![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/98/ee1e05ca28df13535e85413ac648aa43.jpg)
僕自身のための広告 そして子供たちの感性を大事にしよう
小学生の頃 絵画展に作品を出すと
何かしら景品を頂きました
クレヨンやクレパスや不透明水彩絵具など
きっと先生が手直ししていたのでしょう
中学生の頃
華道を茶道をかじりました
でも
興味が湧きませんでした
中学時代も絵は描いていましたが 学校では描きませんでした
それは 私が透明水彩を描く際に 白は使ず
画用紙の白をそのまま使って書いた絵に
塗り残しだと美術の先生から相応の注意を受けたからです
卒業間近に新しく赴任してきた美術の先生から
一枚だけでいいから描くように何度もいわれ
落葉した紅葉の葉の集合体の絵を一枚だけ描きました
もちろん白色の絵の具は使いませんでした
やはり 景品はもらえませんでした
ただ 校長室に 額に入れられ飾られていたそうです
美術の先生の「ごめんなさい」の言葉が今も思い出されます
その後知ったのですが
新しく赴任してきた美術の先生は、美術界では結構名前の通った人でした
高校では写真部に入部しました
最初の作品が全国学生写真連盟西部支部?で推薦をもらい
景品がフイルムや印画紙でした
景品欲しさに写真を続けました。
みんなが上達したため もらえくなったので止めました
高校での美術の先生は結構有名な画家の人でしたが
とてつもない変人でした
何しろ 早稲田で8年も勉強されたのですから
この先生からは何かにつけ目にかけていただきました
私は「絵は 人に見せるために描く絵と自分だけのために描く絵がある」と
自分の絵に自信がなかったため主張しました
それが 大きな失敗
何かにつけますます目にかけてもらうことに
それ以降の私の絵は すべて未完成の状態で終わらせることにしました。
今 現在 たまに描く事がある絵も、どこかに未完成部分を残すことにしています
建築設計も
将来は公害により「無窓建築」になるなどとのたまいながら・・・手抜きに専念しました
商業建築はフロアーごとに4つの階段で・・・なんて言いながら設計(スケッチ)した図面は
時が少し経過したある日 銀座に建つ商業建築物が建築雑誌に発表されてて・・・・・・
建築設計の先生がその雑誌を持ってきて 君の描いた図面そっくりな建物が銀座に建つようだと言ってきました
誰でも同じようなことを考えるもので別に驚くことでもありませんでした
学校を卒業し東京日本橋の建築設計事務所に就職し1年ほどした頃
とある鉱山の立坑部分のスケッチをすることになり
部長より2名が指名され その内の一人なってしまいました
私の描いたスケッチは依頼された立坑と解体される古屋まで描いてしまったと言うことでしたが
別の意味で金一封がクライアントのトップから頂くことになりました
その時の部長もまた画家としても名の通った人でした
当然、アドバイスを受けながらのスケッチです
従って それだけの恩賞が出たようです
所が すべて、部の飲み会に使われることに
少しぐらいはと思ったのですが 仕事中に描いたもので要求もできませんでした
やはり 描くべきでなかった
その会社を辞め
福岡へ
ある日、街頭で絵を売って生計を立てている人の絵に
なにか惹かれるものがあり
2枚ほど買いました。
その頃、私と同年の遠縁の者が個展を開くので観に来いとの連絡を受け
のこのこ会場へ出て行き、その絵の凄まじさに沈没
度々開く彼の個展を見てまた沈没
どんなに頑張っても真似すらできない絵でした
もちろん私と画風が違っていたため真似る気すら起きませんでしたが
研修でパリに行った時は
どうしてもユトリロの舞台を見たくて
会議を抜け出しモンマルトルへ
気に入った絵を見つけ購入したと申し出たのですが
売ってくれませんでした
テルトル広場で描いているその場の絵は売らないとのことでしした
仕方なく 少し外れた場所でエッフェル塔を題材にした絵を購入することにしました
日本語のみで交渉し 相手はフランス語
包装してもらい500フランを置いてきました
数字が雰囲気的に理解できたつもりでした
背後から その画商の大きな声が聞こえました
泥棒とでも叫んでいる様子でした
が 意味がわかりませんのでそそくさと路地へ
どうも桁が違っていたようです
パリではいろんな美術館をめぐってみました
オルセー美術館 ルーヴル美術館 オランジュリー美術館 グラン・パレ美術館
ケ・ブラリン美術館 ジュ・ド・ボーム国立美術館 ポンビドュー・センターなど
ロンドンでもいろんな美術館をめぐってみました
ナショナル・ギャラリー など
ついでに大英博物館
ジュネーブでもいろんな美術館をめぐってみました
そして
マドリードで ゲルニカの習作を見たとき
私の頭の中は真っ白になってしまいました。
習作でその有様 本物のゲルニカは壮大な尚更真っ白なキャンバスにしか見えませんでした。
完全に打ちのめされた状態で その後しばらく呆然としたままでした
今でもその習作の凄まじさには埋もれてしまいそうです
ゲルニカは見なくても ゲルニカの習作は絶対見るべきです
ゲルニカの習作を見ればゲルニカか理解できます
絵が好きなら 一度でも自分から絵を描いたことがあるなら
お金に変え難い価値を見出すことができるでしょう。
それ以外な方も 立ち直れないほどの衝撃を受けること保証します
そんなことを経て今、たまに
本当にたまに 絵筆を取る事がありますが
幼稚園児や小学校低学年のお子さんたちが描く絵の半分にも満たない情けない絵しか描けなくなっている始末
子供達の絵って、なんて素敵なのでしょう
真似しようにも真似ができません
彼らは偉大な画家たちです
なんの指導や教育を受けてたい子供に
画用紙と絵の具を与えたら
実に素晴らしい絵が出来上がるはずです
変な先入観がまずありませんから
誰ひとり、子供たちの描くのを批判することはできません
批判なんてしてはいけません
あなたは、子供のような純粋さと残酷さを併せ持っていますか?
色々考えますからね、残酷にも慣れませんね。
十人十色、人それぞれだと思ってます。
いごっそが多いですからね。(笑)
いごっそ 高知(土佐)弁でしたか
近くに「いごっそう」と言う
行きつけの居酒屋さんがあります
結構美味いです
今度福岡に帰ったら
以前私と一緒に働いていた人と飲みに行く予定にしています
感じのいい店です
私も絵が苦手です。
この話をさせて頂いたかどうか忘れましたが
私も小学生の頃に写生大会で友達と二人で並び
同じ被写体を描きました。
結果は、友達は大賞で私は先生に、何を描いているのか分からないと呆れられる始末でした。
私が絵を描かなくなったのは、それ以来だと思います。
中学時代に、はじめて暗室に出会ったとき
画像が浮きあがる状態が、まるで絵を描いているかのような印象に衝撃を受け
どっぷり写真にのめり込んだ次第です。
暗室作業は楽しかったですね
高校時代からビールが飲めました
なぜかって?
部員の下級生に酒屋へ行きビールの大瓶を買って来るように依頼します
それは現像液や定着液などを入れるためです
もちろん空き瓶でいいのですが
大瓶の空き瓶はなかったことにします
栓を開けていない大瓶のビールを下げて写真部顧問の先生の所へ行きます
「空き瓶がなかったものですから・・・捨てるのももったいもので・・・」
先生とともに部室へ行きそこで栓を開けてビールを飲みます
入り口には
もちろん「ただいま現像中」の札をかけておきます
その顧問の先生は
親へ電話を入れてくれます
「部活でだいぶ遅くなります」と
酔いが覚めて帰宅します
何度やったことかわかりません
隣にあった理科部室で焼き鳥を焼いていました
有効活用です
今こんなことをやったら大変なことになるのでしょうね
他の人の人生にとって重い一言になるか
言った本人も解らないことでしょうね。
モンマルトルには行ったのにテルトル広場
時間がなくて行けませんでした。
絵は描けませんが私もそこで描いている方の絵が欲しかったです。
パリもロンドンも美術館は素晴らしい所が多いですが
こじんまりとした所の方が落ち着いて見れますね。
テルトル広場 狭いところですが・・・
ここパリでも
徹底して日本語だけで通しました
まず通じません
ただ
迷子になったときは20名ほどに声をかけて初老の方に駅まで連れて行ってもらいました
道に迷ったと気づかれたのでしょうね 助かりました
オルセー美術館だけでも一日を費やしました
昼は摂らずエビアンだけを飲んでたように思います
あっと言う間に時間は過ぎますね
大英博物館なんかは入り口部分だけで一日かかりましたから・・・
ルーブルに至ってはどれだけの日数を要するのでしょう
住み込みしなくてはみれませんね
そんな計画も立てたのですが資金面が・・・