大津さまは「謀反など我に覚えがないこと。しかし、命乞いなど元よりするつもりはない。我以外誰にも責任はない。我一人の不徳の致すところ。我一人が咎を受ける。ただ、川嶋皇子は一刻も早く返せよ。」と堂々と皆に聞こえる声で仰言って死を受け入れられ賜わることをお選びになった。
夕陽に照らされる時刻…語沢田の舎で…
私は、大津さまより先に磐余の池で入水し、あの世でお待ちしようとしたが道作に助けられ水びたしのまま香具山の邸に戻された。お腹に鈍い痛み…私は大津さまとの和子の命を奪う覚悟だった。
もうこれ以上生きていたくはない。
モトとフキが布を持ってきて身体を拭いてくれた。二人は泣きながら「お妃さままでいなくなったら…」と泣いていた。
「大丈夫よ。自死など私には出来ないことがわかったわ。それに二人のことは大津さまがきちんと良いようになさっておられるから。」
「違います。お妃さまがいなくなることが嫌なのです。」とフキが言った。
「わかった。もうこんなことはしない。ただ二人にお願いがあるの。死ねないということがわかったら…大津さまとの約束を思い出した。近江に帰り和子を産むという約束を…数日経てば大津さまの姉上の斎宮さまがここに御出でになると思う。この首飾りと勾玉を渡してはくれまいか。」
多分大津さまの姉上さまならこのモトとフキに譲り渡してくれるであろう。この二人が困らないように。
モトは「それまでここに御待ちなされては如何ですか。」と抜け目なく聞いてきた。
「悲しいけれど、謀叛人とされた御方の妃はここに長いは出来ないわ。どんな理不尽な理由を突きつけられるかわからない。大津さまと約束した近江でこの和子を産ませていただくわ。粟津という場所があるの。来年の夏前に二人も来て。きっと大津さまに似て美しい御子になるわ。」と言うと「約束でございますよ。」と二人は泣いてくれた。
遥か西の二上山に夕陽が空を茜色に染めていた。
大津さまはあの茜色の空の向こうに逝かれてしまった。
私が大津さまの自由を奪ったというのにどうして生きておられよう。
少しでも早くあの御方のそばに行かなくては。
皇族の殉死は禁じられているけれど、この和子が大津さまのような運命を辿らぬよう消してしまった…
この和子の母だというのに…
斎宮さまは大津さまとこの和子の鎮魂をなさってくださるであろう。
この世は美しい。それを大津さまが教えてくださった。
でも大津さまがいないこの世は悲しみと苦しみでしかない。
少しでもお寂しくないように私はやはり大津さまのそばに行きたい。
いや、私が寂しいのだ。結局私は大津さまのためと言いつつ私のためにしか生きてない。
愚かだと後の世の人は言うであろうか。そんなことはどうでもいい。
誰も私にはなれないのだから。
誰にも許して貰えずとも私にはやはり大津さましかいない。
日本書紀によれば
朱鳥元年10月3日
「被髪徒跣、奔赴殉焉、見者皆歔欷(髪をくだしみたしてそあしにして奔りゆきて殉ぬ。見る者は皆嘆く。)」と記されている。
「フキ、彼の御方が大津さまの姉上さまの斎宮さまよ。」とモトが言う。
「そうね、お綺麗な御方ね。妃さまの御遺言通りこの白く光る珠と紫水晶の勾玉をお渡ししなくては。」とフキは言い二人とも斎宮さまに跪ついた。
ー完ー
夕陽に照らされる時刻…語沢田の舎で…
私は、大津さまより先に磐余の池で入水し、あの世でお待ちしようとしたが道作に助けられ水びたしのまま香具山の邸に戻された。お腹に鈍い痛み…私は大津さまとの和子の命を奪う覚悟だった。
もうこれ以上生きていたくはない。
モトとフキが布を持ってきて身体を拭いてくれた。二人は泣きながら「お妃さままでいなくなったら…」と泣いていた。
「大丈夫よ。自死など私には出来ないことがわかったわ。それに二人のことは大津さまがきちんと良いようになさっておられるから。」
「違います。お妃さまがいなくなることが嫌なのです。」とフキが言った。
「わかった。もうこんなことはしない。ただ二人にお願いがあるの。死ねないということがわかったら…大津さまとの約束を思い出した。近江に帰り和子を産むという約束を…数日経てば大津さまの姉上の斎宮さまがここに御出でになると思う。この首飾りと勾玉を渡してはくれまいか。」
多分大津さまの姉上さまならこのモトとフキに譲り渡してくれるであろう。この二人が困らないように。
モトは「それまでここに御待ちなされては如何ですか。」と抜け目なく聞いてきた。
「悲しいけれど、謀叛人とされた御方の妃はここに長いは出来ないわ。どんな理不尽な理由を突きつけられるかわからない。大津さまと約束した近江でこの和子を産ませていただくわ。粟津という場所があるの。来年の夏前に二人も来て。きっと大津さまに似て美しい御子になるわ。」と言うと「約束でございますよ。」と二人は泣いてくれた。
遥か西の二上山に夕陽が空を茜色に染めていた。
大津さまはあの茜色の空の向こうに逝かれてしまった。
私が大津さまの自由を奪ったというのにどうして生きておられよう。
少しでも早くあの御方のそばに行かなくては。
皇族の殉死は禁じられているけれど、この和子が大津さまのような運命を辿らぬよう消してしまった…
この和子の母だというのに…
斎宮さまは大津さまとこの和子の鎮魂をなさってくださるであろう。
この世は美しい。それを大津さまが教えてくださった。
でも大津さまがいないこの世は悲しみと苦しみでしかない。
少しでもお寂しくないように私はやはり大津さまのそばに行きたい。
いや、私が寂しいのだ。結局私は大津さまのためと言いつつ私のためにしか生きてない。
愚かだと後の世の人は言うであろうか。そんなことはどうでもいい。
誰も私にはなれないのだから。
誰にも許して貰えずとも私にはやはり大津さましかいない。
日本書紀によれば
朱鳥元年10月3日
「被髪徒跣、奔赴殉焉、見者皆歔欷(髪をくだしみたしてそあしにして奔りゆきて殉ぬ。見る者は皆嘆く。)」と記されている。
「フキ、彼の御方が大津さまの姉上さまの斎宮さまよ。」とモトが言う。
「そうね、お綺麗な御方ね。妃さまの御遺言通りこの白く光る珠と紫水晶の勾玉をお渡ししなくては。」とフキは言い二人とも斎宮さまに跪ついた。
ー完ー