新令和日本史編纂所

従来の俗説になじまれている向きには、このブログに書かれている様々な歴史上の記事を珍しがり、読んで驚かれるだろう。

 事大主義の国「韓国」慰安婦強制連行の嘘 強制徴用、強制労働の嘘

2021-06-14 14:27:29 | 新日本意外史 古代から現代まで
  事大主義の国「韓国」

慰安婦強制連行の嘘

強制徴用、強制労働の嘘

「事大主義」、この意味は、朝鮮半島国家の生存戦略であり、馬韓、弁韓、辰韓の時代から新羅、高麗、李氏朝鮮全ての時代を経て、
現在の大韓民国に至るまで、中国に従ってきたことを指す。
従って「事大主義」とは、(「強い勢力に従う」という外交方針)なのです。
現在は北朝鮮にはおもねり、へつらい微笑外交。アメリカには追随する振りをして、恐ろしい中国には媚びて二股外交。ロシアにも陰では相当へつらっている。
朝鮮は、バルカン半島諸国と同じ地政学的には、これが国家の生きる道と宿命づけられている。


一つ想像して貰いたい。半島が封建時代だった頃。
地政学的視点から、朝鮮半島に立ち、南に目を向けたとき、背後には恐ろしい虎(中国)と熊(ロシア)が居る。
眼下は日本海で、半島を湾曲して取り囲むような日本列島が太平洋を塞いでいる。そこに住む日本人は、勤勉で賢く、礼儀正しく文化度の高い誇り高い民族である。
しかも武力も強大で、国内のまとまりが強く、虎や熊よりある部分では恐怖の「竜」にも例えられる存在。


かって征韓の役の時は豊臣秀吉にこっぴどくやられている。
何故なら秀吉の戦略目的は朝鮮などただの通り道で、問題にもしていなかった。明国への討ち入りが主目的だったからである。
だから素直に北京への案内役に徹していれば何の問題もなかった。
だが、「大中華思想」に凝り固まり、自分は千年以上にもわたって朝貢しているくせに、朝鮮は「小中華」と思い上がり、早速ご主人様に御注進。
明国軍を自国に引き入れ日本軍に向かってきた。この結果戦争により国土は荒廃し、国家も疲弊した。
明軍の助力が無ければ到底勝ち目はなく、秀吉の急死により、日本軍は引き揚げたが、この時朝鮮は日本という竜の実力を知り恐れ畏怖したのである。
だから、徳川幕府になっても、頼まれもしないのに日本へ通信使という名目で、実態は偵察使を送り込んだのである。
征韓の役を歴史家は悪しざまに謂うが、元寇のとき進んで元軍を案内し、先頭になり侵攻してきたの朝鮮だったことを忘れては困る。

以前、石平氏の著書の紹介で(「朝鮮通信使の真実」)も触れたが、「朝鮮通信使は朝貢使節団だった」という事実を指摘している日本の学者はほとんど皆無なのである。
「日本学術会議」の目的が菅政権によって暴露されたように、自国を批判することを「仕事」としているような左巻だらけの日本の歴史学会だから、これは当然なのである。


 また江戸時代の日本は、江戸という世界最大級の大都市と、「天下の台所」といわれた商業都市・大坂を中心に海運と河川利用運搬の物流システムが全国に広がり、経済が大きく栄えた。
 朝鮮通信使たちは、このような日本の繁栄ぶりに驚愕し、「日本紀行」などに記している。後年、旅行家のイザベラーバードが同時期の朝鮮を訪問し、道路は人間と動物の糞尿だらけでその異様な不潔さを見て、
「ソウルこそこの世で一番不潔な町」と評したが、対照的な現象といえるだろう。
 華夷秩序とは何か

この意味は「世界の中心にある中国が、文明の頂点に立っている。それに次ぐのが朝鮮で、これを小中華として日本よりはるかに上位なのだ」と妄信した。
従って朝鮮通信使たちは、日本へ朝貢しているという事実、そして圧倒的な文明の差を見せつけられ、プライドは崩壊させられたのである。


 そこで彼らはまず、朝鮮版の「精神的勝利法」でアイデンティティを保とうとした。「精神的勝利法」とは近代中国の大作家、魯迅が『阿Q正伝』で描いた主人公・阿Qの考え方で、
客観的には明らかな敗北を、心のなかで勝利に置き換える思考法である。
ここでは「阿Q思考」と呼んでその意味を考えてみたい。
(以下から月刊WiLL一月特大号、石平氏の記事「朝鮮通信使の"黒歴史"の引用になります)


 阿Qはいつも理由なく人に殴られますが、力の弱い彼は抵抗することができません。そこで阿Qは「いま殴られたのは、息子に殴られたようなものだ。
いまの世の中は息子が父親を殴る変な世の中だから、親の白分か殴られても不思議ではない。だから気にしなくていい」と考えるのです。


 朝鮮王朝は自分たちの事大主義外交を、阿Q思考を使って解釈しました。そもそも「事大」という言葉は、儒教の経典『孟子』に由来します。
 斉の国王である宣王が孟子に「隣国と交わるためにはどうあるべきか」と聞いたところ、孟子は「仁の心のある者(仁者)だけにできることですが、
大国であっても小国に事えることです(以大事小)≒智のある者(智者)だけができることですが、小国が大国に事えることです(以小事大)」と答えました。

 朝鮮王朝は孟子の教えを、阿Q思考で都合よく解釈しました。対中外交は「以小事大」をそのまま解釈し、知恵を持つ小国(朝鮮)が、大国(中国)に事えていると考えたのです。
 しかし日本に対しては、小国であることを認めるわけにはいきません。そこで朝鮮王朝は、孟子の一言目「以大事小」を当てはめ、「朝鮮という『仁』を持つ格式高き大国が、あえて小国に事えている」と解釈しました。
上から目線の「仁者が行う素晴らしい外交」と曲解することで、精神的に勝利することができたのです。
 さらに彼らは、劣等感から抜け出し、破壊された自尊心を守るため、徹底して日本を貶めるしかありませんでした。そこに「真実」は関係ありません。
彼らの日本を侮辱する暴言は、コンプレックスの裏返しにほかならないのです。
 このような歪んだ精神構造は、朝鮮通信使の時代から現在まで受け継がれ、知識人のみならず韓国国民の多くに共有される国民的なものになりました。
 そう考えれば、「日本は残虐な植民地支配を行った」「婦女子を強制連行し、強姦する野蛮な民族だ」「日本は歴史に謙虚になるべきだ」という現代の韓国が行う歴史の捏造、侮辱、上から目線も、
当時の延長線上にあるとわかるでしょう。「反日」は日本のせいではなく、歪んだ精神構造だからこその言動なのです。
(以下略)


さて、最近のGSOMIA(軍事情報包括保護協定)の継続・破棄をめぐる「引き延ばし戦略」からも、大国に阿って決断できない「事大主義」根性が見え見えである。
そんな韓国に、仲介や援助をする必要は全く無いし、いわゆる軍専用売春婦(従軍看護婦はいたが従軍慰安婦などは居なかった)や、企業賠償問題でも、
一ミリも譲ることは無いのである。
協定や協約を弊履の如くすて、蒸し返す韓国には、日本が敗戦後朝鮮半島に、アメリカに没収され、置いてきた土地、建物、会社、インフラの返還訴訟だってやれるのである。
人間関係でも、敵意剥き出しで常に上から目線の人とは、関わらないほうがいいに決まってる。それは国家関係でも変わない。いくら日本が「礼」を尽くしたところで、
返ってくるのは侮辱だけの韓国とは関わってはならないのである。


慰安婦強制連行の嘘


ここで再度慰安婦強制連行について記しておかねばならない。
上記したように、慰安婦は「性奴隷」ではなく、単なる日本兵の為の売春婦(軍隊専用売春婦)なのである。彼女たちは日本人が一番多く、次いで朝鮮人、中国人が居た。
その多くは自分の意思で応募しているのが実態。中には貧しさ故親が借金の片に娘を売った例もある。また仲介者に騙された例もある。
彼女らの所得を見ると一般労働者よりはるかに多く、親族に送金したり、毎月貯金していた女も多かった。だから韓国の主張は何ら根拠のない「捏造」なのである。
歴史的に日本軍が「軍隊専用売春婦」を戦地に連れて行くのは戦国時代からの伝統だった。
豊臣秀吉の九州征伐や東北征伐でも、自分は大阪から側室を呼んだが、兵の為には大量の売春婦を全国から手配している。

島原の乱では、徳川幕府は天皇や公卿が討幕運動に勅旨を出すのを警戒し、京の周りに多くの大名を動員して、十五万人もの兵を駐屯させ見張ったので、兵の慰安のため、京に島原遊郭を設置したのが真相なのである。
この島原反乱を取って「島原遊郭」と名づけた。
日本は昔から従軍慰安婦ともいうべき売春婦を戦地へ連れて行くのは、通例となっていた。
現在、これが韓国や中国が問題にして騒ぎ立てているが、白人国家は、侵略した土地で女たちを現地調達して、これは苛斂誅求で酷いものだった。
フランスの植民地だったアルジェリアなど、一般人の女さえフランス人に要求されれば、どんな場合でも応じなければならず、断れば殺されても文句が言えない状態だった。
日本は自国民をしかもお金を払って買っていたのだから、その残酷度はまるで比べ物にならない。どちらが良いかと言えば日本が良いに決まっている。
ちなみに、台湾も朝鮮も当時は日本国であって、植民地ではなかったことを理解しなければならない。

  強制徴用、強制労働の嘘

以下の文は韓国の学者・李栄薫氏の著書『反日種族主義との闘争』からの引用になる。

"強制動員”と"強制徴用”という用語について

 『反日種族主義』が刊行された後、私に提起された最初の批判は、"強制徴用”や強制動員”を否定した、ということでした。記者たちだけでなく、研究者たちもこのような批判をぶちまけました。
まず"強制徴用”の否定についてお話しします。


 私は徴用を否定したりしていません。一九四四年九月から徴用が実施され、これにより二十二万余名の朝鮮人が日本に動員されました。徴用に応じなければ、一年以下の懲役か1000円以下の罰金に処されました。
このように、徴用は明白な強制でした。したがって私は、「法律が規制する強制的な動員方法」だったと記しました。それにもかかわらず、"強制徴用”を否定している、という批判が提起されるのは、
私の文章を間違って読んだのでなければ、私か、「"強制徴用”という言葉自体が事実を歪曲する虚構的な概念だ」と批判したためだと考えられます。
 
 徴用はそれ自体が強制であるにもかかわらず、わざわざ「強制」という単語を付けています。
もし韓国で徴兵を「強制徴兵」と言えば、人々は笑うことでしょう。同じことです。それでもなお敢えて「強制」という言葉を付けたがるのは、徴用に「奴隷のように連れられて行った」という式の、奴隷狩りのイメージを塗り付けるためです。
意図したことではないのかも知れませんが、結果的にはそうです。しかし徴用は、基本的にそういうものではありません。
 当時、徴用令書と呼ばれた令状が出ると、対象者は令状を受領しなければならず、決められた時間と場所に出頭し、身体検査と適性検査を受けました。
それを通過すると面事務所や郡庁に再度集まり、釜山や麗水に集団移動し、そこで日本の会社から来た労務担当者の引率下、連絡船に乗って海を渡りました。
徴用にはこのような定められた法規があり、それに則って行なわれたのであり、デタラメに手当たり次第に捕まえてトラックに載せ、荷物のように日本に運ばれたのではありません。
"強制動員"も、事実を誇張し歴史を歪曲する概念です。徴用に先立ち一九三九年九月以降、満五年にわたり「募集」と「官斡旋」という方式で労務動員が行なわれました。募集と官斡旋は、
基本的に個人の自発的な意思によるものでした。日本に動員された七十二万余名の労務者の中で、徴用されて行った二二万名ほどを除いた約五〇万名が、そうして日本に渡りました。
徴用されて行ったとしても、一年足らずで戦争が終わったので、労務動員において徴用の持つ意味は、さらに小さくなります。
 "強制動員”という概念の下では、日本に動員された全ての朝鮮人は奴隷になってしまいます。
しかし、募集と官斡旋で重要だったことは、新しい場所で自身の運命を開拓しようとした朝鮮人たちの自発的な意思でした。このような意味で"強制動員”は、歴史の真実を歪曲する概念です。
私は、「たんに『労務動員』とだけ表現すればよい」と主張しています。このことで「"強制動員”を否定した」と批判するのは、私の主張の論点をぼやかすことです。
(以下略)
氏は韓国語文献、日本語文献、英語文献と、膨大な数の文献資料写真、地図を渉猟し本書を書いておられる。良質な韓国人李栄薫氏の努力に感謝いたします。
本来なら、日本の学者やジャーナリズムが総力を挙げて注力するべき事案を、韓国の学者に解明されて「学者共恥を知れ」と言いたい。
学術会議騒動で明らかになったように、彼らは日本を貶める事に血道をあげている。李栄薫の爪めの垢でも煎じて飲ませたいが、ハナクソで沢山だろう。