日時:2013-2-21
天気:晴れ
同行者:メンバー4人
歩行距離:約4キロ
カメラ:フジFinePix
徒歩コース--頂いた地図を頼りに、グーグル地図のGPS軌跡のように歩いた。途中の韓国料理店で昼食に50分くらい費やしたが、記念館を出たのが10:20分、田端駅に戻ったのが14:20分であった。
田端文士村記念館は田端駅南口を降りたら、道路を挟んだ高層ビル・アスカタワーの1階にある。近づくと人気が無い。なんと開館は10時からだと分かったので、それまで待つことにした。※入館無料、月曜休館。
中に入れば、文士村の案内ビデオ(約15分)を見せてくれるし、下記の案内地図をくれる。
地形が入り組んでいて、案内標識はほとんど無いので、この地図は助かる。
記念館の案内地図より
これが頂いた地図だ。ビデオで学んだのだが、第二次世界大戦の空襲で田端の町並みは、ほとんど消失したそうだ。よって、この地図の赤丸は嘗て住んでいた場所を示すだけで、現在は建物も居住地も残っていない。わずかな標示板と一部のお寺に、その痕跡を求めるしかない。
それにしても、大正から昭和にかけて、かくも大勢の芸術家や文士が、この地に住んでいたとは、ここ田端は起伏に富んだ、よほど魅力的な土地であったのだろう。往時を偲ぶ坂は、
現在も地名として残っている。
Googleの地図にGPS logger "m-241"の軌跡を読み込ませ、ソフト「ペイント」で
上書きしたものです。時計と反対周りに歩きました。
これが標識板です。現在の萬栄寺辺りに旧居があったのでしょう。
八幡神社は古く景行天皇の時代に遡るそうです。神社の住まいの廊下で猫が日向ぼっこを
していました。その横にあった花です。
大龍寺境内の墓地にありました。サトウハチローが書いていましたね。
3日後に追記:板谷波山の墓もありました。本日(2/24日)のテレビ東京「なんでも鑑定団」で、(バブル期に)600万円で購入した茶碗が出てきたが、「波山の前に波山無く、波山の後に波山無し」と中島誠之助が絶賛した人で、人間国宝に推挙されたが本人は断ったという。この波山作の茶碗、番組では(現在では)400万円と鑑定されたが、陶芸界では凄い人だったんだ---知らなかった。
これが有名なポプラ坂ですか。下から坂上を見た所です。坂上の保育園は
あの「ポプラ倶楽部」のあった敷地にあるのですね。
両脇に金剛力士像がありますが、二体とも、現在は赤紙に埋もれていました。
ここまでが東覚寺関係です。
与楽寺にて
与楽寺坂を登って行き十字路で左折すると、この場所に出る。
童橋(わらべばし)の所にある童橋公園。此処には室生犀星ゆかりの庭石が保存されている。彼は庭造りが趣味だったそうです。
※次の木曜日・28日は地元の半日コース[新鎌ヶ谷駅から白鳥の池経由で、新京成・鎌ヶ谷大仏駅まで]を歩きます。現在、メンバーを募集中です。