光明皇后は阿修羅たちをどうして作ったのか?
奈良国立博物館は日本の仏教美術研究の殿堂で、阿修羅像を生み出す設計図となったものが保管されています。
それが、国宝「金光明最勝王経」です。
1300年前に遣唐使によってもたらされた最新の経典で、それまでのものとは大きく異なる教えを説いています。
光明皇后がその教えをとりわけ大切にしたといわれる経典です。
僧侶で仏教学者の佐伯俊源さんにお話しをしていただきました。
護国(ごこく)・・・国を護る
国王が仏教に帰依して、この経典を深く保ち受け、読んだり大事にするんであれば、その仏教の功徳によって国土を護ってくださる。
〝その仏教の功徳で国を護る〟
そういった思想が護国思想で、全編を通じて色濃く出ているのが、このお経である。
この経典を光明皇后が大事にしていたのには、更なる理由があり、それにはある説話が深く関わっています。
お釈迦様を中心とする一つの世界を描いたものではないか?という説が近年一般化しつつある。
このお経に登場する説話こそ、阿修羅誕生のきっかけになったのです。
ある日の夕方、釈迦が瞑想していると弟子たちが集まってきた。
さらに、阿修羅をはじめとした仏教を守る神たちも現れた。
次々に釈迦のもとに集まり耳を傾ける。
すると、釈迦は立ち上がり、
「過去にどんな重い罪を犯そうが、それを反省して懺悔(さんげ)すれば救われる」
と説いたのだ。
この説話の阿修羅は、荒ぶる神ではありません。
懺悔(ざんげ)。
仏教では懺悔(さんげ)を説く釈迦の話に聞き入る神の一人。
仏の前で自分の過去の罪を悔いて告白する懺悔(さんげ)。
光明皇后はこの説話を仏像によって表現しようとしたのです。
その懺悔(さんげ)によって、罪が許されて、ある意味、幸福を呼び込むことも可能になってくるというのが、金光明典の一つの主題である。
光明皇后は、この「金光明最勝王経」を国の教えの中心に据えました。
734年、皇后は母親の一周忌に合わせ、阿修羅をはじめとしたお経に登場する者たちを仏像として作らせました。
お堂に立ち並ぶ仏像群のなぞ、それは懺悔(さんげ)の物語をジオラマさながらに表現したものだったのです。