三浦義村の娘が「土岐光定」の室。
…ということは、もしかすると季光の妻となった人の姉妹である、かもしれない。
光定は二人以上おり、どの光定かが、ここでもまた問題である。
光貞も、光定と書かれることあり。
そして、伊賀氏にも!
この伊賀氏というのは土岐氏でもあるのだと認識。↓の資料の光貞が荒木氏の先祖ならば、土岐氏と、明智氏と斎藤氏とつながり、ひいては熊本の細川氏とも繋がっていく。
信濃
【郡名】 伊那
【荘園名】 麻績御厨
【フリガナ】 オミ
【重複コード】 2402009
【参考市町村】 東筑摩郡麻績村
【市町村コード】 20446
【明治村字名】 古町・名子・新井・座光寺・山吹・駒場・上平・竜口・飯田町・上飯田・飯沼・南条・下黒田・上黒田・市田・市田原町・牛牧・出原・吉田・大島山
【史料村郷名】 矢倉(八ヵ条内)・大吉原・十日市場
【領家・本家】 平正弘領・後院領・伊勢神宮領・内宮領
【初見年和暦】 保元二年
【初見年西暦】 1157
【出典】 神宮雑書・神鳳鈔・東鑑・飯野八幡宮文書
【遺文番号】 カ60・カ614・カ8695・カ19701・カ32866
【記録類】 『兵範記』保元2,2,29・『東鑑』文治2,3,12(麻続御厨)
【関係文献】 有
【地名辞典】 平凡地名=延喜式「麻績駅」=麻績盆地の麻績、坂井両村=麻績神明社あり・「麻続」ともみえる
【備考】 建久3神領注文=麻績御厨=内宮禰宜元雅等口入・神鳳鈔=(内宮)麻績御厨=上分鮭150隻、同児1桶、搗栗1斗、干菜1斗、口入料6丈布60端、四丈布16段、鮭30隻、同児1桶・東鑑(北条本)など=「麻続御厨」・飯野八幡宮文書=「麻続御厨」「おみのみくりや」=「八ヶ条内矢倉村」・保元2兵範記=平正弘領→没官後院領・地頭伊賀頼泰光貞・福満寺日光月光菩薩像銘「元徳四、善光寺仏師妙海」
伊賀光貞は、荒木氏等とつながってくる人物なのかもしれない。今後注意。
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