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住宅街の中にポツンと残った塔心礎の姿はなかなか衝撃的でしたが、次も同じ律令時代の遺跡である、備前の国庁跡へ向かいます。
事前の調査によると、「国長宮」という神社がある場所が国庁跡と言われているらしいので、その場所を目指します。
カーナヴィに頼りつつその場所に近づいていくと、右手に鳥居が現れました。
鳥居の脇のちょっとしたスペースに車を置いて確認しに行きます。
鳥居の先にはWebで見た覚えのある社殿が見えます。
よし、説明板見っけ!
ここで合っていました。
これは礎石を転用したんじゃないでしょうか。
国府というのは全国に60以上あった「国」の役所のことで、役所の全敷地と周辺の町を含みます。
国府内には政治的な施設が散在しているのですが、その中でも役人たちが政治を行う中心建物群のことを国衙(こくが)と呼びます。
さらに国衙の中の中心建物のことを国庁と呼び、国庁の建物がこの国長宮の場所にあったのかもしれません。
国長宮は律令時代の備前国府がここにあったことの証だといえます。
ちなみに、この道は説明板によると古代から中世にかけての山陽道ということです。
ただ、国府が機能していた古代の場合はここに道があると国府の中に入ってしまうので、もしかしたら国衙の南側を限るラインがこの道で、それが中世になって山陽道になったのかもしれません。
全国的に見ても、国府跡は国分寺跡よりも整備されていない場所が多く、所在地が分からなくなっている場所も多いです。
しかし、遺跡は見つからなくても地名で「この辺だろう」と推測される場所は多くあり、ここ備前国府の場合も、このあたりの住所は「国府市場」といいます。
こちらの場合は、詳しいことは分かりませんが、説明板によると古代の遺跡・遺物が見つかっているようですね。
現在地を確認。
それでは次も律令国家関連ですよ。
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住宅街の中にポツンと残った塔心礎の姿はなかなか衝撃的でしたが、次も同じ律令時代の遺跡である、備前の国庁跡へ向かいます。
事前の調査によると、「国長宮」という神社がある場所が国庁跡と言われているらしいので、その場所を目指します。
カーナヴィに頼りつつその場所に近づいていくと、右手に鳥居が現れました。
鳥居の脇のちょっとしたスペースに車を置いて確認しに行きます。
鳥居の先にはWebで見た覚えのある社殿が見えます。
よし、説明板見っけ!
ここで合っていました。
これは礎石を転用したんじゃないでしょうか。
国府というのは全国に60以上あった「国」の役所のことで、役所の全敷地と周辺の町を含みます。
国府内には政治的な施設が散在しているのですが、その中でも役人たちが政治を行う中心建物群のことを国衙(こくが)と呼びます。
さらに国衙の中の中心建物のことを国庁と呼び、国庁の建物がこの国長宮の場所にあったのかもしれません。
国長宮は律令時代の備前国府がここにあったことの証だといえます。
ちなみに、この道は説明板によると古代から中世にかけての山陽道ということです。
ただ、国府が機能していた古代の場合はここに道があると国府の中に入ってしまうので、もしかしたら国衙の南側を限るラインがこの道で、それが中世になって山陽道になったのかもしれません。
全国的に見ても、国府跡は国分寺跡よりも整備されていない場所が多く、所在地が分からなくなっている場所も多いです。
しかし、遺跡は見つからなくても地名で「この辺だろう」と推測される場所は多くあり、ここ備前国府の場合も、このあたりの住所は「国府市場」といいます。
こちらの場合は、詳しいことは分かりませんが、説明板によると古代の遺跡・遺物が見つかっているようですね。
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