病院での待ち時間というのは長くて退屈なものだ。本を持参したいのだが字が大きいのだと重たい。文庫だと、字が小さい。右眼を「加齢黄斑変性」と診断され、包丁の刃が欠けているように見える人間にとって文字の読み易さというのは重大問題だ。だから、このところは掌に乗るくらいの『小倉百人一首全訳』という菓子屋さんの作った私家本を保険証といっしょに手提げに入れて行く。京都・長岡京に本店を構える“おかき”を主体に作る『小倉山荘』という菓子屋さん。近年えらく繁盛していて、あちこちに店がある。だいぶ前になるので、今はどうか知らないが箱詰めを買うと付録としてついていた。
第一番・天智天皇「秋の田のかりほの庵の・・・」と毛筆で歌が書かれ、その詠み方、次いで訳が、一ページに施されている。百人一首は、今のような歌かるた・カードとしてではなく色紙一枚に一首を4行書きにして障子や襖に貼って楽しんだ、と説明がある。なるほど書がいい。漢字、平仮名、そして筆で書きにくいところは片仮名にして全体のバランスを取ってある。
行書の楚々とした姿にみとれる・・・。はっと、顔を上げると、看護婦、いや看護師さんが近づきながら大声で名前を叫んでいる。
“縦書き文化”のなせる業なのだな、と思った。このところ、読むのも、書くのもパソコン発する“横書き文化”にどっぷりつかっているからだろう。縦書きに接していると落ち着くのだ。ホッとするのである。行書の美しさは横書きでは困難だ。筆字での横書は少数派で、老舗の看板や有名人の横長の額で見た憶えがあるが、それも漢字に限る。平仮名による横書きはまずあるまい。筆を持って書いてみると、よくわかる。字形がそうなってないからだ。「し」「ひ」「を」などその代表だ。そして書家が大切にするのがリズムだ。流れるように筆を動かす。ゆっくり動かしていると思いきや、すぅっと引く。張りつめた空気のなかで、それを見たのは昭和の三筆と言われた日比野五鳳さんを京都・北大路のお宅に訪ねたときである。(つづく)