Kakuma News Reflector 日本語版

カクマ難民キャンプの難民によるフリープレス
翻訳:難民自立支援ネットワークREN
著作権:REN(無断引用転載禁)

2013年8月号 世界難民の日、カクマは   (カバタ・ボル)

2014年04月18日 | 人権

【写真】キャンプ代表からの贈り物

ケニアにあるカクマ難民キャンプは、過去数十年に渡り何万人もの難民の住処となってきた。6月20日は、国連が制定した世界難民の日だ。難民がいかに世界中の人々に貢献しているのか振り返る日である。

難民とは、政治関連の告発、貧困などの理由で、出身国を脱出することを余儀なくされた人たちのことである。外国の地に脚を踏み入れた時から、「難民」と呼ばれるようになる。これによって自分のもともとの身分が変わるだけでなく、人間として最低限必要とするものまで認められなくなる。

〈カクマ難民キャンプ〉
カクマ難民キャンプは1991年に設立され、ケニアとスーダンの国境にあるロキチョキオの町から95キロほどの場所にある。国連難民高等弁務官事務所によって運営され、ケニア政府の司法権の下にある。「カクマ」とはスワヒリ語で「どこでもない」を意味する。2006年制定のケニア難民法以来、難民省(Department of Refugee Affairs, DRA)の管轄下にある。この難民キャンプにつながる道は、ケニア北部の回廊と言われる高速道路しかない。

そのような立地にもかかわらず、国際的なキャンプである。もともとあったカクマという町の中に、もうひとつの町として発展してきた。キャンプは周囲の厳しい自然によって周りから引き離されており、インフラの整備もほとんどなく、最低限のサービスを受けることもできない。他にも貧しさの根源はいくらでもある。

カクマ難民キャンプは、これまでに数万人の難民たちを異なる国々から受け入れてきた。カクマという町と、カクマ難民キャンプに生きる者の間には、大きな違いがある。それは、キャンプに住む者はキャンプの行政代表者の許可なしにこの場所を離れられないという点だ。

難民キャンプは三つの居住区に分かれている。カクマ難民キャンプは当初、暴力衝突から逃げてきた南スーダンの難民を受け入れることを目標としていた。その後、キャンプは南スーダンだけでなく、スーダン、ソマリア、コンゴ民主共和国、ブルンジ、エチオピア、ルワンダ、エリトリア、ウガンダ、タンザニア、コンゴ共和国からの難民も受け入れるようになった。さらには、3人のコートジボワール人のほか、イラン人、ジンバブエ人、カメルーン人もそれぞれ1人ずつ受け入れている。

ことし5月の半ばには、カクマ全体の人口は150,891人に達した。うち49,767人がソマリア出身である。残り44,395人は南スーダン出身だ。ただし、国連難民高等弁務官事務所の報告によると5月の終わりの統計では全体の人口は155,269人に達している。

〈難民たちの声〉
6月20日、カクマ難民キャンプ内のナパタグラウンドにて、世界難民の日の記念式典が行われた。朝9時に各国の旗が掲揚され、スピーチが続いた。


【写真】:離散した家族が非常に多い

キャンプ在住者たちの声には、苦渋と不安があふれていた。「監獄に収容されているようなものです。14年前、自分は若かった。なんでまた難民の日を祝うのか理解できない。生きるのが嫌だ」。エチオピア難民のイライアス・ヲンディムさんはこう語った。

難民たちは行動を制限されており、交通、就労の権利のほか、市民権も奪われたままだ。国連難民高等弁務官事務所は難民の権利のために立ち上がるべきであるが、難民たちは、自分たちの権利のためにまったく動いてくれないと強く感じている。

ソマリア難民のサラ・ハッサンさんは、「時間を巻き戻せたらいいのに、と思います」と話す。「1994年からここに住んでいますが、再定住は夢のかなたで、何年も待ってばかり。私のことは忘れられているのでしょうか。生きる意味を見出せなくなっています」。

しっかりとしたシステムがないため、強姦や強制わいせつの指標となる統計もない。一方でそのような事件は後を絶たない。

一部の難民は出身国に帰る機会を得たが、そのほかの者は出身国に足を踏み入れることはもうない。カクマで命を落とした難民もいるし、危険は多い。海外で再定住するという運に恵まれた人もいれば、そのような機会が永遠にめぐってこない人もいる。差別されていると感じる人も少なくない。

「すべての難民が平等と言えるでしょうか」と、ルワンダ難民のリア・ブギンゴさんは問う。「平等に扱われて再定住を約束された人もいるけれど、カクマのルワンダ人たちはどうですか。次世代に期待をかけるほかない」。

カクマキャンプにおいて、難民たちは人道支援による食料援助に完全に頼らざるを得ない。皆の生活は、待つことと何か良いことがあるかもしれないという夢によって成っている。こうした状況下で、子どもは大人に、大人は老人になっていく。

「私たちに力はない。声もない。国連、メディア、国際社会からも、今の受入国の政府からもすっかり見放されている」と、カクマの難民代表が語っていたとおりである。


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