?ある意味では....それって?...よく分からないが、欲が少ないってことだろうか?つまり、学びによって、より精神的に自らを満たそうという野心が芽生えないんだから。けど、明らかに無明なんだろうとしか.....、やっぱりそうとしか結論はでないみたいだ。

なぜなら、自己はあきらかに自我より大きいからだ。
明らかに、自分と思っている自分より、本来の自己は偉大だからだ。
自我は偉大な自己の能力のひとつ創造性の賜物、思いの中で創られた、投影なのだから。

慈愛は、あまねくあるのだが、なぜなら、変容を許さないという、自我の反応は、体験知によって、よくよく理解出来るから...。

それにしても、なんとももどかしく、忍耐を強いられるものではある。


そこで思い出す。つまり仏性にのみフォーカスせよ
 
  ひたすら、そのように....
  
             そのように...




つれづれプラクテス1

2010-07-18 17:07:08 | スピルチュアル 

>
Copyright(C) S.Takeda


なんとも、どうしようもないよね.....というのは、あまりにも不慣れな感情をぶつけられたりして...ジレンマに陥ってる心模様のことなんだけ.......
それに対するお答えって..?
                   はい、どうぞ!



ちなみにというのは....
自分の根っこの感情に正直であるってこと、

自分をいたわり、感じているように受け止めてあげることなんだよ。

そこを尊重してあげれば、人の思いも察知したり尊重できたりするだろう?

いずれにしても、自分の根底の密やかな感情を読み取り、それに素直で、かつ全体として、調和的であることへのそれぞれの学びってことなんだ。

自他の境界線を、融合して、調和的関係性の創造のためなんだね。
だってそれが目的じゃないのか?
それが自分を愛するってことにもなるんだ。


そんなことのために努力(プラクテス)があって.... そうだね..    
ジレンマを超えて...
..
...   
努力そのものが愛なんだね。










ピッコロの冒険13 インナースペース大広間にて

2008-05-10 13:14:44 | スピルチュアル 
インナースペース 大広間にて


私は自分が神だと知っている

そして、それがすべてと一つのところだと知っている。

しかし、また私は迷える子羊でもある事を知っている。

そう、誰かと同じように...。

私の中には、そのふたつの層とその間に様々な意識体が錯綜しているんだ。

それが今のところの私というもの。

このインナースペースの大広間で彼等は始終、陣取り合戦をしているってわけなん

だ。

その中で、ピッコロはけなげにも、真実を知りたい自分とは何なのだろうと、模

索しつづけてインナースペースをあれこれ探っている可愛いやつなんだ。


ピッコロは年をとらないん存在なんだ。生まれた時から既に賢く、周りの事をよく

見ていた。年月を経てもこのピッコロはずっとそのままの若さを保っている。そし

て、あくなき向上心を持ち、未知への冒険が大好き。多少の危険あろうとも、新た

な道に分け入る方を選ぶんだ。おかげで私の人生はいつもわくわく、波瀾つづきっ

てわけなんだ。

彼の役割というのは、迷える子羊の私と、神であると知っている私を、しっかりつ

なげる事。そして、この人生にそれを反映させることなんだ。


私は神だったりもするわけだから、もちろん私の中に知恵者もいる、それに少々わ

け知り顔のハイアーセルフと呼ばれたりするピッコロの兄貴分で、彼を導く存在も

いる。

ピッコロは、私が一番親しんでいる存在だ。心の中の未知なる分野へ踏み込んで、

自己と宇宙の謎にあくなき探究の道を行く、それが私の生来の性質だからだ。


そして.誰であれ、遅かれ早かれ、いずれはピッコロと同じように、その門をくぐる

という選択をせまられる時が来るんだから...。

今いるところから、ほんの半歩踏み出したら、あなたはもうその門の中、インナー

スペースのこの会話に参加しているんじゃないだろうか...。








ramni わくわくワールド<本.アート.冒険者たち>

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