元高校教師のブログ[since2007/06/27]

地元仲間とのウォーキング、ハイキング、サイクリング、旅行の写真入報告。エッセイや意見も。

黒山三滝~(役行者)修験道の道~顔振峠

2018-04-22 14:59:27 | ハイキング

実施日;2018-04-19
天気;晴れ、五月上旬の気温
同行者;鎌ケ谷ハイク&ウォークの会、メンバー4人
撮影;*印以外は、全てS君(キャノンの光学60倍デジカメ)

●このコースの問題点は、黒山三滝から大平山への登り(修験の道)だ。普通のハイ
 カーには1時間前後の急登になる。
 顔振峠の地名は義経主従逃避行に由来するが、読み方は3通りあるらしい。ハイ
 キング仲間では、昔から「こうぶりとうげ」で通っていた。

コースとタイム--トイレは黒山三滝入口と顔振峠の茶屋(3軒あり)
●私は駅の階段を一気に登れません。心臓血管が細くなり、残り30%~25%で歩かねばならず、今夏、カテーテル処置の予定です。脚筋の劣化と共に、10メートル登ると呼吸困難になり、その都度立ち止まり呼吸を整えます。
ハイキングは標準タイムの1.5倍が理想ですが、今回は倍以上かかりました。よって、一般ハイカーの参考にはなりません。

[予定したタイム]--顔振峠まで、登り2時間、下り2時間(休憩・写真撮影・昼食時
  間を除く)。  
 黒山バス停(10分)黒山三滝入口[wc](10)天狗滝(10)女滝・男滝(90)大平山(60)
 顔振峠・平九郎茶屋[昼食](90)吾野駅
[実際のタイム]黒山三滝入口(8:20)---天狗の滝---天狗滝分岐(9:10)---(9:15)女滝・男滝(9:30)---(9:45)役行者・笠杉峠分岐---(11:30)大平山直下広場(11:50)---(12:25)笠杉峠からの道と出会う---(12:30)グリーンライン---(12:45)加藤勝歌碑(12:50)---(12:55)顔振峠・平九郎茶屋[昼食](14:20)---(16:05)吾野駅

---------------------------------------------------------------------------------
[顔振峠周辺の歴史]
①1200年前後→義経主従、平泉へ向けて通る。②室町時代、熊野権現から勧請して(役行者)修験霊場とする。③江戸中期、(越生出身)新吉原の実力者が「新吉原講」を作り、黒山三滝詣が流行。④飯能の乱で幕軍の烈士・渋沢平九郎(渋沢栄一の義弟)が通った峠。

↓以下2つの地図は、国土地理院の電子地図に、ソフトの「ペイント」で上書きし
 て作成したものです。大平山への登路は一部修正しました。


 



●この日、越生駅発8:01分黒山行の始発バスは、我々以外の乗客はゼロでした。

黒山バス停から黒山三滝へ


*


*


*


*


天狗滝への分岐から標柱までの往復に、かなりの時間をとってしまった。
というのは、沢登りの入口みたいな岩道で、年寄りには、すいすい歩けないのだ。

 
  「此処から先は禁止」の所まで。            *滝の所がチムニー状になっていた。

 
    男滝                                            *上は男滝、下は女滝。


この場所から、こちら側に赤い橋があり、そこを渡ってしばらく行くと、役行者道と
笠峠方面との分岐点に出る。そこが行者道のスタートとなり、厳しい登りが待っている。

三滝から修験の道を登る


新緑が鮮やかだ。


本日の難所。岩場にはロープがあるが、なるべく頼らずに登る---。


*スミレ(?)の群生地


そこを過ぎると、少し楽な道になった。


名前は?


尾根道の厳しい登りになる。少し歩いては又立ち止まり、息を整える。
この連続で、足が動かなくなった。やれやれ、また休みだ。
横を見ると、かなりの勾配だと実感する。

  

大平山山頂直下広場--石像4体設置地
 やっと此処に着いた。時計を見たら標準タイムの倍以上かかってしまった。

↓以下5枚は*


 
この背後が大平山山頂だが、立ち入り禁止。これが役行者(えんのぎょうじゃ)像      

  

●上記場所からグリーンラインまで下り、そこから顔振峠まで車道を歩く。

グリーンライン 脇にある歌碑--車道の上部にある(カフェ)ベラビスタの案内板の下部・林の中にある↓

巣籠りて 山鳥は 鋭目さびしらに みひらきにけり 山の林に
 1996年 毎日歌壇賞を受賞した加藤勝氏の作品
 ---山林を歩いていて、ふと上を向くと山鳥に気付いた。巣に籠っていたが、鋭い目つきかと思ったら、寂しそうな目を開いていた。---この対比に深く感じるものがあったのだろう。
 鋭目を「えいもく」と読むのか、それとも「するどめ」にしたいのか。

顔振峠--歌碑の少し先に富士見茶屋があったが、この日は休みだった。営業は一日置きらしい。南側の眺めが素晴らしい場所だ。
止む無く、先へ進むと顔振峠で、道路を挟んで顔振峠茶屋平九郎茶屋の二軒の茶屋があった。平九郎の名に惹かれて平九郎茶屋に寄ったのが失敗だった。

 二軒とも見晴らしは抜群なのだが、出された蕎麦がいけなかった。ばあさんが一人で、給仕・調理・会計を兼ねていて、多忙で機嫌が悪い。
 一人がかき揚げ蕎麦を注文した。「これから揚げるから時間がかかるよ」---「どのくらいですか?」---「分からない」こんな調子だが、三名は、それを注文した。
  とろろ蕎麦が無いというので、私は、たぬき蕎麦を注文した。だが、出てきたのは ?うどん。違うと言いに行ったら、戻してください。三名分のかき揚げ蕎麦が出てきたのは30分以上たってから。たぬき蕎麦は、その後だった。
 何のためにこの店を選んだのか--自害する前に茶店に預けていったという平九郎の刀の所在見晴らし台への道。この2つを尋ねる雰囲気なんて全然ない。
 出てきたのは、超薄味のスープ。その中に沢山の天かす・和布少々と蕎麦が浮いていた。味なんか無い。これって、たぬき蕎麦?

 1時間以上経って手が空いたか、やっとテーブルの傍に来て答えてくれた。
①刀なんて、置いてたら盗まれちゃうよ。だから此処には無い。②昔、西武鉄道が
大々的に宣伝して大勢の人が来た。だが、あそこは個人の山で、もう樹木が生い茂り見晴らしなんか無い。此処のほうが、よっぽどいいよ。
 道理で、黒山への案内標識はあったが、これだと思しき細い山道は確認したが、
見晴らし台への標識が無い訳だ。

 茶屋に1時間半居たことになる。周囲には色々案内や説明板があったが、だいぶ時間のロスがあったので、見晴らし台を含めて、それらはカットし、山を下りることにした。

顔振峠から吾野駅へ下る

 なかなか良い道だ。特に、初めの部分は右下に集落を見下ろし、日本の原風景という感じ。気に入った眺めだ。周囲に奥武蔵の山々も展開している。


この道にはシャガの群生地が目立った。

 

●この先で車道に出るが、右手下には絶えず沢音が聞こえ快適な歩きを楽しめた。
 最後には吾野駅に出る。
 本日は、東武越生線の終着駅から西武線の吾野駅まで、ぐるーっと歩いたことに
 なる。だが、私の足は、これが限度のようだ。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 理科大の森(2018-4-12) | トップ | 稲城市のレンゲ畑と分倍河原... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

ハイキング」カテゴリの最新記事