Aari刺繍研究所

ビーズ刺繍とアリワークの教室と作品紹介

アリワーク教室便り・・7月生募集

2012-05-30 23:19:24 | ビーズ教室便り

Ray.collectionビーズ刺繍工房のアトリエでの教室では、ビーズ刺繍の先にはアリワークという特殊技法の創作があ

ります。木枠に生地を張ってかぎ針のような針でビーズやスパングルを留めつけていきます。

衣装などの刺繍はこのアリワークを使用することも多く、洗濯やハードな使い方にも耐えられる丈夫さも兼ね備えた技法です。

まずはSte1です。Step1の全体的なイメージはエジプト、トルコ、そんな中東のイメージで創っていきます。そして一つ一つ、これらの刺繍を

服に付けるのか、額に入れるのか、ブローチにするか等、創造しながら技術を身につけて行きましょう。

技法2・・・チェーンステッチ

技法3・・・ビーズ連続刺しと応用

技法4・・・スパングル刺し方

技法5・・・ビーズを立てる

モチーフ創り・・・技法をとりいれて作品を創ります

7月生を募集しています。

アリワークの前には刺繍初級の15技法を学んでいただきます。

その後アリワークに進んでいただくことになります。

気になるな~くらいの方でもどうぞ御遠慮なく作家までお問い合わせください。

石川玲・・・090-9330-9541


革との融合、隙間を埋める物シリーズ

2012-05-27 07:56:20 | ビーズアート
ご存知ですか?加工してある物は革、加工してない物は皮と書きます。
なめす前は原皮というでしょ?バッグになると革製品というでしょ?
貴女の皮膚は皮ですか?革ですか?
 
時間ができたので、やりたかった、この革との融合でオーダーやもう一歩踏み込んで物を創りたいと思った。
平面的な物から少し奥行きを意識して。
 
このシリーズのテーマは
「隙間を埋める物」です。・・・・・・・隙間を埋めながら何もない虚の部分に気づくための私にとって気づきのモチーフ。
昨日ビーズを刺しながら少しわけのわからない所に行きつく。目に入るもの感じる物は平面的な隙間だろう。この白い革の方はぱらっと革ひもを置いてみるとその革ひもで隠れた辺りにも隙間があったりする。               
 
立体の隙間・・・・・。平面の何があるんだろうという疑問を目に入るもので
解決してしまうものより、立体的に何があるんだろう、う~~~ん、見たい見えな
いに面白さが生まれないだろうかと・・。
そこに違和感や魅力が生まれるのかもしれない。興味が湧くのかもしれないと。こうして、このシリーズに没頭していくのでした。
 
 
 朝起きてみると、やっぱりいいわぁこの感じ!!でもまず、家事、シーツの洗濯等
々、日々を片付けて・・・。あーー、早く手を動かししたいけれど、仕方ないので
食器洗いしながら頭の中は突飛な妄想と発想でぐるぐるぐるぐるめまい

ストール手縫い編

2012-05-25 06:46:48 | ビーズアート

 

昨日6時間かけて1m40cm四方の縁を手縫いする。ご存知ですか?ブランドのスカーフ、表向きに折ってあるものと

裏向きに折ってあるものと、あるんです。今回はよくある表向きに折りました。親指と人刺し指で生地をより、まつっていく。

フェラガモのストールを参考に。そうか、高級品はやっぱり手縫いに行くのね。

そんなことやこの10日間で起こった出来事に失敗や、反省や怒りや、情けなさやありがたさや色々な思いがこの針を動かす事により発散していった。私が心がけていること・・物事が進む時にも人間が成功するのではなく、その物事が成功するために人々が力を貸しているのですと考えてきた。だから、失敗したり身を引く時にも物事の波が引くように、すっとフェイドアウトすると考える事にした。残された人間はいつまでもその波を、出来事を見送っていたら、淋しくもなり、孤独感にいたたまれなくなる。
そのまま行くと閉塞感とも言える感情でいっぱいになるだろう。

手縫いが終わる頃には何も残っていない現実の世界に戻っていく。気持がすっきりして、お詫びをするべきバッグアーティストに謝罪の電話をした。反対に「元気出してください」と励まされ、コラボしようという前向きな方向に。

またあるカフェギャラリーで教室をする作家募集があり、来週訪ねてみる事に。

暫くは修行の旅にでよう。

手縫いは時間が掛る、だからその間色々な事を考え終わる頃に達成感と共に、気持ちを乗せて波が引く。手縫いの優しさってこういうことかな?ミシンでダダダダっと縫うのとは違う魅力が・・・・・・。

今度は手作りでこれに合う刺繍をしなくっちゃ!


臨床美術体験気

2012-05-18 12:32:59 | ビーズアート

臨床美術体験をしました。

クレヨンで自分の手の趣くままに絵を描く。

フワッとした絵が出来上がり、気に入ったので額へ入れました。

気に入ったのでプリントしてみようかなと思います。

自分では黒でアクセントを描いたつもり、先生も他の体験者も私が黒のパステルを使っていたのを見ていましたが、それでも出来上がると黒が消えていた。

不思議ですね。

上手いも下手もないし、正解も不正解もない抽象画。自分の精神の表現として体験しました。

先生、他の体験者にとてもエネルギーを感じ生きている絵だと褒められた。

暖かさを感じると・・・。褒められてちょっと嬉しい一日でした。

2012年臨床美術体験の巻き、

余談ですが、先生はお酒がお好きな若い女性。いつか酒を酌み交わしましょうと

何かの縁を感じるのでした。

ありがとうございました。


凹と凸

2012-05-15 19:47:53 | ビーズアート

天と地が生まれて
物に名がついたわけだが、
名とは
物の表っ面にただ張りついているだけなんだ。

美しいと汚いは、
別々にあるんじゃない。
美しいものは、
汚いものがあるから
美しいと呼ばれるんだ。

善悪だってそうさ。
善は、
悪があるから、善と呼ばれる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
By  老子

今、丁度、凹と凸という作品を創り始めています。

凹があるから凸がある。
凸があるから凹がある。

凹みがあるから出っ張りを感じるし、出っ張りがあるから凹みを確認するのだろう。
自分を生かしているのは正反対の他人。

正反対に感謝してねという気持ち・・・が生まれてきた。。

凹と凸。ポジとネガ、

正反対のものを創造してみたらどうだろう。あっ!て気が付く時がくるよ。


万華鏡製作

2012-05-15 09:09:43 | 考えること

万華鏡を創りました。

        

次回のグループ展に向けての準備です。モスク、イスラム教、布、出土ビーズ、現在私のテーマであるトルコ方面の中東方面の製作の材料をそろえています。

モスクは何故あのような柄になったのか、何故あのような建築になったのか、
その時代の材料、技巧、まだまだ調べています。

調べていく時に思いは強くなり、止まることが無くなるだろう。

この万華鏡はオイルにガラス片を入れた物、これはその変化する一瞬を写真に撮りました。

この一瞬の綺麗に心ひかれています。


私流親孝行かな?・・今できる事

2012-05-03 08:47:40 | 考えること

最近気付いたこと、いえ、変わった事があります。先日息子が海外へ行っていた、2週間・・一人だけの為自分のペースだけで日々を過ごす事ができました。

 個展の後で忙しかったせいもありますが、意外や意外、スペシャルな何々がしたいとか、特別何かが欲しいとか、そんなことがなくなっていた。毎朝、まったく同じ時刻5時13分にパッと目が明き、少しの間、ベッドの中で
ぼーっと、そして起きる、2時間仕事をする。それから朝ごはん、家事をする。その繰り返し、淡々と繰り返す。  例えば朝ごはん、一枚のトーストと野菜スープとヨーグルトとサラダ、それを2食続ける事もあったけれど嫌ではない、同じものを同じ時間にできることが口にすることがなんだか心地よい。

変わったなぁ~私・・・・・、いい事か悪いことあ分からないけれど年をとると言う事はこういう事なのかと実感。

 一昨日実家に行き、同じ話をした、その同じ事が出来ると言う事に感謝よね。・・と。階段から落ちて腰を痛めていた母、私の生き方を見て

「令子に負けないように頑張って元気でいなくちゃ」

と笑顔が戻ってきた。愚痴の多かった母・・。

 宥めたりすかしたり、叱ったり、諭したりしましたが、結局言葉なく私の生き方をみて

「もう他人の態度など気にせずに楽しく生きていくわ」と言ってくれた。以前も母から

「一生懸命生きるということを娘である令子から教わりました。死ぬその日まで一生懸命生きます」

という手紙をもらった。

 私には今、お金を出して贅沢をさせる余裕もなく自分の”生きる”でぎりぎりです。でも唯一、ぎりぎりだから示せることがあるとしたらその姿を両親には見せてあげたいと思うのです。ぎりぎりだから一生懸命の中に未来を感じると思うのです。

死ぬその日までの未来は誰もが持っている。

他人との悩みにエネルギーを使うのはもったいないからやりたい事やって楽しく生きてねと言う言葉を残して帰宅。今日はホームベーカリーが届く、このGWの間にパンを焼いて両親に食べさせてあげようと思うのです。

私流の親孝行、それは誰でも近づいてくる死、短くなる生の時間、残された時間でどれだけの単純な笑いを作って上げられるかです。


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2012-05-03 08:44:23 | 考えること

今日は美術館巡りを致しました。

想像するのです。この世に服がなかったら、全ての人類がすっぽんぽんだったら・・・、社会はどうなっていだのだろう。文化、文明の進化はなかったことだろう。&エロス、エロチシズムもなかったのではないだろうか?脱がす、剥ぎ取る、隠す、隠すから見せる、見られる喜び、そこから結び付く精神、愛、などとまで発展して考えてしまいます。

いい意味でも悪い意味でも着飾る、体を覆うと言う事は、見栄、虚栄、向上、進化、・・なかったとしたらその全て無かったかもしれないなどとそう、何カ月か前から製作途中にぼ~~~っと考えていたものです。

GWに入り、ネットで美術展検索をしていたら、「ハダカから被服へ」という展覧会をやっているではありませんか。こりゃ~観にいくしかないでしょ。

やはり行ってみると、私のばか妄想をきちんと被服の進化の変遷から理論的に語っていた。う~~ん、なっとく。

婦人服と言えばブランドという言葉が誰でも同じ事を思い浮かぶだろう。今日この美術展で知った、元々ブランドというのは牛に押された焼印、市で飼い主を見分ける為の焼印だったのです。それが今や女性のお尻に・・・でしょうか?(笑)

この美術展の図録の解説に書かれていた「大昔、私達が裸で暮らしていた頃は、私達は幸せだった」というのも納得するし、デザイナー川久保玲の作品で新品なのにわざと洗いを掛けたり糸を引きつらせて糸屑がついている服、これはいけないことを服に沢山取り入れることで、世の中にやっていいことと悪いことがないことを示した、というデザイナーの主張にも納得をする。一種のこのデザイナーの哲学であろう。

服は何かを認識させる、概念で理解させるための手段なのに、その概念を取り払おうとするデザイナー、納得する自分にも矛盾を感じながらやっぱり私もすっぽんぽんでは人前には誰れないのです。(大笑)

この他国立近代美術館へも行き、いい感性を日を過ごしました。早くせいさくした~~~い。