南鮮とは、「価値観を共有しない」
(安倍総理)発言。
昨日、11月30日の朝のNHK。
衆議院予算員会の中継をしていた。
9時半ころ、自民との河村議員の質問での答弁の最後の部分。
たぶん、河村議員が拉致問題と南鮮関係について質問したのだろうと、思う。
私が見たのは、拉致問題についての答弁の途中から。
最後に、南鮮についても、安倍総理が見解を述べた。
その答弁で、凄いことがあった。
凄いと言うか、当然というか。
いつもは、南鮮国家について、お決まりの文句を言うのだが、一言、敢えてすっ飛ばした。
その文言は、「我が国と価値観を共有する重要な隣国」という定冠詞(フレーズ)だ。
安倍総理が、うっかり、忘れるはずがない。
安倍総理は「我が国と価値観を共有する」という、この文言をあえて落とした。
そう私は、判断した。
また、恨日国是のとんでもない地上最低の狂態国家である南鮮なんぞ、我が国の「重要な隣国」であるはずがない。
「重要な隣国」などという、実態と乖離した無意味な美辞麗句、追従は、この際、切り捨てるのがいい。
つまり、「南鮮は、我が国と価値観を共有しない、どうでもいい国だ」。
これが、安倍総理の本音、日本人の常識だと、言えるだろう。
私も、常々、この文言は不要だ、南鮮と日本とは価値観を共有なんかしていないと、主張していた。
その通りになったので、安倍総理も、ようやく、それを言うべきでないという理解になったのだなと、納得した。
南鮮については、「重要な隣国」「戦略をともにする」というような2つのことは、たしかに、述べたが、従来のような、「価値観を共有する」の言葉は、なかった。
これまでは、たしか、「韓国は我が国と価値観を共有する重要な隣国であり」「日米韓の戦略を担う重要な役割を果たしている」などと、決まり文句を言うのが常だった用に、思う。記憶だけなので、正確な文言は、違うかと思うが、だいたい、そういう事を言っていた。
だが、最低でも、「価値観は共有」していないので、この文言を外す。
これでいいと、思いますね。
できれば、「重要な」も、「戦略を共にする」などという、すべての定冠詞を外して、単に「南鮮については」で、いいのではないか。
特定の外国を言う時、アメリカについても、シナについても、北朝鮮人についても、まったく何の定冠詞(決まり文句))は、言わないのだから、南鮮にだけ、とってつけた定冠詞を言うのはおかしいし、必要ない。
安倍総理の、南鮮放置プレイも、だんだん、仕上げの段階に入ってきたようだ。
広島SMクラブの宮沢通産大臣も入閣した。
パックネの、南鮮道連れの恨日自爆妄言の数々は、南鮮の自縄自縛による亡国地獄への墜落劇、そのものである。助けてはいけない。パックネ自ら選んだ恨日地獄のけもの道だ。日本としては、お情けでかけてやっていた南鮮の命綱を一本、また、一本と、切り捨てて、南鮮のお仕置き放置プレイに徹していけば、よい。
忘恩在日への、これまでの異常な温情措置も、根本から断ち切る算段は、すでに、終了して、実行段階に入っている。
ウオン高による南鮮の経済破綻、サムスン破産、シナ属国突入による共倒れ、などなど、パックネの行く手には、極寒地獄が待っている。
北朝鮮にさえも、見放され、パックネ南鮮が、寒さに、凍え死んでも、自己責任である。セウォル号事件の断末魔の怨霊が、南鮮を国家もろとも深い海の底へと引きずり込もうとしている。
日本の恩を忘れた「忘恩国家・南鮮」。
日本とまったく「価値観を共有しない」前代未聞の「罰当たり国家・南鮮」。
朝鮮人は、北朝鮮もろとも、恨日亡国の恐ろしさを知るがいい。
今朝の衆議院予算員会の安倍総理の発言で、「価値観を共有する」の、命綱が、一本見事に切られる現場を目撃した。
すでに、切られているのかもしれないが、私が目撃したのは、今日が初めてだった。
言葉というのは、抽象的なものだが、人間の吐く言葉は、力を持っている。
言葉一つで、国家が滅亡することさえある。
パックネが、これまで吐き続けた数多くの恨日妄言メッセージが、いま、ブーメランとなって、自業自得となって、パックネへ突き刺さり始めているのだ。
爽やかな秋晴れの朝だ。
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