りぞあかぶろぐ2
ココログで2006年から掲載してきたライフログ「りぞあかぶろぐ」の第2弾です。




新年あけましておめでとうございます!今年一番目の記事は、浅草名所七福神 矢先稲荷神社です!

 

 

 

あけましておめでとうございます!ナマムスは、新年のお酒がおいしく飲めるよう、節酒にがんばりました!

 

 新年あけましておめでとうございます!

 本年もよろしくお願いします!

 さて、かっぱ橋商店街の裏手にあたるのでしょうか。矢先稲荷神社です。

 浅草名所七福神の福禄寿となります。

 寛永19年(紀元2302キリスト暦1642)(※歴年表示の考え方)11月23日、時の三代将軍徳川家光公が国家の安泰と市民の安全祈願ならびに武道の練成のために、江戸浅草のこの地に三十三間堂を建立しました。三十三間堂では弓の射技練成のために「通し矢」が行われており、通し矢は先人に勝てば堂に掲額できるとあって武士としての名誉となり、大いに流行したとの由。この通し矢は江戸市民にも観覧が許され、評判を博しましたとのこと。京都の三十三間堂にならって建立されたこの堂の守護神として稲荷大明神を勧請し、その場所がちょうど的の先にあたっていたので「矢先稲荷」と名づけられましたとのこと。

 上の写真は、手水舎ですね。

 左の写真は、境内にあった立派な木です。台東区の保存樹木に昭和58年(紀元2683キリスト暦1983)に指定されているようです。

 ご祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと) を祀られているとのこと。ご神体は上野東叡山寛永寺の祖慈眼(じげん)大師(天海大僧正)によって寄進され、「御府内寺社備考」によると「木造で翁の型をして稲を荷い、7寸8分、弘法大師作」となっているとの由。

 倉稲魂命は、千束稲荷の時に書きましたが、稲荷神として信仰される神様。

 食物の神ともされ、農の国でもあったかつての日本で、広まるのもわかるような気がします。

 さて、設立された三十三間堂ですが、元禄11(紀元2358キリスト暦1698)年9月6日、浅草を中心として大火で焼失してしまいました。その後、三十三間堂の方は深川に移転を命ぜられてしまいましたが、その鎮守である当社は信仰心の篤い町民の要望で当地の産土神として再建が許されたとのこと。

 左の写真は、唖の狛犬ですね。稲荷なのに、狐ではないのですかね。

 ちなみに、深川に移転した三十三間堂ですが、廃仏希釈の影響で、明治5年(紀元2532キリスト暦1872)に廃寺となってしまったとのこと。

 その次の写真は、云の狛犬です。

 福禄寿は、血のつながった実子に恵まれる福星、財産的な幸運である禄星、長寿を示す寿星を神格化した神とのこと。

 福星は木星とされ、禄星は、緑色の服装で描かれることが多く、寿星は、南極老人星で、寿老人と同じだそうです。

 三星は、象徴物のみが描かれることもあり、その場合は、寿星のみが人物として描かれたとのこと。

 そのあたりが、寿老人と福禄寿が混同されたり、福禄寿が一人だとされた理由だとか。

 天水桶は昭和の品ですかね。

 井戸は最近のようです。

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