らいん屋親父さんに昭和54年・昭和56年に開かれた中学校の同窓会の写真を送った。
「あかおくんはあんまり変わってへんです」と言われると,見てみたいという奇特な人もいるかもしれない。
■昭和54年8月

大学4年生。この年の5月初めに「硬膜下血腫」の開頭手術をしたので,生涯で一度だけ剃髪をした3か月後なので,毛がまだ生えそろっていない(実は手術跡も生々しい)。硬膜下血腫になったのは,京都の北山で10mほどの滝の滝壺に転落して,頭をしたたかに打ったためである。
■昭和56年8月

大学院2年目である。
「男子・女子のファッションもおもしろいです」とらいん屋親父さんは言っている。私はふだんからアウドドアに行くようなヘビーデューティ・ファッションが基本だった。夏は洗いざらした,アウトドア・メーカーのロゴ入りTシャツに短パンが基本だった。「同窓会に行く」とおかんに言うと「頼むから,普通の服を着ていってくれ」とおかんに懇願された。仕方がないから,おかんが買ってきたポロシャツにチノパンを着ていったのだ。マザコン丸出し?
〈参考1〉■昭和52年4月(京都北山・魚谷峠にて)

ヘビーデューティーの基本形となるファッションである。とくにバッファロープブレイドの赤×黒のウールシャツ。だけど,シェラネバダ山脈ならともかく,京都市街地からバスで1時間・徒歩3時間のところで,この格好というのはアホである。
〈参考2〉■昭和55年6月(北八ヶ岳)

怪我をしてもなお山歩きを続ける心意気! とくに右足に変形性膝関節症がうかがえる。シャツはフランネルに見えるけど,薄手のウールシャツだ。単独行(ソロ)がほとんどで,荷物を軽くするため三脚をもっていくのは稀だったため,アルバムに風景写真は多いけど,自分が映った写真がほとんどないのだ。
このころの体重は72kg。いまも72~75kgの間をいったりきたりしている(いっときは69kgまで落とすのに成功したが)。体重は同じでも,腹が出ているのは……女性の乳房が垂れてくるのと同じ,加齢による自然の摂理なのだろう。