新令和日本史編纂所

従来の俗説になじまれている向きには、このブログに書かれている様々な歴史上の記事を珍しがり、読んで驚かれるだろう。

鉢合わせの意味 「八」が正しい 八の意味とは

2019-06-05 18:41:34 | 新日本意外史 古代から現代まで

現在この言葉は、ばったり知り合いや仲間どうしが逢ったり、暗闇で突然突き当ったりする表現に何気なく使われているが、実際はまったく意味が違う。
何故なら鉢が八の当て字だからなのである。
騎馬民族の四つどうしが顔をつき合せても「ハチ合わせ」とは言わない。馬の鼻つら合せとも言わない。西南から黒潮暖流で流されてきて、日本の太平洋岸に接岸して上陸したのが、
縄文日本原住民でこれが後の、八の民になる。だから八の民どうしだけが行き合った時にのみ、「鉢合せ」というのでして、なにも双方の、おでこの額をぶっつけ合う事ではないのです。
大陸系の豪いさまは牛舎に乗ってふんぞり返っていたので、原住民たちは蔭で彼らを「牛」と云っていた。だから彼ら権力者たちが何か悪だくみをしている様子を、
牛の角からとって「角突き合わせて・・・・」と云っていた。
さて、貞享四年末の「生類憐れみの令」が発布される前、騎馬民族系の製革業者が皮需要が多くなって大いに儲かっていた。
彼らは反仏派だったため、徳川綱吉は彼らを弾圧しようとした。そのための(猫を追うより皿をひけ)と江戸の番太郎達でさえ六尺棒で、当時は犬殺しをしていたゆえ、
「いろはかるた」にも「犬も歩けば棒にあたる」とあるくらいで、彼らが多く住んでいた、四谷と中野へ嫌がらせとして犬の隔離屋敷を構えました。
そしてこの当時、水野十郎左衛門で有名な「旗本神祇組」とか「白柄組」という革屋のガードマンになって江戸中をのし歩いていた、御目見得格以上の旗本二千人が江戸では追放された。
日本全国的には数十万が法令で追われたのですが、「江戸以外何処へでも行け」という勝手な所払いではなく、別所とか院内、山所とよばれた除地へ強制収容されたのです。
これが幕末の天保の大飢饉で、山中では食してゆく物がなくなってしまい、やむなく飢えはてて近くの街道へおりてきました。そして「てまえ、生国と発しまするは……」と、
相手も同じ黄色人種で見分けがつかないから、相手が四つの騎馬民族系かの区別をつける為で、昔は限定居住で生国でその人種が判るから訊いたのである。
 つまりこれが「神祇を切る」(調べあう)事でしたが、日本人は過去や歴史にはロマンを求めたがるので、今では「仁義を切る」と綺麗事にしています。
が要は、同族は討たずの「同門同火の禁」の掟から、うっかり同じ宗旨の者どうしが鉢合せしてはいけないから、まず自分から名のりあげ、八の者である事を先に伝え、
同族どうしであると断わってヤーさんの先祖は一宿一飯の厄介になるのです。

「八」の本当の意味
日本では、一、二、三、四を中国語から取ってイアルサンスウ、と云い、これが算数として文部科学省推薦の学校教育使に使われている。
そして、イアルサンスゥウリュチパーからとって、八は「パア」だと馬鹿にされ、体制の云う事を聞かぬ「反徒」の意味で「鉢屋」とか「ヤ」ともよび、「八幡」「ヤ衆」とよばれる天(海あま)の王朝人の事。
 騎馬民族の末裔のことを「四ッ」と呼ぶのは馬が四つ足だから、それから来ている事だとは理解できるでしょう。しかし拝火宗徒である「祗」の者を何故に「八ッ」と呼ぶのかは、いまださだかではありません。
 江戸時代の随筆家、天野信景は、その〈塩尻百巻〉の中で、非農耕の騎馬系の飼戸(四戸ともかく)に比べ、農業の他に漁業労働も課役されていたアマの王朝の末孫は、遊牧民族ではなく土地に定着していたゆえ、
その末孫も数多く、四ツの倍ぐらいゆえ、それで「八ッ」とよぶと解明している。
 今より四世紀前の尾張の彼の解明ですし、それに一般に知られている「八」の記録としましては、「安国寺文書」の中の「さりとて藤吉郎は八の者にて候はば……」とあるのを、紺屋の白袴の歴史屋が、
意味がまったくわからず、明治以前は何々はと言わず書くのでも、何々わだったのも知らず、「さりとて藤吉郎ははの者」と、その将来を高く買われていたなど珍解釈しているくらいの処です。
 また同じ尾張藩士でアマの王朝の直系をひき、その姓も天野を名のった元禄時代の信景の歴史観の方が昭和の歴史屋より正しいようです。
そもそも「八」は甲骨文字で二本の線で表わすもので、五、六世紀に岡山方面で使われ、西暦六六三年の自村江の戦いの後には、強制的に国字にされた漢字にもその儘で取り入れられていますが、
唐本国では現在のように数字ではなくて、「別、反、片、辺 半」といった意味。つまり、左右に二つに分かれている字体からして、これは、「相反するもの」つまり、
占領軍に対して、祖国を失ってすぐ帰順帰化したクダラ人のように素直でない徒輩。つまり「まつろわぬ連中」とか、相入れない反体制の分離派として「八」の文字を当てて、「パア」つまり愚かな輩
として奴隷にしたのが、どうも鉢屋者の本当の処のようであります。

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