グーグルでもヤフーでも、「金井彰久」と入力して検索にかけると出てくるが、そのいずれも、西田敏行や、声優の妻や娘との関係で、ついでに取り上げられている。
無理も無い。私もそうしたが、西田敏行なら有名だからだ。金井彰久は俳優ではなく、劇団青年座の裏方一筋に生きたので知名度は低い。だが、現在、確固たる地位を築いている俳優でも、彼と関わった人は、大きな影響を受けているはずだ。
ところで、今年1月3日に書いた私のブログ→身辺整理--高校時代の資料など
を見てもらいたい。そこに高校時代のことを、ほんのちょっと載せ、金井君の名も出した。下の写真は、いずれも卒業アルバムから転写したものだ。
これは演劇部の写真だろう。右端の弁慶?が金井君で、冠を被っている中央の女装が田口君だが、いずれも故人となった。
クラスは違ったが、選択授業ではよく一緒になった。座席は自由であったが、彼はいつも最前列の中央に座った。どうやら、かなりの近眼だったようだが、もう一つの理由は、口角泡を飛ばして目の前の教師と議論するのが好きだったのだろう。
残念ながら、クラスが違ったので彼と親しく話したことはない。だが、議論好きの、その姿はいまだに目に焼きついている。
社会に出てからは、同窓会や同期会で会った事はない。そりゃそうだろう、演出やら劇団の運営で、そんな暇は無い。
ところが、いつだったか、なんとなくテレビを見ていたら、突然ブラウン管に彼が登場した。西田敏行がその年の、何か賞をもらったのだが、その授賞式に出られないと言う。司会のアナ曰く、「本人に代わり、劇団青年座の社長に受け取っていただきます」。いきなり金井君が舞台上に現れたこともそうだが、私は「社長」という言葉にも驚いた。青年座に社長というポストができたのかな--などと思ったものだ。
当時の私は母校の教師であったため、同時に同窓会=蓮葉(はちすば)会の事務局であった。同窓会の会報に「各界で活躍する同窓生」とかのテーマを組んでいた。
毎年、編集会議で、「今年は誰に--」ということになるが、男女・年齢・業界・有名無名など、バランスを考えたものだ。それで、自分の期、つまり9期生を載せるのは遠慮していた。いずれ、そのうち連絡しようとは考えていたのだが---。まさか、そんなに早く金井君がいなくなるとは思ってもいなかった。紙上で演劇界の裏話など語ってもらおうと企画していたのに、残念で仕方が無い。
それにしても、1/3の記事に書いたように、江戸高の演劇部は凄かったなぁ。「劇団風の子」の清水君には言ったことがあるが、将来の安定生活なんか考えず、十代から「演劇一筋」を貫き通した彼ら演劇部の生き方には頭が下がるよ。純粋だったのだなぁ、あの頃の高校生は。