分かったよーなこと、言ったって~!!

中途半端な知識で適当ぶっこく無法地帯へようこそ( ^-^)ノ

SFの世界を、お手元に!?(^-^;)

2013-01-20 23:34:19 | 徒然の日常
 いやぁ、私はあまり詳しくないんですけれども。

 タブレットのお話なんですが、実に未来的なものが開発されているようでしてね。どこまで本当なの? と、思わず目を疑いました。


 実際に御覧頂きましょう。




2013 The tablet that turns itself lumpy




 あ、ちょっとサイズ大きいですか?

 携帯で御覧の方にはうまく観れなかったりしますかね?


 ま~~、こんなわけでしてね、ボタンを押す必要のある時だけ、もりもりっとボタンが出現して、必要がなくなったらまた平面に戻るようです。

 こんなの、なんて言いますか、昭和の頃なんかにですね、「21世紀にはこんなことが出来る!(^-^)」みたいな、絵空事のようにも思えてしまいますが、まさか現実になってしまうとは。

 ぶっちゃけ仕組みが全く理解出来ないんですけれどもね!(^-^;)


 これは、指の太い方なんかの誤タッチ防止ですとか、あと薬品などで指の皮膚が荒れ過ぎた方なんか、確実にタッチで反応してくれるという恩恵があるようです。(皮膚が酷いとATMなんかも反応してくれないのだそうです)

 こういう技術の進歩って、面白そうでもありますし、有り難いことでもありますよね。




 まぁ、ますます我々の世代が、次々と進歩する時代に付いて行けなくなっちゃう気も(;^-^)




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今日は、一杯イジメちゃうぞ!?(^-^;)

2013-01-19 23:27:11 | 思考の散歩
 ええ、今、ちょうど家に帰ってきたところで、まことしやかにオカシナ事が書かれた記事を見つけてしまったので、服のボタンを外しただらしない格好のまま、それについて触れてみようと思います。


 何度かこのブログで記事に起こしたこともある、デスブログについて、「周りが”デスブログ”と呼ぶのは、イジメと同じだ」と唱える方がみえるようなんです。

 しかしこれがまた、確かにそれっぽい事を真面目に並べてはいらっしゃるわけなんですけれど、私の個人的視点ではどうにもツッコミ所が多くてですね。「おい!!(^-^;)」ってところを、いちいちひとつひとつツッコんで行こうと思います。


 ま、あくまでも、”私の個人的視点”ですよ?





「デスブログ」といういじめ



 今のリンク、Yahoo!の記事なので、いつの間にか消えているかもしれません。

 情報量が多いからなのか、Yahoo!の記事っていつの間にか消えていること、多いんですよ。なので、このブログからのリンクも、いくつかは切れているんじゃないかと思います。


 それでは、部分部分で引用しながら私のコメントを挟んで参ります。

 駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部教授が書かれた記事、という前提を踏まえてコメントさせて頂きますよ~。




あるタレントのブログを「デスブログ」と呼ぶ人たちがいる。

 ”呼ぶこと自体が悪事だ”と主張する書き出し、いきなり引っかかります。
 呼ぶなと制限を叫ぶのは、言論統制を”是”とする危険な思想に思えますね。
 教授という教育者の言として、問題を感じます。


特定のブログが「デスブログ」であるという科学的根拠はない。

 ”デスブログ”自体に科学的根拠はありません。
 こんなロジックで教鞭をとれるほど、現代の大学はヌルいのだろうか。


客観的には事実ではないという点について、議論の余地はないものと思う

 そこに議論の余地を認めるのが人間という生き物なのだと、私は思っています。
 霊魂の存在は客観的事実ではありませんが、お墓を立て、供養しますよね。そういった非・事実の可能性があっても思いを致すのは、人間の思考として極めて自然だと疑いません。
 また、事実でなければ議論をしない、それなら誰が事実と認定するのか。
 この方の論調を眺めるに、「我こそ正義」「我こそ真実を得たり」という思考を感じてなりません。純真な大学生諸氏が感化されないことを切に祈るばかりです。


このタレントについて私はほとんど何も知らないが

 謙遜で仰ったのかとも思いましたが、後で出てきます言により、本当に調べてみえない事が判明致しました。
 批判記事を書かれるにあたって、貪欲に裏を取らない姿勢はいかがなものか。


有名人だから何を言われても我慢すべきだと?

 ある程度、やむを得ないでしょう。有名税でもあると思います。
 この方も、どこかのオヤジが仕事から帰って、ビール片手にプロ野球選手に「バカヤロー」と叫ぶのを注意して回ることも出来ますまい。
 芸能人自体がそういった、少し哀れな側面を持つものでもあり、逆に、それによって仕事を得る、収入に結びつくこともありましょう。
 実際、この方もデスブログの件がなければ東原亜希さんについて書かれなかったでしょうし、私に至っては名前を知る機会すら無かったことでしょう。映画なりドラマなりに出演すると聞けば、「おっ、観てみようかな」と思うかもしれません。それを見込んで仕事も回ってくる。そうやって、貪欲に仕事を勝ち取っていくだけのタフさがなければ、芸能人は長く務まらないものではないでしょうか。


このタレントは、別に旅客機に悪さをしたわけでもパンダの赤ちゃんを殺したわけでもない。

 誰もそんなことを言ったと、聞いた覚えがありません。
 元ネタの”デスノート”では、書いたことで能動的に相手を殺す、という感じだったと記憶していますが、おそらくこの件では”デスブログ”に対して、記事に書かれた対象が災害として不幸に遭う、としか一般的に言われていないのではないでしょうか。
 つまり、誰も「お前が能動的に殺した」なんて言っていないはずですし、そもそもブログ主に対する人格攻撃と結び付けられている印象はありません。


本人は気にしないと言っているのかもしれない

 調査不足です。情報に対する姿勢が非常に疑わしい。
 記事主は経営学で教鞭をとっておられるようですが、情報なくして経営は立ちますまい。

 まぁ、ブログ主の東原さんは”デスブログ”と呼ばれることを嫌がってらっしゃる、というのは公にされています。
 しかし、だからと言って出るとこ出ましょうよ、というニュアンスではなかったはずです。

 そんな弱い方と言いますか、小さい方でもないと思いますんで、「んもー、ほんっとやめてよね~」とカンカンに怒って見せてオシマイ、という感じではないでしょうか。そこは逞しく、芸能人として仕事の糧にしてやろうという計算も多少あるでしょう。なにしろ、知名度やら、ブログのアクセス数はうなぎのぼりなんですから。


いじめた側の言い訳とそっくりだ。

 私から言わせて頂けば、この方の『情報不足の偏った価値観で決め付ける』という姿勢が、ケンカする生徒二人の片方の話しか聞かずにもう一方を叱りつける『ダメな教師・育て下手の親』という印象が拭いきれません。断定文調を多用される割りには、背景を十分に模索しておられない。会社を経営するようになった教え子が、取引先とそんなやり取りをするようになったら、この方は責任を取って下さるのだろうか。


「デスブログ」を見て人々が笑う構造

 私は、そんな単純なものではないと思っています。それは個人によって解釈は違うかもしれないので、私も断言は出来ません。

 ”デスブログ”のことを語ってやまない人たちは、どこか『笑っていられない、得体の知れない物に対する恐れ』を感じているのではないか、と。
 占いなんか、良い事も悪い事も出てきます。一般的に、良い事だけを信じたがる人が多いとも言いますよね。そして、当たった、外れた、と騒ぎますし、また、そういった”理論に拠らない先見”という摩訶不思議な現象に惹かれるものなのでしょう。”デスブログ”は悪い事件ばかりに話が行きますが、それでも「また、当たってしまったのか……」と言う、人間の能力を超越したミラクルに、ある意味憧れたりもするのではないでしょうか。

 興味を持ってしまう、恐怖におののく、そうやって、一連の流れから目が離せないのでしょうし、若い子たちですとそういった”超能力”的なものを、自分も持ちたいと想像を巡らせるのかもしれません。


 それに対して、駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部教授、”グローバル(広い)”と銘打っている学部の教授が、そんな”ナロー(狭い)”の視点で語られるというのは、現代社会が生む大いなる矛盾、おかしみ、バグ、なのだろうかと。教えられる学生たちは、それを見て、何を想いつつ社会へ飛び出して行くのか。


 深刻に懸念を感じざるを得ないのであります。








 あ、でも学生諸君、私みたいにこうやって分かったようなこと書くブロガーにはなるなよ?(;^-^)




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トイレに行っといれ!?(;^-^)

2013-01-18 23:10:44 | 徒然の日常
はい、またしょーもないタイトルですみませんね!!(^-^;)



 まぁ、ちょっと上品でない話題ではありますが、人間誰しも経験することですからね!!

 ちょっと人目が気になられる方、プライドの高い方、外見にコンプレックスをお持ちの方、どんな方でもね、トイレという個室はプライバシーの名のもとに、仮面を脱ぎ捨てて素に戻ることの出来る理想郷(アルカディア)でございますな!!




肛門「誰だ!!」
うんこ「屁です^^ゞ」
肛門「よし、通れ!!」



なんて話もありましたけれどもね!!(;^-^)





 んまー、ウチのトイレにですね、ウォシュレットをだいぶ前に付けたわけなんですけれども、これがなかなか勢いが強くてですね。普段、水勢を一番弱くしているのですよ。それでも結構、「うひょおおおっ!?」ってなもんでございますが、これ、一番強くしたら、身体突き破って口から水飛び出してくるんじゃないかって心配になってしまいます(;^-^)


 映画『テルマエ・ロマエ』(原作は漫画)でも何度か出て参りましたよね。




(※コミックスⅠ巻より)



 ワンダーウェーブ洗浄ですか、ウチのはTOTOさんのじゃないのでよくわかりませんが(;^-^)

 まぁ、そういった『自分ひとりしか居ない空間』を豊かなものにする為、メーカー各社、技術の粋を投入してみえるわけでございます。ホント、ぶっちゃけ他の人がトイレで、どんな風に過ごすかなんてみんな知りませんからね。覗きでもしない限り!!(;^-^)

 紙で拭くときに、前から拭くか後ろから拭くかで議論が起こった記憶もございますが、それぞれ『自分のやり方・習慣』をこっそり持っているのでしょうねぇ。




 と、前置きが随分と長くなってしまいましたが、今日はそんな話をしたいわけじゃなくてですね、
「様々なトイレがあるみたいですぜ?」
ぐらいの、かるぅ~いお話でございます。


 ま、ま、詳しいことはリンク先で見てみてくださいねえ!!(^-^;)



思わずツイートしてしまった!このトイレ、みんなにも見てもらいたい!


 まるまる1ページ、プラス次のページに1枚ありますね。どうにも下の方が「きゅんっ」てしてしまいそうなのばかりですが(^-^;)


 そういえばですね、最近、男子トイレの小便器を仕切る板を見かけなくなりましたよね。昔はどこにでもありましたのに。経費削減なんでしょうか? その辺の事情、長いこと調べていたのですが、どうにも出てきませんでした。

 検索しているついでに、トイレの歴史なんてのが出て参りまして、これもなかなかオモシロイ。



TOTO トイレ博物館



 もうね、縄文時代から、現代の最新式、さらには国会議事堂仕様まで掲載されていまして、トイレだからってわけじゃあありませんが「う~~~~~~ん(;^-^)」と、なってしまいますね!!




 まー、ストレスに塗れた現代社会、誰しもホッと一息リラックス出来る『癒しの空間』が、トイレでもあります。

 よくテレビなんかでね、『行列の出来る○○』なんてありますが、行列の出来るトイレだけは勘弁させて頂きたいなぁなんて思っておりますが、東京の某デパートなんかではね、試みとして、女性用トイレを有料仕様の立派なものが作られたなんてお話も随分前にありました。ちょっとソース元を紛失してしまいましたが、あれからどうなったんでしょうかねぇ?




 後でトイレに篭って、ウンウン唸りながら思い出してみましょうかね?(;^-^)





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精子はタダであげるモンじゃない!?(;^-^)

2013-01-17 19:46:56 | 徒然の日常
はい、はい、読まれる方は皆、十八歳以上と仮定して書きますよ!!(;^-^)



 いえね、書くネタは山ほどありますんで、今日は何にしようかななんて思っておりましたら、とんでもないお話が出て参りましたんでね!

 今日知ったばかりなのですが、出来事自体はちょっと前のようです。



 まずは、リンクを。(;・・)っ



精子提供だけのはずが――「父親」に養育費の支払い命令 米



 もう既に話題になってきてるようなので、ご存知の方も多いんですかね?

 アメリカで、レズビアンのカップルに無料で精子を提供したら、養育費の支払いを正式にカンザス州から命じられてしまったというお話。


 どうもこれはですね、『医者の手を通していない』のが今回ネックになっているようです。募集広告を見てってだけですからね。

 まぁ、同性愛を認めていない州だからという、政治的な事情もあるようなんですが、だからと言って「州で面倒見れないから、手っ取り早く金を取れるところを決めてしまう」という手は、私は疑問に感じてしまいます。

 実はこういった価値観は、中国で一般的になっていて問題視されましたよね。かなり前にこのブログで記事にした覚えがありますが、倒れている老婆を助けたら、手を差し伸べた男性に医療費が請求されました。他にも、子供を助けた話でも同様の結末でしてね、そこで(中国内でも都市部・農村部などで違いはあるかもしれませんが)中国では、『触らぬ神に祟り無し』と言わんばかりに、誰が倒れていてもほとんどの人は見て見ぬ振りをして通り過ぎるのだそうです。


 ま~~、今回のアメリカの件、情報が漏れなければそれで良かったのかもしれませんけど、こうして世界中にコトが発信されてしまって、米国内でどういう議論になるのか、これからの流れを知りたいものでございます。





 あともうひとつ、私が大変気になった事がございましてね…………。


 昔、イギリスの四人組ロックバンドで『10cc』なんてのがありまして、その10ccが一回の射精量 × 四人分、なんて言われておりました。これは後に否定され、命名は違う由来を提示されましたが、まぁ、個人差もあるとは言え、『だいたいそんなもん』なわけですよ。WHO(世界保健機関)の基準では一回2mlとされています。


 それを、ですね。



精子3カップ分って、どうやって提供したの!?(^-^;)


って話なわけですよ。ちなみに、数回の射精で精嚢はほぼカラになると言われているそうです。


 もうね、生産能力やら、連射能力やら、突っ込まずにはおれませんね!!(;^-^)






 あ、ちなみに、変な話ですが(・・)


 いえ、本当に変な話なんですけどね。



 思春期の若い男性、特に性的接触に慣れてみえない方ですと、『早漏』と言われるのを怖がりましてね、コトに及ぶ前に一回、抜いておく(そうすると脳内で興奮を抑えるホルモンが分泌されるので、お相手する時に若干長持ちする)なんて話がよくありますけれども、実際、射出の勢いが最も強い(遠くへ飛ぶ)のは、精液の粘度が落ちて量もそこそこある『二回目』なのだそうでしてね。

 ちゃんと避妊をしてみえない方にとっては、最も妊娠しやすくする準備をわざわざされているようなものですぞ?(;^-^)


 逆に言えば、不妊でお悩みのご夫婦などは、一晩に二回以上をセットにされると、もしかしたら授かりやすいのかも、しれませんね?(^-^)




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高齢者が陥りやすい罠!?

2013-01-16 19:49:29 | 思考の散歩
 今日の記事は、別に批難しようという趣旨ではありません。

 ジェネレーションギャップのようなもの、と捉えて頂ければ有り難いです。



 こんな話題がありました。







 ちょうど良いサンプルだと思ったんですよね。

 ちなみに、この議題に対してネット上でのリアクションはこうでした。




無職63歳 「新幹線で指定券買ってないけど座りたかった。仕方なく親子連れの子供の席を譲ってもらった」 朝日投書




 まぁ、ひと口に『ネット上』と言いましても、そこそこの年齢(家庭持ちとか)の方々も割りといらっしゃいましてね。

 三十代はそこらじゅうにみえますし、四十代もさほど珍しくはありません。



 イチャモンっぽい書き込みも散見されますが、建設的に「投稿者の論理は、ここがオカシイ」といった理性的な批判も多々、見られましたね。



 一般的に多くの高齢者は、様々な場面で「自分は譲ってもらえる」と考える傾向を持つのだそうです。

 さらに六十三歳というのが微妙な年齢で、この方が子供の頃ですと、五十代から髪が白くなり、六十を過ぎたら腰が曲がってすっかり”お年寄り”という感覚もあったでしょう。子供の頃の感覚は一生付き纏ったりしますよね。

 少々、話はそれますけれど、私が小さい頃に読んだ絵本の中で、暴走する自動車が出てきましてね。
「40きろ、50きろ、60きろ…………すごいすぴーどを だしています」
みたいなフレーズが出てきました。おかげで私、今でもそれぐらいの速度で『すごいすぴーど』という言葉が頭に浮かびます。


 そんなわけで、『六十三歳の自分は年寄りなんだ』という意識もあったことでしょう。
 そりゃ、身体にガタは来ている時期ですから、若者のようには行かないでしょう。お薬を毎日飲んでみえるかもしれません。

 しかし現代、六十三歳(まぁ、外見上どのぐらいに見られるか判りませんが)と言えばまだ”現役”と見られますよね。
 食生活や栄養学、医学や薬学の進歩もあったり、運動習慣が大々的に勧められるなど、八十代でもお元気な方が増えました。

 以前、九十三歳で亡くなるまで現役で指揮を振ってみえた方の話を書きましたが、その少し後に私がエキストラで出た演奏会では、九十四歳の詩人の方が、シャンと立って朗読をなさっていました。先日など、九十九歳の大学生の記事を読んだこともあります。

 そんな時代になりますと、六十三歳と言いますのはちょうど境目あたりと申しますか、年寄り扱いしてくれる方もみえれば、”まだ必要ナシ”とハンコを押す方もみえる感じなのでしょう。



 そこで、ですね。



 人間って、心理学的には『周りから求められる振る舞いをしようとする』動物なのだそうでして。

 例えばヤンキー(ふるっ^^;)ですと、周りからそういう目で見られているという自覚があるので、人前で善行など恥ずかしくて出来ないですとか、或いはほとんどの女性は『女性として見られている』から男性のようなハシタナイ事は出来ない、ですとかね、そういうものらしいんですよ。

 逆にそういった抑圧が反動を生むこともあるようです。
 また話がそれてしまいますけれど、社会的に高い地位の方(社長とか重役など)が風俗などで赤ちゃんプレイに走って「ばぶぅ」言ってみたり、警察官やお坊さんなどが風俗では暴れたりなんて傾向もあるようです。

 いや、なんで風俗の例を出すって、素直な欲求として人格的な仮面を脱ぎ捨てる場所ですから、例として打ってつけなんですよ^^;



 そんな感じでですね、六十三歳でまだ早い気も致しますが、”お年寄り”として扱ってもらえることが増えてきますと、『自分は譲ってもらえる存在なんだ』と認識するようになるんだそうです。


 これがですね、実は、交通事故にも発展する話なんです。



 交差点ですとか、或いは何かの敷地から道路へ合流する場面でですね、つい「相手が譲ってくれるだろう」と、そのまま出てしまってぶつかる事案が高齢者に多いのだとか。
 もっと言えば、「相手は気付いてくれている」「見てくれている」という意識が芽生えて、その車に気付いていない相手が驚く、と。

 また、譲られることに慣れてきますと、「これが人間の美徳である」と信じるようになりますし、それが逆に「どうしてこの人は譲ってくれないんだ、嘆かわしい」という価値観を生むケースはよくありますよね?



 そんなわけでですね、最初に貼った画像の件は、そういった一環ではないかと、私は思ったわけです。







 ええと、あとですね。(;^-^)



 邪推で恐縮なんですが、さらに突っ込んでしまいますと。


 新聞社が多少推敲されたのかは定かではありませんが、件の文章が『出来すぎている』と思うんですよね。普段、よほど文章を書かれる方でないと、なかなかああいった文章にはならないと思います。仕事として書かれる(書かれていた)方の筆運びと信じて疑いません。


 スレッドのリアクションでもありましたが、「新聞社は、”どうして”この記事を採用したのだろう?」と、私も強く疑問を感じましてね。

 そこで私、つい思い出してしまった話がありました。


 昔、ちょっとご縁のあった方で、某新聞社で偉いさんだった方がみえましてね。編集長でしたっけか。
 まぁ、よく朝刊や夕刊の一面下部で、編集部の方が文章を書かれるコーナーがありますよね。アレ、複数の方が交代で書かれているらしいのですが、その知り合いがある日、どこかの会社と喧嘩したらしくてですね、カンカンだったようなんです。

 そこで、「おい、今日は俺に書かせろ」と筆を取り上げまして、その会社の悪口を書き殴ってやったら先方が「勘弁してくださいよ;;」と折れたのだそうです。



 つまり―――――――ー








 
これ、朝日新聞のOBが鬱憤晴らしてるだけじゃねえのか?(;^-^)




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