マイペース投稿して参ります。
11月半ばに「直前になりましたので、改めて手術と方針の話をさせて欲しい」との事で、病院へ。
11月の予定日前に公休や有給を使ってそのまま育休に行くつもりだったが、10月の半ばからは、呼び出されては、有給を頂いて休むという日も多く、自分の子供は普通では無いんだなと思わされていたが、人間とは慣れる生き物である。
非日常が日常に落とし込まれるものである。
病院へ着くと一室へ案内された。
そこには、
小児循環器の部長さんと副部長さん
産科の部長さん
助産師さん
今日の担当の看護師さん
がいた。
もう子供の状態は大きな変動はなく、少しでも予定日まではお腹にいてもらって、大きくなってもらえたらという状態である。
なので、方針や手術の事も何度も聞いたことを、改めて詳しく話をされていくというものであった。
簡単に言えば、両者の共通認識の擦り合わせに近いものだった。
妻も自分も、この運命を受け入れているので、存外穏やかなものであった。
説明を受けて、頷いては、改めて咀嚼して、理解していく。
心臓については普通の人よりは詳しくなったのではなかろうかと思うほどである。
ずっと小児循環器の部長さんが説明してくれて、副部長さんが記録していく。
その中で、遅れて1人現れた。
説明の途中だったので、チラッとしか見えなかったが中年の男性だ。
いや、そんなことよりは今は説明をしっかり聞こう。
昔から自分は集中力がないと小学生の時代から今日に至るまで言われていたし、自分もそうだと思っていたが、我が子の事となるとしっかりと聞くもんだなぁなんて思っていた。
こんなことを思っているから集中力がないじゃないか?って?
私もそう思います。すいません。
そして、説明等含めて、20分くらいであろうか。
小児循環器の部長さんの説明が終わった。
そして、たくさんの説明や、手術の方針やその過程で必要な同意書にサインをしていく。
まだ産まれていないし、出生届は出ていない。
しかし、患者氏名の所には、子供の名前を書かなければならない。
これ書いていいものなのかどうか?を聞くと
「〇〇(苗字)にBBでお願いします」との事。
BABYという事か。
何故に英語なのだ?と思ったがカルテはそもそもドイツ語だったっけ?なんて思いつつ患者氏名には1年でもこんなに書くことはないだろうと思うくらい「B」を書いた。
そしてその下には、自分達の名前と続柄を。
これから、うちの子は、大変な試練が。
そして死線をくぐり抜けて行かなければならない。
それを、物語る用紙の数である。
すると、サインをしているところに、途中から入ってきた中年の男性の人と小児循環器部長の方が話している。
妻も私も思った。
「「誰だこの人???」」
そして、小児循環器部長さんが言う。
「次は心臓外科の先生からお話がありますので」
私は思った。
「え?まさかこのおじさんが?!」
すると、私達の席とは90°の角度に位置する席に座り、
「え〜心臓外科医の〇〇です。最初に言うときます。絶対に助かるなんて思わんでくださいね?」
空気がピリッと張り詰めるのを皮膚で感じた。
「それくらい難しい手術です。しかも、新生児。身体が小さく、心臓ももちろん小さい。私が今まで経験した状態の悪い赤ちゃん。1キロあるかないかくらいの子達の手術もさせて頂きました。生存確率は50%くらいですかねぇ。今回の赤ちゃんよりもっと状態が悪い子達の確率だとこれくらいでした。それは、ご理解してくださいね」
ドクターという仕事の大変さを垣間見た瞬間だった。
現実と経験。
たくさんの赤ちゃんの。
そしてたくさんの人々の大切な臓器である心臓を手術したからこそなのであろう。
見た目は50代かなと思われるその男性医師からは、今まで感じたことないオーラを感じた。
今までたくさんの人々の死にも直面して、救えた命・救えなかった命。
その全てを背負って、この場に来ているのだろうとこっちに思わせるほどの雰囲気を醸し出している。
私達より更に奥を・先を見ている様な目線に、尊敬より、何より恐怖を感じた。
そして、その言葉が、穏やかな気持ちを、現実へと引き戻した。
大変だと思っていたが、それは子供の事だけ。
それを救おうとしているお医者さん達も、ハチャメチャに大変なのだ。
医療は時に、融通が利かず、ムカつく事もあるだろう。
しかし、今はこの方々にすがるしかない。
溺れる者は藁をも摑むと言うが、一気にそんな心境にさせられた。
その後は、小児循環器の部長さんと同じ内容だが、観点が心臓外科の物で、手術の説明をされる。
チラッと名札を見る。
あー。
この人も部長さんだ。
色んな科の錚々たる面々がうちの子供を観てくれるのだなと思うと、ありがたさもあるが、少しの焦燥感を抱きつつ、また更に、同意書にサインをして行くのであった。
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