いやいやいや、教育者ですとか、教育研究家みたいな感じで活躍される方々の目に触れられると、ちょいとお恥ずかしい議題ではあるんですけれどもね!!(^-^;)
そんな、生意気に『かくあるべし』とか指南しようって小難しい事じゃなくてですね、『上手く行かないケースって、こういう感じのアレがナニかもしれないっスよ?』って程度の、ぼやきみたいなもんでございますw
えー、構成とかしっかり詰めてないので、言いたい事が上手く伝わるか甚だ不安ではあるんですが。(;^-^)
まぁ、教えるって言いますのも、いろいろございますよね。
学校のお勉強ですとか、会社の社員教育、はたまた芸術家や職人さんなどは師匠から弟子へと伝授するケースもありますし、さらには御家庭で親御さんがね、世の中の大事なモノ、コトを子供さんに諭してあげたりするのもやはり、教える、の範囲に入ると思います。
だいーぶ前に記事で書いたような気も致しますが、私が音大受験の頃にね、その『教える』について、しみじみ感じた事があったんですよ。
まー私は小さい頃から音楽をやらせてもらえなかったものですからね、耳が育っていなかった、つまり、所謂
『絶対音感』というものが無かったわけです。ピアノの音をぽーんと鳴らされますと、訓練の出来てる方には「ど~」とか「み~」とか聴こえるわけですね。その感覚が私には無かった。
これもあんまり訓練されすぎますと、車のクラクションやら、バッターがカキーンと打つ音、とにかく生活の中で聴こえる音がなんでもそう聴こえてしまうらしいんですけどね! (ちなみにクラクションは普通、音程をずらして二つを同時に鳴らし、不協和音になってます。二度とか)
で、音大受験ですと、試験にそういったのがありましてね、
ソルフェージュと言います。旋律聴音、和声聴音、新曲視唱なんてのがありますね。で、受験者全てに絶対音感があるわけでもないので、試験の前に
カデンツを弾いてくれます。その調の『ドミソ』⇒『ドファラ』⇒『シレ(+ファ)ソ』⇒『ドミソ』、所謂T(トニック)、S(サブドミナント)、D(ドミナント)を聴かせて調性を確定させるわけです。ロックのコードですと、CのキーでC⇒F⇒G(G7)⇒C。絶対音感の無い受験生や学生は、それを聴いて
相対音感で答えるわけなんです。私はそちら側でした。
んで。(・・)
実はですね、その音大受験の頃、私にソルフェージュを教えてくださってたのが超有名な方でして、某オーケストラの初代指揮者とか、なんでそんなビッグな方と御縁があったんだろうっていまだによく分からないんですが、やはり『天才型』でしてね。音の様々な事が「分かって当たり前」なわけです。
そうしますとね、私が音を「分かりません!!(^-^;)」と言いますと、先生はすっごく悩まれまして。
「君がどうして分からないのか、私にはさっぱり理解出来ないんですよ。いや、君が悪いって責めているわけじゃなくて、なんとかしてあげたくてもね、私が君に教える術が見つからなくて困っているんだ」
ってことでしてね、先生からすれば甚だ迂遠な手段ではあったのですが、相対音感でレッスンを進めるしか手段が無かったわけです。
これは、同じような事が、ピアノを習うケースでもよくあると思うんですよ。
自分の子供にピアノを習わせよう、せっかく習わせるのなら高名な先生のところへ通わせよう、なんて、いらっしゃいますでしょ。
やはり高名な先生となれば、いろんなことを『解る・出来る』のを前提に、それ以上のことを教えるのが普通なわけでして、正直基礎的なことを習いに来られても難しいと言いますか、もったいないと言いますかね。それで子供の方もですね、「なんで、これ出来ないの」みたいなレッスンになれば面白くなくなって、結局ピアノをやめてしまう、だなんてもったいないですよね。
で、ピアノなんかですと、「あの先生は初心者に教えるのが上手い」なんて評判の立つ方が、そこかしこにいらっしゃいまして、そういった先生のところに通わせますとね、どんどんピアノが好きになる。いろんなことを、興味を持って覚える。で、上達の度合いによっては、また次のステージを教えるのが得意な先生を紹介して頂いたりしましてね、そういった『適材適所の教師』というのも、あるもんだなぁと、自分の失敗で深く身に染みたものでございました^^;
これがですね、ピアノに限らないと思うんですよ。どうも前置きが長くなりましたが(;^-^)
もちろん、他の楽器でもそうですし、また、絵画など、他の芸術でもそうでしょう。
そして、これが学校や会社の教育にも、ある程度当て嵌まるんじゃないかなぁ、と思うんですよね。
これもだいぶ前に記事で書きましたが、東京大学名誉教授の
竹内均さん、え、今リンク仕込むためにWiki見たら亡くなってたの!?(;^-^) 私、大好きだった方なんですが、NHKのTV番組なんかで地球物理学のお話なんかをね、子供にも解りやすく、丁寧に解説してくださった方です。
ところがですね、実際に当時の東大生に伺いますと
「あの教授の講義は、難しすぎてサッパリ解らないよ!!」
ってことらしいんですね。一介の東大生では知識が追いつかない程、話のレベルが高すぎたのだそうです。まぁ、竹内教授は聡明な方でしたから、AにはAの教え方、BにはBの教え方をなさっていたのでしょう。ここまで両極端をこなせるのは、かなりのレアケースだと思いますけれどもね!
会社でも、そうなんじゃないですかね?
新入社員を前に、社長が訓示をする。もちろんそれは社是を示す上で重要な事ですし、若者の未来を憂いて大事なお話をされるものだと思います。
ところが、『全校集会の校長の話が退屈で長い』みたいなノリでですね、心の中で「はよ終われ(・・)」なんて方も散見されるのではないでしょうか。教えるレベルの高さと、受ける側の意識に差があれば、そんなものでしょう。そこで『新人の世話係』が重要になってくると思うんですよね。むしろ人材の育成を考えれば、そこにこそ細心の注意を払って人事を行うことは、会社の成長に大きく寄与出来るんじゃないでしょうか。
なーんてね、ここまで小難しい感じで記事を書いてきましたけれども。
「そんな真面目な話、聞きたくねぇ! ヽ(`Д´)ノ 」
って方も多いと思うんですよ。それはごく自然なことで、受ける気になるか、興味が湧かないかって話になります。
そこでね、昔っから、娯楽の中にそういった『教える』『諭す』という要素が散りばめられていたわけなんですよね。
漫画ならだいたいみんな、さらっと読んじゃうでしょ。難しい話が嫌だって思っても、漫画は難しくないって受け入れますよね?
長谷川町子さんが亡くなられた直後、改めて
『サザエさん』のメッセージ性が注目されましたよね。どこかの大学の先生が大真面目な顔で『カツオ君の~~』なんて論文を書かれたりもしました。
実際、『サザエさん』は社会の縮図だとか、当時の一般家庭をよく表したモデルだとか言われます。当時の出来事や、社会の思想傾向もふんだんに込められていますよね。子供から大人までが親しんだ国民的漫画となりましたが、近所付き合い、ご先祖の存在、古風な親父、複雑な家庭事情、辛いサラリーマン、友情、子供社会、子供のイタズラ、そんな様々な要素が快活に描かれています。結構『○○とは、なんぞや』『どうあるべきか』的な視点を考えさせる作品も含まれ、ある意味『誰もが気軽に手に取れる人生の教科書』的な役割を果たしました。
それは、
『ドラえもん』でも言われたことですよね。子供社会を最小公倍数的にまとめた世界と、よく解説されます。
またですね、落語だって、基本的にそういうもののようなんですよね。江戸時代あたりでも庶民に親しまれた娯楽ですが、基本的に噺の内容って『人の醜いところ』を笑いにする、という定石があると言えるみたいです。
⇒ 落語 Wiki
ゲラゲラ笑いながらですね、人々は「俺ぁ、あんな失敗しないぞ」「あたしは、そんな醜いことしないわ」と、反面教師として大事なことを教え継がれてきたのかもしれませんね。
さぁ、だいぶ記事が長くなってしまいました。
最後にひとつ、画像を貼って終わりに致しましょう。
教えるって、大事なことですけれど、難しいですよね。
←例のアレです!! お気が向かれましたら。