このブログ、地方に住む在家信者による、幸福の科学の布教ブログですが、時折、自動車関連記事を投稿しています。
私は自動車大好き人間ですが、「最も高い嗜好品」と呼ばれる自動車という商品からは、その作品が持つ社会性からは、色々なものが見えてくるから不思議です。
前作が日産スカイラインGT‐Rで、途中で話題を切りましたので、今回も続編を書きたかったのですが、90年当時世界最速と呼ばれた大物を語るには、もっともっと勉強しないといけないようです。
えっ、「あんたは、もっと仏法真理や心の救済の方面に関して、勉強しなさい!」と・・・。(爆笑)
す・・・すみません。
で、本日は、私の最も得意なカテゴリー作品である、小さな自動車の話。
そう1981年発表のホンダシティが、今日の主役です。
ホンダには、自社製品を作る上で、一つの明確な”思想”があります。
それが、M・M(エムエム)思想。
これは、マン・マキシマム/メカ・ミニマムの略で、要するに、「人の空間は最大に、エンジンなどのメカ系のスペースは最小に。」というもの。
このM・M思想は、シティ登場以前のホンダ車にもあったのですが、ホンダ的に言えば、それを突き詰める作品を世に出せてはいなかったと思われるのです。
それというのも、初代シビックがあまりにも偉大な作品だったので、2代目シビックも、初代から、あまり姿を変えずに世に出す必要があったし、他にもアコードなど、初代シビックの延長上にある成功作があって、当時のホンダは、思い切ったパッケージ改革ができていたとは言い難いところがあります。
81年当時は大ヒット作であるシビックもアコード2代目に移行していましたが、どうしても企業イメージが地味で、かつてのはつらつとした企業イメージが薄れていたけれども、80年代のホンダは、「かつての成功を棄てられるか。」という岐路に立っていたと思うのですね。
ホンダシビック(初代)とアコード(初代)
そんな中、さっそうと現れたのが、M・M思想を「原理主義的」とも言えるほど、とことん突き詰めたシティだったわけです。
ビックリしたのは、当時高校生だった私だけではないはずです。
何が驚いたって、「短くて、背が高かった」ということ。
シティ登場まで、全長が短く、背の高い自動車はかっこ悪いとされていました。
しかしそれは奇をてらったものではなく、ホンダに元々あった、M・M思想の「これでもか!」という具現化だったのですね。
というのも、エンジンを始めとするメカが、車体前方に押し込められているのが、透視図を見ればはっきりわかります。
これは今のホンダ車にも共通する特徴で、ガソリンタンクが車体中央にある以外は、パッケージに関しては、初代シティと、基本的は変わらないところがあります。
パッケージというのは、「何を、どこに、どれだけ配置するか。」ということです。
ただシティの凄いところは、通称「コンバックス」と呼ばれたエンジンを、シティ専用に開発し搭載していること。
エンジンというのは、開発するのに100億円かかると言われるほど、開発費のかかる代物ですので、できるだけ多くの車種に搭載して、利益を出して開発費を回収したいのですが、コンパクトすぎるシティのボディの前端に押し込めるには、コンパクトなエンジンが必須だったのでしょう。
通常だと、開発費を抑えるために、今あるエンジンを納めるだけのボディにするのですが、さすがエンジン屋というか、原理主義的というか、「ホンダは、やるときにはやるにゃぁ。」と感心します。
なぜシティ専用エンジンかというと、その後このエンジンは、シティ以外に使われていないから。
超ロングストロークエンジンで、しかも、ピストンとピストンのあいだがほとんどなく、1231㏄だったエンジンは、これ以上排気量を増やすことはできない、販売目線で言えば、とてもリスキーな作品です。
しかも、このコンバックスエンジン、4気筒エンジンなのに、3気筒並みにコンパクトに押し込められていて、エンジンルームとほんどには余分なスペースがありません。
「よくこれで、後々、インタークーラー付きターボなどできたものだ。」と感心します。
4気筒エンジンは、燃焼の関係上、どうしても吸気干渉と排気干渉が発生します。
つまり、空気の取り合いと排気ガスのぶつかり合いが起きてしまうのですね。
軽自動車などに積まれている3気筒エンジンだと、この吸気・排気干渉がありませんので、吸気管も排気管もコンパクトに設計し搭載することができますが、4気筒だと、吸気・排気干渉をさけ、理想的な吸気管と排気管にするために、十分な空間が必要で、だから軽自動車は、エンジンが積んであるボンネットがほとんどないようなデザインが可能ですが、4気筒を積んでる自動車は、前輪の前に、もっさりとした顔(フロントオーバーバンク)がついています。
驚くべきことに、シティは、フロントオーバーバンクがほとんどありません。
「これでよく元気に走れたものだ。」と思うのですが、ロングストロークなエンジンはパワーよりトルク(回転する力)が強いのと、655~745kgという軽い車体が利いていたのかも知れませんね。
しかしこのM・M思想の申し子初代シティ以降、ホンダは背高作品を作らなくなってしまいました。
全長が短く背高だと、どうしても高速安定性では不利だからでしょうか、ホンダは傑作初代シティ以降、低重心の実現に向けたパッケージの工夫を、今まで続けることとなります。
しかしそれは、通称「走る実験室」と呼ばれるホンダにとっては、M・M思想の次のステージへの挑戦なのだろうと思います。
それだけホンダは、革命的な作品が多いのです。
革命は、思想から生まれます。
幕末維新革命は吉田松陰先生の思想、フランス革命はカントやルソーの思想、ロシアなど共産主義革命はカール・マルクスの思想でしょう。
今世界では、新たな神の思想が広がっています。
大川隆法幸福の科学グループ総裁の法です。
10月12日(金)よりは、アニメ映画『宇宙の法・黎明編』で、その広大な法を、映像を通して知ることができます。
ということで本日は、経典『ダイナマイト思考』(幸福の科学出版)より、決して古くならない、民主主義の根底にある思想をご紹介いたします。
(ばく)
映画『宇宙の法ー黎明編ー』スペシャルインタビュー映像
初代 CITY CM
https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=183
日本には民主主義が繁栄しているように見えますが、日本の民主主義の基礎にあるものはにせものです。私はそれをはっきり述べておきます。民主主義の基礎にあるものは「神の心」でなければならないのです。
民主主義が始まったのは二千何百年か前のギリシャでしょう。ギリシャの国は神を百パーセント信じている人たちの集まりでした。神を信じている人たちが、神の理想を実現するために、心を寄せ、みんなで努力して政治を行なっていたのです。そのような理想があってこそ、真なる民主政というものが成り立ったのです。
神というものがなくなれば、多数が集まったとき、そこに現われるものは衆愚政です。そして一部の独裁者によって迷わされる全体主義が始まっていったのです。ヨーロッパで崩壊した全体主義の流れを見てください。神なき指導者たちが教えた指導方針のもとにやってきた国の体制が崩れたのです。
宗教と民主主義とは両立しないものではありません。一体のものなのです。その基礎に神を信ずる心があってこそ、人びとは理想に向かって努力をし、その努力が素晴らしい政治、経済を生んでゆくのです。
日本の民主主義は物質的なる繁栄のみであって、そのなかに心がありません。精神がないのです。これこそが、いま求められているものであり、変革を余儀なくされているものなのです。
私たちがやろうとしていることこそが、真の民主主義の道なのです。
これは私だけの考えではありません。マックス・ウェーバーという社会学者も、『古代ユダヤ教』という本で、「民主主義の時代には宗教が繁栄する」と書いています。その通りです。一人ひとりが、神の心を求めて、真なるものを求めて活動するときに、社会は繁栄するのです。だから民主主義と宗教は一致するのです。
そして真なる民主主義は、徳治政、徳治主義とも一致するものなのです。
真に人びとが神の理想に燃えて努力し、おたがいのなかから最高の人を選んでいく過程を取り、そうした人を選んでいったならば、その頂点に立つ者は、最も徳高き者になるのは当然のことであって、民主主義の真なるものは徳治主義とまったく同じものとなっていくのです。
これを間違えてはいけません。
『ダイナマイト思考』(幸福の科学出版)P247~249
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