親子とは似ている。正反対だと思ったら、なおさら似ていると思っているから、そう思って正反対になった。だから親子とは似ている味がある。その味は親も子も実は知らない。お互いが嚙み合わないと、その味は感じない。ただの葉っぱのように暮らしても、同じように赤い実が出来て、小さな小鳥に分けてる
そういえば、酸っぱい生き方しかできない。誰かに甘く出来るような器用さもない。まあ誰も自分たちに甘さを求めて来ないだろう。今日は日陰で乾いた話でまったりしている見るからに、すっぱそうな果実の会話が気になった。酸っぱい果実は、そういえば甘い顔が出来るのに酸っぱい顔はできない。プロだな
雨宿りでしょうか。いえ、夜明けの夜露が気持ちいいサウナなんです。小さな野原の足元には、誰かに踏まれそうで、今まで踏まれなかった、小さなキノコがいます。傘は何をする時も必需品です。お高い傘は不要です。身丈に合った傘を母から譲り受けておりますゆえ。夜露はどこから降るのですか。今朝は。
そらまめは口を開いても、ちゃんとしている。当たり前のようで当たり前では無い事実かも。野菜は毎日同じ様に土から空から空気からと同じ物をもらって働いてる。なのに大きさも形も、味も見た目も、色も違ってくる。もしかすると、土から出るまでどんな野菜になれるのかは、そらまめも知らなかったんだ