ホセリサールさんって知らなかったけど、伝記ドラマか何かにすると面白いかも!ロマンスもあるし。

日比谷駅を上がり、日比谷公園に入ります。
少し堤のようになっているところを上がると、見出し画像に載せた心字池が見えます。
左の案内板にあるような形のようですけど、心の字をとったから心字池。各地にある形式のようですね。旧安田庭園では「心事」としていましたが。
心と言ってもくずし字でしょうから、うねうねとなっていれば、そうなるような気も。ちなみに、心のくずし字は、いろんな字体があるのですね。「心」(U+5FC3) | 日本古典籍くずし字データセット (rois.ac.jp)

日比谷通り側にひっそりとある彫像、ホセリサール博士像。
日比谷東京ホテルに泊まったというだけのことが書かれています。
ホセリサール氏は、フィリピンの革命家。実際には、著作家という感じだったようで、スペイン治下のまま暴力を用いずに穏健な改革を望むものであったそうですが、スペイン官憲は、それをも危険視し、逮捕・流刑に処します。流刑先では、医師・教師として活動していたようですが、期間満了後、軍医として勤務している際に、別組織が起こした革命暴動があり、反乱教唆として処刑されてしまいます。
とばっちりような気もしないでもありませんが、植民地支配という体制が既に末期と化していたということもあるのでしょう。
その翌々年にはフィリピン第一共和国が成立しています。その共和国政府も米国に鎮圧され、再度植民地化してしまいます。
日本との交流は、二回目の留学の際、立ち寄ったということのようです。その際は、貿易商の娘と仲良くなり、滞在は2ケ月にわたったとのこと。ちなみにその話は、彼の没後、明らかとなり、フィリピン大使館では、彼の誕生日には、現在でも彼女の墓に献花しているとか。
その後、米国に向かう船で、自由民権運動の志士 末広鉄腸氏と意気投合します。末広氏は、のちに衆議院議員にもなったそうですので、彼の思想に共感する人々もいたのかもしれません。
日比谷公園を進み、三つ目のスタンプポイント、日比谷図書文化館に向かいます。
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