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武名が広がった新選組

2019-12-31 15:45:34 | 日々前進、ひたすら前向きに




京都府京都市中京区中島町

元治元年(1864年)6月5日、新選組は古高俊太郎を逮捕して尋問し、
長州藩過激派による「テロ計画」の情報を入手する。

長州藩は前年の文久3年(1863年)、八月十八日の政変で
京都政局から追い出されたが、その劣勢を挽回するため、

京都の町に火をはなち、混乱に乗じて天皇を長州に
連れ去るという驚天動地の陰謀が進行中だというのだ。

陰謀にかかわる密議のため、志士たちが三条小橋の
旅籠・池田屋に集結していることをつかんだ近藤たちは、

これを会津藩に通報。しかしなかなか藩兵が到着しなかったため、
時を逸することを危惧した近藤は少人数で突入することを決意した。

このとき、池田屋の2階に集結していた浪士たちは約30名。

これに対し、新選組は、近藤勇・沖田総司・永倉新八・藤堂平助の
4名のみで斬り込んだ。

この池田屋事件の功績により、新選組は幕府・朝廷から感状と
褒賞金を下賜され、その武名は一躍京都の町に広まることになった。

のち新選組は、慶応3年(1867年)に晴れて幕臣に取り立てられている

池田屋事変、池田屋騒動ともいわれている。

近藤勇は書面で洛陽動乱と名づけている。