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強烈な砂嵐のせいで、カクマ1の家で起きた火事が燃え広がった。
2011年1月5日、燃え盛る炎がカクマ1の家屋密集地の家32軒を飲み込み、6人が一酸化炭素中毒でIRC病院に収容された。またカクマ2から来た女性がバイクにはねられ死亡した。火災当日の午後3時、KANEREが火事について調査するため病院を訪れた時、女性はすでに病院の安置所に置かれていた。「これはひどい、ここで働いて2年になるが、こんな火事は今まで見たことがない」と病院の事務官が言う。
火災発生は正午ごろだった。火はまたたく間に広がり、15分で7軒の家に燃え広がった。その後も、すさまじい風のため、消火活動が追いつかない早さで火が広がり続けた。「『助けて!火事だ!』という声を聞いてこの現場に来た。皆で火を消そうと土や水を放り込んだ。しかし炎はメラメラと宙高く燃え上がるばかりだった」と言うのは近所の住人だ。
助けを求める叫び声があたりを埋め尽くした。新たな救助隊が到着したものの、火は勢いを増し、家屋が密集した場所一帯にまで広がっていた。12時20分には、およそ20軒の家が燃え、ほとんど手がつけられない状態になった。
火事のニュースは直ちにルーテル世界連盟(LWF)やUNHCR、民間警備会社G4Sに届いたが、どこも現場に到着するのが遅く、救助はほとんどなされなかったとの報告もある。しかし、被害者たちはLWFの水道担当部署にとても感謝している。水道担当部署が連絡を受けてすぐ水道栓を開いたおかげで、火事を鎮静化できた。「私たちには火事を消すことができなかった。でも、ふだんは水が止まる時間になっても、4時間にわたって充分な水が出た」と目撃者の1人が言っている。(通常、カクマの公共の蛇口から出る水は配給制で、決められた時間を過ぎると水は出なくなる)
12時40分頃、男性2人と女性3人が意識不明で発見された。家や家財道具が燃えて出る一酸化炭素が火災当初から発生し、これを吸い込んだのだ。彼らは直ちに病院に運ばれた。現場を訪れた支援団体職員は、すべてが灰になったのを見てショックを受けていた。同じく現場を訪問したケニアキリスト教会協議会(NCCK)のキャンプ計画担当者は、火事の原因は家の過密状態にあると語った。
12時50分、7人が救急車でIRC病院に運ばれ、火災はほぼ鎮圧された。この時点で、何百、何千ケニアシリング相当の家財が火に飲み込まれていた。午後1時15分、火事は路地のすべてを破壊し、家々を灰にしていた。火が燻っている中、残っているのは、むき出しの泥壁だけだった。
午後3時、KANEREの記者が病院に行くと、男性棟に患者たちがいた。病院は、泣いている人や命のために戦っている人でごった返していた。煙を吸い込んだ患者の治療に必要な酸素吸入器が足りず、困難を極めていた。また男性と女性が一つの病棟にいっしょに収容されていた。
IRC病院の職員のひとりは、この事件にショックを受けたと、次のように語った。「カクマに来て2年になりますが、このような混乱は見たことがありません」
難民インセンティブ・スタッフも同様にショックを受け、疲れきっていた。「今日の午後は働きすぎだ。午後3時40分まで休みなしだった」と言うのは、女性棟で働いているソマリア人インセンティブ・スタッフだ。
被害を受けた地区のコミュニティー・リーダーの努力にもかかわらず、避難所建設の資材援助や食料配給はまったく足りていないという。被災者は屋根用のプラスチックシートと少量の食料品を受け取ったものの、彼らが期待していた補償金は貰えなかった。「彼らは薪と、テント、2キロのトウモロコシ粉という最低限の支援しか受けていない。被災者は焼けつくような太陽や寒い夜を凌ぐ家を待ち望んでいるにもかかわらず、まだ一軒も建てられていない」と話すのは、カクマ1のソマリア管理事務所でKANEREのインタビューに応じた、ソマリア人リーダーだ。
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