たまゆら夢見し。

気ままに思ったこと。少しだけ言葉に。

我が背子 大津皇子 山辺皇女27

2019-09-04 00:30:48 | 日記
天武天皇が天武上皇になり大津さまが天皇となり災害で荒れていた人心も落ち着き、盗み、放火、争いによる人と人の傷つけあいがなく穏やかな時間が民の間には流れて行ったけれど…

宮中はさまざまな噂が流れて行った。

大津さまが天武上皇さまを恫喝し皇位継承をしたとか、皇太后さまとは不仲とか…ありもしないことがさもありなんで語られたというけれど、きっと不比等らが「ここだけの話…」と官人に噂を拡めようとしたのであろう…

穏やかな日々を送っているせいか、荒んだうわさ話に飛びつく愚かなものはいなかったわ。

寧ろ大津さまと皇太后さまの善政に地方からも有り難いと言われ官人たちも宮中で動きやすいと言った話を女官から聞いた。

「山辺皇女さまは、何故立后なさいませぬか。」と女官は眉を寄せて聞いてきたけれど「まだ我には気の重いことゆえ。それにいまこの律令の総仕上げを、皇太后さまがなさることで病と戦っておられる上皇さまの励ましになると思うが。」と言うと賢い女官はそれ以上なにも言わなくなった。

ただ上皇さまの加減は日々衰えていくばかりであった。

いつ頃からか大津さまは「皇太后さまと父上の時間は残り少ないように思う。なるだけお二人で過ごして頂きたいゆえ我は少し遠慮しておく。」と仰言っるようになられた。

時に甘樫丘に夜登り、夜露にぬれ寝床に入られることがあった。

私にはこんな時気の利いた言葉が出てこない。ただ黙り震えておられたお背中を摩りていたわ。

「山辺、すまない。」と寂しそうな大津さまがどれほど愛おしかったか…

「私は大丈夫でございます。」と申すと何度か頷かれたわ。

この時大津さまがどんな気持ちでいらしたか…血の繋がったこの世のお二人…父上さまの上皇さまと姉上さまの大伯さまのうちお一人を失くす恐怖だけでなかったように思う。

上皇さま、皇太后さまとで絶妙な均一が取れていた天皇の政治を外戚という形で不比等が暗躍し、皇太后さまの一人息子である草壁皇子さまを推して行く…皇位を剥奪されるというお気持ちで不安に感じておられると私は思っていたの…

皇太后さまの手前不比等を抹殺は出来ない。我らの父上天智天皇の忠臣の頭脳明晰な息子をそのようなかたちで闇に葬るほど大津さまは卑怯ではない。正々堂々と生きることを選ばられる御方だから…

今になって思えば大津さまはどう生きたいかを、上皇さまのお姿を見て初めて迷って、悩んでおいでだったというのがわかるのだけれども…