祖父のことでわかっていることを書き留めておきたいと思います。
戸籍によりますと
政由の父親は「坂橋 繁太郎」(新潟縣 南蒲原郡 見附町)
母親は「ヨミ」で「井上常七」の二女です。(新潟縣 古志郡 新組村)
政由の祖父は「坂橋 市太郎」
祖母は「ミツ」で「櫻井平次右エ門」の二女です。(文字が判読しがたいのですが「新潟縣 古志郡 椿澤村」のようです。
明治37年(1904年)五月に新潟から北海道岩内に渡ってきます。
岩内と釧路の場所を張っておきます。
実際には船で渡ったと思われますので、このような直線ではないのですが…。
その当時の岩内を岩内町のHPよりご紹介します。
http://www.town.iwanai.hokkaido.jp/?s=%E6%98%8E%E6%B2%BB
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7月 岩内馬車鉄道株式会社 ( 資本金6万円 ) 創立
戸数 2,460戸 人口 16,140人
2月11日 日露宣戦布告。
2月5日 海軍充員召集下命以来終戦迄岩内古宇郡に於て応召者442名、
岩内町に於ける戦時国債応募額373,750円
応募人数1.004人。
2月12日以来艦室蘭或は泊村沖等各所に出没の風評あり人心動謡、
5月に至っては日本海の航海壮絶し従って岩内在米僅々1,700石に過ぎざるに至り、
不安益々つのり町に於て緊急措置として小樽より米の購入手配をなす等物情騒然たるものがあった。
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日露戦争が始まるにあたって、お米が足りないのでは…・と皆不安になっていたようです。
岩内は鰊の漁場の一つでした。
そのあたりを岩内郷土館のHPの写真で確認することができます。
https://iwanaidigip.jimdo.com/%E6%98%8E%E6%B2%BB-%E5%A4%A7%E6%AD%A3%E6%99%82%E4%BB%A3/
私の全くの想像ですが、新潟から「お米」を持って当座の資金にしたのではないかと思います。
明治44年に、岩内から北海道の東「釧路」に渡ります。
政由10歳の時です。
その頃の釧路を釧路市HPよりご紹介します。
http://www.city.kushiro.lg.jp/common/000017292.pdf
その頃の釧路の戸数は5,175 人口は,24,756人でした。
その後釧路は大きく発展していきます。マグロがたくさん獲れていたのですね~。びっくりです。
http://www.city.kushiro.lg.jp/common/000017293.pdf
祖父です。
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