とはずがたり

論文の紹介や日々感じたことをつづります

脳の成長曲線ーbrain chartの作成ー

2022-05-07 22:10:11 | 神経科学・脳科学
学生時代教えを受けた養老孟司先生は、名著『唯脳論』の中で「ヒトのあらゆる活動は脳の刻印を帯びる」と述べておられますが、いうまでもなく脳は人間の様々な活動の根源にあります。加齢とともに様々な活動が劣化していくのもまた脳の変化に起因するところが大であると考えられます。この論文でRichard BethlehemとJakob Seidlitzが率いる大規模な研究チームは、受精後115日から100歳までの101,457人からの123,984のMRI画像に基づいて、発育や加齢とともに脳がどのように変化するかについての包括的なBrain Chartの作成を報告しています。身長や体重については成長曲線によるスタンダードが定められており、この曲線から外れる場合には異常を疑うことになっていますが、Brain Chartは脳について同様のスタンダードを示そうという試みです。著者らも述べているように、これはあくまでも第一歩にすぎませんが、「脳の正常値」を規定することで「脳の異常とは何か?」を知る手掛かりになることが期待されます。私は運動器の医学を専門にしていますが、運動器の加齢変化もまた脳に起因するのではないかと考えています。Brain Chartに運動器疾患患者のデータをプロットすることで、「脳の変化からみた運動器疾患」という新たな地平が見えてくるのではないか?などと妄想しています。
Brain charts for the human lifespan
Bethlehem RAI et al., Nature. 2022 Apr;604(7906):525-533. doi: 10.1038/s41586-022-04554-y.

整形外科手術における抗菌薬投与時間はどのくらいが適当か?

2022-05-01 22:47:33 | 整形外科・手術
クリーンな整形外科手術において、抗菌薬投与を術後24時間以内に中止、24~48時間で中止が術後医療関連感染(health care-associated infection)のリスクに影響をするかをクラスターランダム化比較試験で検討した論文です。結果として両群に差はありませんでした。
Nagata K et al., JAMA Netw Open. 2022 Apr 1;5(4):e226095.
https://jamanetwork.com/journals/jamanetworkopen/fullarticle/10.1001/jamanetworkopen.2022.6095 

心地よいタッチを制御するニューロンの同定

2022-05-01 22:43:16 | 神経科学・脳科学
抱きしめる、愛撫する、撫でるなどといった心地良いタッチ(pleasant touch)の感覚はプロキネチシン受容体2(PROKR2)またはそのリガンドPROK2を発現する脊髄興奮性介在ニューロンを介することが示されました。このようなニューロンが欠失したマウスではストレス反応と向社会的行動に深刻な障害を示すようで、「触れる」ことの重要性が示されました。医師の患者に対する「手あて」についても同様のメカニズムが介する可能性がありそうです。 
Liu B et al., 
Science. 2022 Apr 29;376(6592):483-491. doi: 10.1126/science.abn2479. Epub 2022 Apr 28.
Molecular and neural basis of pleasant touch sensation

修復不能な広範囲腱板損傷に対するInSpaceスペーサー挿入術の有効性・安全性

2022-05-01 22:39:10 | 整形外科・手術
【背景】腱板断裂に対して保存的治療が無効であった場合に手術が行われるが、断裂が広範囲で変性が高度な場合には修復不能なことも少なくない。このような例は特に高齢者に多く、疼痛が強くADL障害がある場合でも治療の選択肢が少ないことが問題である。近年このような症例に対する治療法としてInSpace subacromial balloon spacer(Stryker, USA)が開発された。これは生理食塩水で満たされた生体分解性のバルーンスペーサーで、肩峰下に挿入することで上腕骨頭と肩峰との摩擦を減少させることで症状を緩和し、リハビリテーションを促進するというデバイスであり、欧州やアメリカで承認を受けている。今回著者らは英国の24病院が参加したランダム化比較試験によってInSpaceスペーサーとデブリードマンの成績を比較した。
【方法】選択基準は保存療法に抵抗性の有症状の腱板断裂患者で、主治医が手術が必要だが断裂の修復が技術的に不可能と考えられた患者である。変形性肩関節症や神経学的な問題のある患者は除外された。患者はブラインドでコントロール群(肩甲骨下腔の関節鏡視下デブリードマンと断裂していない場合は上腕二頭筋腱切離術)とInSpace群(上記に加えてInSpaceバルーンを肩峰下に挿入)に振り分けられ、皮切の大きさは同じとし、評価は手術やランダム化に関与していなかったスタッフによってのみ実行された。12か月で主要な結果を収集した後、参加者は、自分がどのグループに属していると思うか、または割り当てに気付いていないかどうかを尋ねられた。
 術後のOxford Shoulder Scoreを主要評価項目、Constant Score、前方挙上および外転可動域、WORC index、EQ-5D-5L、患者の自覚的な症状の変化(Participant Global Impression of Change)、鎮痛剤使用、有害事象などを副次評価項目とし、あらかじめ2回の中間解析が計画された。385人の患者が研究参加の適格性が検討され、317人が適格とされた。249人が研究への組み入れを同意したが、手術を希望した患者や術中判断で不適格とされた患者を除いて、最終的には117人の患者がランダム化され、61人がコントロール群、56人がInSpace群に振り分けられた。両群とも、自宅での運動プログラムと少なくとも3回の対面理学療法セッションを含む同じリハビリテーションが提供された。
【結果】平均の断裂サイズはコントロール群で4.3 cm [SD 1.3]、InSpace群で4.2 cm [1.3]であった。主要評価項目である手術12カ月後のOxford Shoulder Scoreは117人中114人(97%)で得られ、両群でベースラインより改善していた。コントロール群で34.3 [SD 11.1]、InSpace群で30.3 [10.9]であり、両群の差は平均-4.2 [95% CI -8.2 to -0.26]であり、有意にコントロール群が良好であった。Constant Score、前方挙上および外転可動域、WORC indexは主要評価項目と一致していた。鎮痛剤使用は両群で差がなかった。2つのグループ間で安全性に明確な違いはなかった(コントロール群の15% InSpace群の20%)。予定されていたサブグループ解析では、両群の平均値のOxford Shoulder Scoreの平均値の差は男性で0.7 [95CI -4.7から6.1]、女性で-10.9[-16.7から-5.1]と女性のInSpace群で不良であった。年齢、断裂サイズとは関連がなかった。
【考察および感想】この研究の結果、関節鏡視下デブリードマンのみの群(コントロール群)においてInSpaceデバイスを使用した関節鏡視下デブリードマン群(InSpace)よりも優れた結果を示すことが中間解析で明らかになった。新しいインプラントやデバイスの開発は医療の推進に重要であるが、早期の導入には慎重でなければならない。しかしながら特に外科的治療の場合にはしっかりとした検証なしに新たな治療法が広く使用されることが少なくない。これまでにInSpaceの良好な成績が報告されているが、これらの結果は企業からの資金が提供された臨床研究であり、その結果の解釈には慎重である必要がある。InSpaceの場合数カ月でバルーンは収縮するため、特に長期間の有効性については不明瞭であった。この研究結果は、新たな技術の導入に際しては十分な検討が必要であることを改めて示したものである。
Subacromial balloon spacer for irreparable rotator cuff tears of the shoulder (START:REACTS): a group-sequential, double-blind, multicentre randomised controlled trial
Andrew Metcalfe et al., Lancet. 2022 Apr 21;S0140-6736(22)00652-3.

現在の危機的状況を乗り切るために

2021-08-20 07:49:34 | 新型コロナウイルス(治療)
新型コロナウイルス感染症も第5波になって様相が変わってきたようです。東京都では感染拡大に歯止めがかからず、重症患者であっても入院調整に困難をきたすケースが増加しています。感染患者が増えれば、当然比例して重症患者の数も増えるのですが、重症化には発症後1-2週を要することを考えると、今後さらに重症患者は増加することが予想されます。「重症患者用の病床(コロナ患者用のICU病床)の数を増やせばよい」という議論もありますが、これは思っているほど簡単ではありません。一人の重症コロナ患者の治療には多くの人手がかかるため、重症コロナ患者の病床を増やすためには、その3倍の通常病床を削る必要がある(通常の医療をかなり制限する必要がある)、ウイルスの感染力が高いため、多くの場合個室管理が必要(個室の数によって入院患者は制約される)、特にネイザルハイフローと呼ばれる酸素療法を行うためには陰圧個室が必要で、そのような病室はさらに限られる、などの理由から、やみくもに病床増加を進める訳にはいきません。したがって、限りある重症病床をいかに効率的に使うかが重要になります。東京都では重症患者用病床を有する病院に、毎日空床数を報告させていますが、院内患者の重症化や、直接の転院依頼への対応など、各病院の事情によって空床数は一日のうちでも大きく変動するため、機械的な患者と病床のマッチングは困難です。もし入院が必要な重症患者についての情報を一か所に集約するとともに、各病院の空床数や病院の内部事情をリアルタイムでモニターできる有能な人員(できれば医師か看護師)を配置して、都全体の重症病床をコントロールすることができれば、効率よい病床運用が可能になるのではないか、と思います。とはいえ病床数が限られていることに変わりはないので、やはりいかにして感染患者を減らすか、感染患者の重症化を防ぐかがポイントです。前者のためには、ありきたりですがワクチン接種の促進と、人と人との接触抑制が必要です。一方後者のためには、最近使用可能になった抗体カクテル製剤(ロナプリーブ)の使用も有用ではないかと思います。多くの方の知恵と協力で、現在の危機的状況を乗り切りたいものです。