![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/4b/f51c0fcab68c412aeac4347de484744a.jpg)
アーティストは謎だ。
謎だからよくわからない。
そもそも、言っていることがよくわからない。
やっていることもなんだかわからない。
で、オレはアーティストか。
言っていることも、
やっていることも、よくわからないではないか。
とはいえ、ぜんぜん、まったくわからないわけでもない。
なんとなくわかる。
なんか笑っちゃう、ものもある。
おもしろい、とも思える、ものもある。
でも、よくはわからない。
さっぱりわからない、わけでもない。
笑えるわけだから。
面白がれるわけだから。
ただ、わけがわからない。
おそらく、それほどわかるべきことがない。
内容がないのか。
意味もないのか。
いや、そうではない。
内容は、ある。
笑えるわけだから。
意味もあるといえばある。
面白がれるわけだから。
だが、説明するほどのものではない。
そして、説明?を聞いたところで、
なにかがわかるわけでもない。
やっぱり、よくわからないと思うだけだと思う。
なんだか、おかしい。
よくわからないが、おもしろい。
「なぜ」そのものが笑えるというのがいいと思う。
おもしろいと思える人は説明?を聞かなくてもおもしろいと思ってくれると思う。
また、見て最初におもしろいと思えない人は、説明?を聞いたところで笑えるとは思えない。
なるほど、とかいうかも。
だからといって、わかったわけでもないのだと思う。
笑わせたいとは思っている。
笑えるものが好き。
笑えるアートはアートの敷居を下げる。
そして、しかしそれは品位を下げることにはならない。
冗談ではないのだ。
ギャグでもないのだ。
でも、バカバカしかったりするのだ。
なんだか、とてつもなくくだらなかったりもするのだ。
死ぬような思いをしてつくった、
おそろしくバカバカしいアートを見て、
笑ってはいけないなんてことはない。
美術館ではお静かに教育が行き過ぎてて、ぶー。
アートは崇高なものでもあるが、
と、同時にたかが人間が作ったものでもある。
笑うだけではもったいないものもあろうよ。
圧倒され、感動し、後に笑っていただきたい。
想像していただきたい。
レオナルド・ダ・ヴィンチが、
ピカソが、
モーツァルトが、
平山郁夫が、
飯も食えば、屁をひり、糞もし、足の小指をどっかにぶつけて痛がる、
せいぜいが呼吸しても、ただのホモサピエンスだということを。
同じです。
同じだから笑える。
たかが、人間が作っているものなのだ。
そのエネルギーを笑え。
喜びの笑顔を放出させよ。
凄さに震えて、挙句に「なんでねん」って突っこんで。
表現という欲求に忠実に従った、従うことを自分に許した、従うことを許された、
あるいは困ったちゃんたちの暴走を受けとめ、その距離を笑え。
ってなんの話。
だから、
さあ、オレはアーティスト?
アーティストは謎だって言ったじゃん。
よく、わからないこと言って、やってるってとこは及第。
だから、一応オイラはアーティスト、みたいなことする人。
だって、謎だから。
ね、ほら、アーティスト。
でた、ほら、ぼけ、みたいな。
そして、なんだか脱線しているうちに眠くなってきました。
こんなこと、誰が気にしようか。
いや、オレが。
寝るぞ。