
遥、遠くから連れてこられた妻メディアを裏切り、新たに現在住む土地の領主の娘と結婚しようとする。言うまでもなく、嫉妬が生まれ、やがて憎しみとなり花嫁、花嫁の父、挙句、我が子まで殺してしまう、メディア。どんな理由があろうと許されない罪を犯すことで、嫉妬、憎しみを我が罪として背負っていくのであろうか?メディアはこの先、憤怒の河から懺悔の河に船を乗り換えるのだろうか?
人は裏切りに対して憎しみで我が心が充満した時に裏切った者と同じだけのありとあらゆる自分の罪を思いうかべるだろう。そこで相手を越えるか越えないか即ち、自分を越えるか、でその人のその後が別れる。
メディアの場合、夫への執着が生き延びる力だった故、我が罪は越えることのできなかった愛憎劇の終着駅であったようです。