実施日;2018-04-19
天気;晴れ、五月上旬の気温
同行者;鎌ケ谷ハイク&ウォークの会、メンバー4人
撮影;*印以外は、全てS君(キャノンの光学60倍デジカメ)
●このコースの問題点は、黒山三滝から大平山への登り(修験の道)だ。普通のハイ
カーには1時間前後の急登になる。
顔振峠の地名は義経主従逃避行に由来するが、読み方は3通りあるらしい。ハイ
キング仲間では、昔から「こうぶりとうげ」で通っていた。
コースとタイム--トイレは黒山三滝入口と顔振峠の茶屋(3軒あり)
●私は駅の階段を一気に登れません。心臓血管が細くなり、残り30%~25%で歩かねばならず、今夏、カテーテル処置の予定です。脚筋の劣化と共に、10メートル登ると呼吸困難になり、その都度立ち止まり呼吸を整えます。
ハイキングは標準タイムの1.5倍が理想ですが、今回は倍以上かかりました。よって、一般ハイカーの参考にはなりません。
[予定したタイム]--顔振峠まで、登り2時間、下り2時間(休憩・写真撮影・昼食時
間を除く)。
黒山バス停(10分)黒山三滝入口[wc](10)天狗滝(10)女滝・男滝(90)大平山(60)
顔振峠・平九郎茶屋[昼食](90)吾野駅
[実際のタイム]黒山三滝入口(8:20)---天狗の滝---天狗滝分岐(9:10)---(9:15)女滝・男滝(9:30)---(9:45)役行者・笠杉峠分岐---(11:30)大平山直下広場(11:50)---(12:25)笠杉峠からの道と出会う---(12:30)グリーンライン---(12:45)加藤勝歌碑(12:50)---(12:55)顔振峠・平九郎茶屋[昼食](14:20)---(16:05)吾野駅
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[顔振峠周辺の歴史]
①1200年前後→義経主従、平泉へ向けて通る。②室町時代、熊野権現から勧請して(役行者)修験霊場とする。③江戸中期、(越生出身)新吉原の実力者が「新吉原講」を作り、黒山三滝詣が流行。④飯能の乱で幕軍の烈士・渋沢平九郎(渋沢栄一の義弟)が通った峠。
↓以下2つの地図は、国土地理院の電子地図に、ソフトの「ペイント」で上書きし
て作成したものです。大平山への登路は一部修正しました。
●この日、越生駅発8:01分黒山行の始発バスは、我々以外の乗客はゼロでした。
黒山バス停から黒山三滝へ
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天狗滝への分岐から標柱までの往復に、かなりの時間をとってしまった。
というのは、沢登りの入口みたいな岩道で、年寄りには、すいすい歩けないのだ。
「此処から先は禁止」の所まで。 *滝の所がチムニー状になっていた。
男滝 *上は男滝、下は女滝。
この場所から、こちら側に赤い橋があり、そこを渡ってしばらく行くと、役行者道と
笠峠方面との分岐点に出る。そこが行者道のスタートとなり、厳しい登りが待っている。
三滝から修験の道を登る
新緑が鮮やかだ。
本日の難所。岩場にはロープがあるが、なるべく頼らずに登る---。
*スミレ(?)の群生地
そこを過ぎると、少し楽な道になった。
名前は?
尾根道の厳しい登りになる。少し歩いては又立ち止まり、息を整える。
この連続で、足が動かなくなった。やれやれ、また休みだ。
横を見ると、かなりの勾配だと実感する。
大平山山頂直下広場--石像4体設置地
やっと此処に着いた。時計を見たら、標準タイムの倍以上かかってしまった。
↓以下5枚は*
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この背後が大平山山頂だが、立ち入り禁止。これが役行者(えんのぎょうじゃ)像
●上記場所からグリーンラインまで下り、そこから顔振峠まで車道を歩く。
グリーンライン 脇にある歌碑--車道の上部にある(カフェ)ベラビスタの案内板の下部・林の中にある↓
『巣籠りて 山鳥は 鋭目さびしらに みひらきにけり 山の林に』
1996年 毎日歌壇賞を受賞した加藤勝氏の作品
---山林を歩いていて、ふと上を向くと山鳥に気付いた。巣に籠っていたが、鋭い目つきかと思ったら、寂しそうな目を開いていた。---この対比に深く感じるものがあったのだろう。
鋭目を「えいもく」と読むのか、それとも「するどめ」にしたいのか。
顔振峠--歌碑の少し先に富士見茶屋があったが、この日は休みだった。営業は一日置きらしい。南側の眺めが素晴らしい場所だ。
止む無く、先へ進むと顔振峠で、道路を挟んで顔振峠茶屋と平九郎茶屋の二軒の茶屋があった。平九郎の名に惹かれて平九郎茶屋に寄ったのが失敗だった。
二軒とも見晴らしは抜群なのだが、出された蕎麦がいけなかった。ばあさんが一人で、給仕・調理・会計を兼ねていて、多忙で機嫌が悪い。
一人がかき揚げ蕎麦を注文した。「これから揚げるから時間がかかるよ」---「どのくらいですか?」---「分からない」こんな調子だが、三名は、それを注文した。
とろろ蕎麦が無いというので、私は、たぬき蕎麦を注文した。だが、出てきたのは ?うどん。違うと言いに行ったら、戻してください。三名分のかき揚げ蕎麦が出てきたのは30分以上たってから。たぬき蕎麦は、その後だった。
何のためにこの店を選んだのか--①自害する前に茶店に預けていったという平九郎の刀の所在と②見晴らし台への道。この2つを尋ねる雰囲気なんて全然ない。
出てきたのは、超薄味のスープ。その中に沢山の天かす・和布少々と蕎麦が浮いていた。味なんか無い。これって、たぬき蕎麦?
1時間以上経って手が空いたか、やっとテーブルの傍に来て答えてくれた。
①刀なんて、置いてたら盗まれちゃうよ。だから此処には無い。②昔、西武鉄道が
大々的に宣伝して大勢の人が来た。だが、あそこは個人の山で、もう樹木が生い茂り見晴らしなんか無い。此処のほうが、よっぽどいいよ。
道理で、黒山への案内標識はあったが、これだと思しき細い山道は確認したが、
見晴らし台への標識が無い訳だ。
茶屋に1時間半居たことになる。周囲には色々案内や説明板があったが、だいぶ時間のロスがあったので、見晴らし台を含めて、それらはカットし、山を下りることにした。
顔振峠から吾野駅へ下る
なかなか良い道だ。特に、初めの部分は右下に集落を見下ろし、日本の原風景という感じ。気に入った眺めだ。周囲に奥武蔵の山々も展開している。
この道にはシャガの群生地が目立った。
●この先で車道に出るが、右手下には絶えず沢音が聞こえ快適な歩きを楽しめた。
最後には吾野駅に出る。
本日は、東武越生線の終着駅から西武線の吾野駅まで、ぐるーっと歩いたことに
なる。だが、私の足は、これが限度のようだ。