倭人語のすすめ

倭人の言葉が残されていた。古事記の神々の多くは、秘文とされた文書を基にしていた。一音一義の倭人語を解き明かしたいと思う。

古事記の筋書き

2021-10-01 09:59:30 | 日々記
古代九州北部島嶼にA社があり、海上物流を業としていた。各地に物を運び、種をや道具を渡し収穫物を提出させていた。南朝鮮や北部九州など各地に支店を作っていた。各地の国・地域と商売をしていた。

 畿内にB社があり、A社のお客さんだった。
 B社は段々力を付けて、A社の利益を脅かす存在となっていった。
 A社は自分の商圏を守りかつ広げるため、B社に敵対的M&Aを仕掛け、傘下に収めた。
 A社は、B社に社長を送り込んだ。そして、B社の初代の社長はA社創業の初代の社長と同じであるということにしてしまった。初代以外は、B社の代々の社長はそのままとし、A社出身の社長がB社を引き継いだ。
 つまり、B社はもともとA社のものだったということにした。

 A社B社共に組織変更して体裁を整えた。
 A社は九州と本州の一部と南朝鮮、B社はそれ以東の地域と分担した。
 A社とB社は別々の社長が経営したり、A社社長がB社社長を兼ねる場合ももあった。
 その後、A社は朝鮮の支店経営に失敗して、南朝鮮の商圏を手放した。その結果、A社は存在意義を無くして消えていった。

 B社は社史を書くことになった。
 B社の権威を高めたいと思った。その為A社の存在を消すことにした。
 そこで、M&A以前のA社のことは、神代の時代のことにした。
 M&Aの時期は、時期をずらし、B社の創業時のこととした。
 組織変更後のA社の代々の社長は、B社の社長に組み入れて、B社において代々続いていことにした。A社の存在は無かったものとされた。
 

 社史は古事記。
 A社は倭人天族。海人。
 B社は三輪の国。
 神話ではA社関係者は天つ神、それ以外は、国つ神とされた。
 B社にM&Aをすることを決定したのは、景行。
 M&AでB社の社長となったのは、崇神。
 B社の創業者は、A社の創業者である神武とした。
 景行・崇神のM&Aは国譲り、天孫降臨、神武の東征、とされた。
 組織変更とは、国ではなかったA社が国の体制をとったこと。B社については、大和朝廷となったこと。更に占領前の三輪の国も遡って大和朝廷であったことにしたこと。
 南朝鮮の支店は任那。
 南朝鮮支店経営の失敗とは白村江の戦い。
 三輪のことを、倭人は美山(みま)と呼んだ。
 崇神のおくり名はミマキイリヒコイニエ。ミマは美山のこと。イニエは名前。三輪に入ったイニエということ。
 神武はA社(かつB社)の創業者、崇神はM&A後B社の初代でどちらも「ハツクニシラス」初めて国を治めた。
 三輪占領を命じたA社の景行は、古事記では、B社崇神の次の次の代に就任したことにした。
 古事記では、崇神の天皇就任後5年にわたる記載がほとんどない。神武のこととされた。
 初代神武を縁起のよい紀元前660年に即位したことにして釈迦や孔子より前の人にした。畏れおおくて、勝手に王様は増やせない。その結果、想像を絶する寿命を持った天皇が続出してしまった。神代から続いているのだから、OKだったのだろう。
 欠史八代は、三輪の王。記録できなかった。A社の者ではないから、書く必要もなかったのだろう。
 A社が消えていったのは大宰府。
 景行は360年頃即位、崇神の東征は365年頃。


 邪馬台国は北部九州にあった。倭人天族がバックアップがしていた。実質のオーナーである。
 大和朝廷は近畿にあった。崇神は征服した三輪の国の王を引き継いだ。但し、初代は神武に替えた。古事記では、神武から大和朝廷である。
 神武東征については、365年頃崇神が行った東征を、古事記では紀元前660年頃に神武が行ったことにした。
 崇神東征後は、九州と近畿の2王朝制であった。
 景行以前は国家という体制ではなく、物流商社のような体制だった。だから、歴史に登場しずらい。景行以後、国家の体制をとったが、なかったこととされた。三輪の国も含めて、古事記では神代と繋がる近畿の大和朝廷に一本化された。

 視点を変えれば、それぞれ正しい。
 それぞれに正しいものの連立方程式を解けば、真実に近づくだろう。

 なお、根拠が知りたければ池田秀穂の「日本曙史話」を読んでください。
 

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