りぞあかぶろぐ2
ココログで2006年から掲載してきたライフログ「りぞあかぶろぐ」の第2弾です。




浅草観光の入口、二天門です!

 

 仲見世の喧騒を避けて、二天門に向かいます。二天門の近くには、この連続記事の当初の方でも触れましたが、台東区立台東区民会館駐車場があり、観光バスが駐車できるようになっています。その意味では、浅草観光の入口とも言えるでしょう。

 冒頭写真は、その近くにある白浪のオブジェ。白浪は、歌舞伎などの泥棒を主人公にした演目ですが、なんで泥棒がもてはやされるんでしょうね。まあルパン3世なんかもそうか。

 次の写真は、二天門前の手水鉢。明和6年頃(紀元2429キリスト暦1769)(歴年表示の考え方)献じられ、この付近に設置されているとのことです。250年以上ということですね。

 左の写真は、仁王様。

 増長天だとのことですが、ここは東門だと思うのですが。

 増長天は、四天王の一神で、南方天ともいいます。

 もう一つ対になっているのは、持国天です。

 持国天は、東方天なので、違和感はありませんが。

 これらの像は、戦災で、前の像が修理先で焼失した後、昭和32年(紀元2617キリスト暦1957)に上野・寛永寺の厳有院(四代将軍徳川家綱霊廟)から拝領した像とのこと。修理していなければ、無事だっただろうに像についても不思議な縁があるもので。

 江戸時代初期の作で、都の重要文化財に指定されています。「寄木造(よせぎづくり)」という、鎌倉時代以降に流行した複数の木材を組み合わせる技術で造られているそうです。

 二天門自体は、慶安2年(紀元2309キリスト暦1649)に浅草寺の東門として創建されたもの。当初は随身門といわれ、豊岩間戸命、櫛岩間戸命を守護神像(随身像)として左右に祀っていたとのこと。明治17年(紀元2554キリスト暦1884)、神仏分離によって随身門に安置されていた随身像は、浅草神社に遷座されて、鎌倉の鶴岡八幡宮から広目天と持国天の像が奉納され、このとき名称を随身門から二天門と改めたそうです。それが焼失した像ですね。広目天は、ちなみに、西方天です。二天門は境内に残る江戸時代初期の古建築として貴重であり、国の重要文化財に指定されているそうです。平成22年(紀元2670キリスト暦2010)に大改修を終えて、創建当初の鮮やかな姿によみがえったとのこと。 

 まずは、浅草神社にお参りします。

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