では、もっと長い長い物語ではそのリズムがどうなっているのだろうか。目の不自由な語り部が琵琶を弾きながら聞かせた『平家物語』を覗いてみた。当然なのだが、漢字主体に書かれている。「ギオンショウジャ・・・」と仮名で書かれていると音が数えやすいのだがなあ、と思いながら探していると、パソコンの中にあった。研究者用にいろいろな「平家物語」が掲載されている。その中からほとんど平仮名で編集された「流布本・元和元年本、荒山慶一氏作成テキスト」というのがみつかり、利用させてもらった。漢字は書き出しの「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」の部分と清盛、忠盛、六波羅などの固有名詞、地名のみ。しかも、句読点が打ってあるではないか。区切り符号である句読点の間にある字数を数える。無意味文の時と同じやり方である。範囲は最初の巻一の一、「祇園精舎」の部分だけである。どの字数が多いか、六十字というのも一か所あった。三十字、二十三字も。全体に占める割合を測るのである。やはり七字が一番多いのである。ついで十二字、十三字、八字、二十字の順である。若干息長であるが、七音を中心にしたリズム傾向は鎌倉時代から昭和、平成ときてもそんなに変わらないのだと思った。
『響談』のなかで、井上さんはこんなことも言っている。
無文字時代までさかのぼってみると、話し言葉は盛んでもそれを書き表す文字がないなら、貴重な言葉もすぐに消えてしまう。広め、伝えるには記憶して世代から世代へ受け継いでいかねばならない。記憶するのに何か定型があれば便利。リズムに乗せて伝承させていける。そこで語り部が七音、五音、あるいは二音の心地よいリズムで暗誦していった、その暗誦行為に有用なのが極まり文句、すなわち“枕詞”であった。枕詞およそ八百五十のほとんどが五の音数。それに付く基本語彙は二音。「たらちねの」「母」のように。
なるほど「アシビキノ」+「ヤマ」、「チハヤブル」+「カミ」、「アオニヨシ」+「ナラ」、「クサマクラ」+「タビ」・・・見事に五+二である。基幹語彙の方はヤマト(三音)のように必ずしも二音とはかぎらないが、枕詞の方はしつこいくらい五音にしてある。
このように日本語を音というかリズムで見てみると、実に面白い。音楽の歌詞付の楽譜を広げるとよくわかる。古謡「さくらさくら」のオタマジャクシ「ラ」「ラ」「シ」「ラ」「ラ」「シ」の下に「さ」「く」「ら」「さ」「く」「ら」と文字が対応している。「きんらんどんすのおびしめて・・・」(蕗谷紅児作詞、杉山長谷夫作曲の「花嫁人形」)のオタマジャクシも「き」の真上に「ラ」の四分音符がちゃんと置かれている。「故郷」(高野辰之作詞、岡野貞一作曲)などは完全対応型だ。うさぎおーいしドドドレーミレ、かのやまーミミファソー、こぶなつーりしファソラミーファミ、かのかわーレレシドー。日本語のすばらしさが音楽で際立つ。
英語はこうはいかない。オタマジャクシへの対応が一音ずつという訳にいかないからだ。「シャル」 「ウィ」 「ダンス」、と音を束ねてそれぞれのオタマジャクシにぶつけていく。
オタマジャクシと作詞の関係からすると、外国の曲に日本語の詞ををつけるのは大変な苦労がいるはずだ。訳詞家を尊敬する。イタリア・ナポリ民謡「サンタルチア」の出だし、「ソーソードドシシー」に堀内敬三さんは「ツーキーハタカクー」とちゃんと対応させている。ビートルズの曲はどうか。ジョン・レノンの曲はどうか。どの曲にも日本語の詞は付いている。しかし、「サンタルチア」のようにはいかない。曲に直訳日本語による詞をあてるのはとても無理なのだろう、“訳詞”ではなくて“歌詞対訳”と呼ばれている。たとえば「ヘイ・ジュード」。落流鳥氏の対訳、
ジュード そんなに沈んでしまってどうしたんだ
今のお前に似合わないの 歌でも歌って気分を紛らわしな
あの娘を忘れようなんて思っちゃいけないよ
・・・・・・
まだまだ続く長い詞である。原曲の詞の雰囲気を上手に伝えるのを目的に書かれている。。「Heyヘイ judoジュード!」とジュード少年に呼びかけ、元気づける。これはこのままでいいのであって、音符に合わせるようにはなっていない。
ジョン・レノン「イマジン」(山本安見氏の対訳)も
想像してごらん 天国なんてないと
その気になれば簡単さ
僕らの足元に地獄はなく
頭上にはただ空があるだけ
想像してごらん すべての人々が
今日のために生きていると
・・・・・・
曲は無視! 日本語によるすばらしい詩なのである。
(つづく)