淡々と広島がヒロシマに変わる前の日常を
ヒロシマ消えた家族 という写真本は教えてくれます。
戦中であっても家族は笑い毎日を懸命に生きていたことを教えてくれます。
猫を背負い微笑む女の子が突然ある日焼かれ苦しまなければならなかったのでしょう。
夕凪の街 桜の国は 大切な人を失った悲しさ、生き残った悲しさ 生き残ったというのに亡くなった家族に申し訳なさを感じ しあわせになってはいけないと思い込み懸命に生きてやっと好きな人と手を取り生きていこうとした時、原爆の後遺症で命を落としてしまう若い女性が描かれています。
平和を、核兵器をなくすと声高に言うより、普通の日常を守りたい、誰にも奪われたくないと思います。
その方が現実的のような気がします。
戦争を憎むとか責任者は誰だというよりも、毎日の日常を奪われた悲しさを訴えていると思うのです。
それは世界中どこにもあることです。
ヒロシマはその後生きていても放射線のため後遺症で命を落とすという恐怖もありました。
それはヒロシマとナガサキにしかない過酷な現実です。
大切なものを誰も勝手に奪われたくないということを知る1日なのです。