15年ぶりの同地のイベント。講師は林慎吾事務局長 参加者は22名。たくさん歩きました。
ルートは竹田から淀まで主に鳥羽街道沿いを歩きます。
まずは鳥羽伏見の戦いのおりに薩摩軍の本営になった「安楽寿院」を含むビッグスケールな『鳥羽離宮址』に向かいました。
当時の歴代の天皇陵の前を歩きもって大河ドラマではどの天皇の役はどの俳優がしたとか…盛り上がりながら、春には枝垂れ桜で有名な『城南宮』に着きました。
ここは、京都を攻めるにも守るにも重要なポイントの『小枝橋』に真っ直ぐ到達できる大切な場所であったので、薩摩軍は当時、表参道に四門のアームストロング砲が並び守備していたそうです。
この「小枝橋」に薩摩軍の最前線が布陣し鳥羽街道を北上して来た幕府軍は 「小枝橋」の南「赤池」付近で薩摩軍と遭遇。
押し問答の末、薩摩軍の大砲が火を噴き 鳥羽伏見の戦いが 始まったそうです。
実際 「赤池」から「小枝橋」って 目で見える距離なんですよ。凄いよ!この距離で大砲を打ったんだ。そりゃひとたまりもないよね。
距離を感じ、実感しました。やっぱり来て良かった。
だから、史跡巡りは素晴らしいです!
さて、その「小枝橋」近くにある 「おせきもち」っていう甘み処のお店に事務局長が案内して下さいました。
「おせきもち」とは… 粒餡がポテッと乗った白餅と蓬餅の二種類で、コシが強くて黒文字でもなかなか切れない、もっちりとした、きめの細かいお餅でした。
素朴でホッとする優しい美味しさで幸せなひとときでありました。
甘いもの好きな新撰組局長の近藤勇が好物で通われたという通説にもうなずけます。
事務局長、ご馳走さまでした。おいしかったぁ〜。
その後、激戦地であった鳥羽街道をひたすら歩く歩く歩く… 途中、タクシー移動しますと言う事務局長の声を聞きましたが。タクシーが拾えそうにないのでまた歩く歩く歩く。
道幅が狭く一人で歩き続ける無言の時間に、この鳥羽街道を負傷して敗走していた東軍兵士達は、どんなに辛かったんかと考え思い続けておりました。
何ヶ所か 「東軍兵士の墓」にお参りしました。
その都度、事務局長夫人と子息が持参くださり火を付けてくださったお線香を各人が供えさせていただきながらご冥福をお祈りさせていただきました。
東軍兵士は既に賊軍となっていたので 死骸は各地でそのままにされていたそうです。それを住民達が集めて何ヶ所かで供養されたとのこと。合掌。
そして日も暮れかけた時間に、本堂内陣に東軍の砲弾が飛び込んだという「妙教寺」に着きました。
門の中に入って、こんな時間にどうしたもんかなと皆で少し戸惑っていたら… スッと「我らが正井さん」が庫裡のインターホンを押し、御住職とやりとりされた後に… なんとなんと、全員が本堂の中に入れていただきました (お二人はお友達だそうです)
そして、御住職に丁寧に東軍の砲弾跡三カ所、どの方向から入ってどこを貫いてどこに着弾し、不発だったのでお寺は燃えず助かったと言う説明をいただき、さらに当時の御住職が内陣の柱の傷跡をふさいだ木片の裏にその状況を刻んだ文章を書かれていたので、読ませていただく事ができました。
また、その時の本物の不発弾を持たせていただきました。信管を抜いた椎の実型のずっしりと重い砲弾でした。
両腕で抱えないといけないくらいの重さで こんなに重たいもんなんやと 少しビックリしました。
普通は中になかなか入ることの出来ない本堂の中に入れてもらって、貴重な体験をさせていただき、御住職の親切な説明までいただいて、本当に有り難かったです。
素晴らしいサプライズでした。 感動致しました。
ルートは竹田から淀まで主に鳥羽街道沿いを歩きます。
まずは鳥羽伏見の戦いのおりに薩摩軍の本営になった「安楽寿院」を含むビッグスケールな『鳥羽離宮址』に向かいました。
当時の歴代の天皇陵の前を歩きもって大河ドラマではどの天皇の役はどの俳優がしたとか…盛り上がりながら、春には枝垂れ桜で有名な『城南宮』に着きました。
ここは、京都を攻めるにも守るにも重要なポイントの『小枝橋』に真っ直ぐ到達できる大切な場所であったので、薩摩軍は当時、表参道に四門のアームストロング砲が並び守備していたそうです。
この「小枝橋」に薩摩軍の最前線が布陣し鳥羽街道を北上して来た幕府軍は 「小枝橋」の南「赤池」付近で薩摩軍と遭遇。
押し問答の末、薩摩軍の大砲が火を噴き 鳥羽伏見の戦いが 始まったそうです。
実際 「赤池」から「小枝橋」って 目で見える距離なんですよ。凄いよ!この距離で大砲を打ったんだ。そりゃひとたまりもないよね。
距離を感じ、実感しました。やっぱり来て良かった。
だから、史跡巡りは素晴らしいです!
さて、その「小枝橋」近くにある 「おせきもち」っていう甘み処のお店に事務局長が案内して下さいました。
「おせきもち」とは… 粒餡がポテッと乗った白餅と蓬餅の二種類で、コシが強くて黒文字でもなかなか切れない、もっちりとした、きめの細かいお餅でした。
素朴でホッとする優しい美味しさで幸せなひとときでありました。
甘いもの好きな新撰組局長の近藤勇が好物で通われたという通説にもうなずけます。
事務局長、ご馳走さまでした。おいしかったぁ〜。
その後、激戦地であった鳥羽街道をひたすら歩く歩く歩く… 途中、タクシー移動しますと言う事務局長の声を聞きましたが。タクシーが拾えそうにないのでまた歩く歩く歩く。
道幅が狭く一人で歩き続ける無言の時間に、この鳥羽街道を負傷して敗走していた東軍兵士達は、どんなに辛かったんかと考え思い続けておりました。
何ヶ所か 「東軍兵士の墓」にお参りしました。
その都度、事務局長夫人と子息が持参くださり火を付けてくださったお線香を各人が供えさせていただきながらご冥福をお祈りさせていただきました。
東軍兵士は既に賊軍となっていたので 死骸は各地でそのままにされていたそうです。それを住民達が集めて何ヶ所かで供養されたとのこと。合掌。
そして日も暮れかけた時間に、本堂内陣に東軍の砲弾が飛び込んだという「妙教寺」に着きました。
門の中に入って、こんな時間にどうしたもんかなと皆で少し戸惑っていたら… スッと「我らが正井さん」が庫裡のインターホンを押し、御住職とやりとりされた後に… なんとなんと、全員が本堂の中に入れていただきました (お二人はお友達だそうです)
そして、御住職に丁寧に東軍の砲弾跡三カ所、どの方向から入ってどこを貫いてどこに着弾し、不発だったのでお寺は燃えず助かったと言う説明をいただき、さらに当時の御住職が内陣の柱の傷跡をふさいだ木片の裏にその状況を刻んだ文章を書かれていたので、読ませていただく事ができました。
また、その時の本物の不発弾を持たせていただきました。信管を抜いた椎の実型のずっしりと重い砲弾でした。
両腕で抱えないといけないくらいの重さで こんなに重たいもんなんやと 少しビックリしました。
普通は中になかなか入ることの出来ない本堂の中に入れてもらって、貴重な体験をさせていただき、御住職の親切な説明までいただいて、本当に有り難かったです。
素晴らしいサプライズでした。 感動致しました。
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