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「ヤッホー」は、「日帝残滓」だから、山の上で叫ぶのを止めましょう。
南鮮、大邱市の山の標識、注意文。
「ヤッホー」は、もともと、日本の言葉、風習ではありません。
「ヤッホー」の由来は、ドイツ語だという説もあります。
そこで、自分なりに、ヤッホーの由来を想像してみました。
明治時代以後の文明開化、富国強兵時代に、たくさんのヨーロッパ人の御用学者や技術者が日本へやってきて、いろんな、欧米の文化を伝え、また、欧米にない日本の文化や風習に魅力を感じて欧米へ伝えました。
それまで、江戸時代の日本人は、趣味で山へ上ることはしませんでした。霊峰富士、というくらい、富士山は浅間神社のご神体です。山を神として、畏れ、崇拝、ご神体とするのが、日本人の心情です。
修験者とか、僧侶とか、そういう宗教者が修行のために上るとか、祈願、請願をかけて山へ入るなど、 山は人里とは縁のない、魔物の住む異界であり、同時に、神聖なる神の宿るご神体そのものでした。したがって、物見遊山や体育訓練とか、そういう、一種のレジャーとしての登山は、明治以降に、来日した外国人によってもたらされた西洋の風習でした。
おそらく、その中で、山の上で「ヤホー」と、叫んだ西洋人がおり、それを、同行した日本人登山者が見習い、一種の新しい流行として、定着していったものと、想像されます。明治時代以後、西洋人の提唱した日本アルピニズムの呼びかけに、賛同したのは、先進の気風に満ちた学生たちで、帝大生や慶応、早稲田などの経済的にゆとりのある学生たちが、共感して、山へ登り始めました。最近まで、山岳登山は、こういう、大學登山部のリードする時代が続いていました。
朝鮮半島への登山の風習、ハイキング、山岳レジャーは、日本が伝えたものです。
朝鮮半島へは、朝鮮合併後に、日本文化が伝わり、朝鮮半島の登山も、日本人がレジャーとして行ったものが、いまだに、残って南鮮人の多くが趣味とする登山になっているのでしょう。
いま、南鮮人に、趣味は?と聞くと、3人に1人、あるいは、それ以上が、「登山」と、答えます。
しかし、この、登山の風習は、これまで、解説してきたように、日本が伝えたものです。その意味では、「ヤッホー」を日帝残滓と言うならば、それよりも、「登山」「ハイキング」こそが、「日帝残滓」の最たるものなので、まずは、登山を止めなければ、いけませんね。そうなると、自然にヤッホーなんか、なくなります。
◎結論◎
「ヤッホー」を日帝残滓というならば、「登山」こそが、日帝残滓。「登山」「ハイキング」を全面禁止にしろ。
日帝残滓の登山を禁止シないで、ヤッホーを日帝残滓だとあげつらう朝鮮人。
お粗末な発想、ご都合主義のバカらしさが、際立ってます。
日本のことわざ、「頭かくして尻隠さず」。そのものです。哀号!
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