大捏造メディアA日新聞を糾す!Part3
戦前の話なんですけどね、亡くなった山〇夏彦さんは家で新聞を読んだら親に怒られたらしいですね。それはなぜかと言ったら、新聞みたいなものは嘘を書くんだと。だから、子どもが新聞なんか、真偽の判断がない子どもが新聞みたいなものを読むもんじゃないんです、ということを言うんですよ。
山〇夏彦さんもよく紹介してたんですけども、戦前、新聞記者のことを何と言ってたかというと〝羽織ごろ〟と言ってたんです。〝羽織ごろ〟は〝ごろつき〟のこと。
普通の〝ごろつき〟は羽織着てないんですけど、新聞記者は羽織を着た〝ごろつき〟だと。だから、家に娘がいても羽織ごろにだけは嫁にやってはダメなんだというね。
ここで一般の国民の新聞に対する意識と彼らの報道に対する意識といいますかね、非常に大きなズレがあるんですよ。
で、一般の国民我々は、新聞は真実を書く責任がある、そういう報道姿勢といいますか真実を報道する使命、責任があるんだと思ってるでしょ?彼らにそんな使命感、まったくないんですよコレ。驚くことに、ここに大きなズレがあるんですよ。
稲〇朋美さんの著書「百人斬り裁判から南京へ」、稲〇さんが裁判した中で、驚くべき開き直りがあったんですよ。
T京日日新聞(今のM日新聞)で百人斬りをずーっと報道してたんですね。彼らは裁判の中で何を開き直ったかというと、裁判になったのはM日新聞が訴えられたんですけども、M日新聞はですね「新聞は真実を報道する法的な義務はない」と裁判で言ったんですよコレ。
南京の事件のとき、A日新聞のH記者は他の裁判ですが「私はC国側の言うのをそのまま代弁しただけ」と言ったんです。新聞社ってこんな意識なんですよ。
ところが、国民はですね、新聞は真実を報道する義務があるとか、或いはまた、新聞の記事に信頼性を置くべきだと思ってるんですけど、書いている新聞社はこんな程度なんですよ。ここの意識のズレと言うものをですね、我々はちょっと認識しといた方がいいですよ。
だから、あいつら書いてる連中みんな〝羽織ごろ〟なんですよ。羽織着たごろつき、そんな程度。
戦前の一般国民の方が、新聞というのはそんな程度なもんなんだという健全な認識を持ってたんですよ。戦後がこの書いてるものだったら何でも信用してしまうんです。
―M氏―
「羽織ごろ」も、今じゃ「一流面」して威張っていますね。
( ´艸`)