エレキギターの激しい音の塊と言葉の塊が激しくぶつかりながら進んでいくのが現代音楽の特徴とすれば、流れるようなリズムを大切にした日本語をそれに合わせようとするのは無理なのかもしれない.
子供のころは音符と歌詞の文字が対応するのは当たり前と思っていたが、海の外ではなかなかそうはいかない。
言葉の伝承で思ったのが、記憶力抜群の聡明な若き稗田阿礼の全面協力を得て編集された『古事記』。阿礼がどんなリズムで憶えていったのか。それを知る手がかりはないだろうか。またまた音数を数える“相良実験”をしてみたくなった。この日本最古の古典は、言葉の歴史というか、言語学的にも好奇心を駆り立ててくれる。簡単な方法はないか、上、中、下巻を広げてみる。やはり面白そうなのは固有名詞だ。神さまと天皇、豪族名がある。固有名詞は区切らずに一気に読むだろうから息づきをみるのにいいかもしれない。
新潮日本古典集成の『古事記』から神さま321柱の読みを拾ってみた。こんなふうだ。天照大御神は「あまてらすおほみかみ」と仮名が振ってあるので、それを数える。天照大御神は十音である。出雲の地でオロチを退治した建速須佐之の命の音は「タケハヤスサノウノミコト」なので十二音。天津日高日子波限建鵜葺草葺不合の命(あまつひこひこなぎさたけうかやふきあへずのみこと)は二十四音もあり、リズムをつけて読む阿礼さんは大変だったろうな、なんて思いをはせながら音を測ってみた。ダントツに多いのは九音だった。全体の四分の一近くである。次は十九%の七音、やはり七音はここでも上位にある。神さま一覧を見たときの印象では、長そうだったが、測ってみるとそうでもなかった。
古事記に出てくる神さまの呼び方は天照などは「照らす」だから、お日さんかな、太陽神かな?と、漢字からなんとなく推測がつくが、全く見当がつかないのがけっこうある。天照より先に登場する神、伊邪那岐(いざなぎ)、伊邪那美(いざなみ)などはちょっと推測が難しい。もともと大和の地で使われていたであろう言葉に大陸から入ってきた漢字が音に合わせて当てられている。この二神の場合は、「いざなう」からきているのでは、という。
とすると、井上さんのいう無文字時代は、漢字が伝わって来る前になるが、言葉は発していた。ネイティブな日本人は感性豊かに、いろんな言葉を発していたに違いない。それらが神の名を借りてどんどん『古事記』の中に出現しているのかもしれない。編纂されて、ちょうど一三〇〇年になる。この箱には、いっぱい宝物が隠されているような気がしてならないのである。(おわり)