たまゆら夢見し。

気ままに思ったこと。少しだけ言葉に。

我が背子 大津皇子 山辺皇女 最終話

2019-10-03 08:05:29 | 日記
大津さまは「謀反など我に覚えがないこと。しかし、命乞いなど元よりするつもりはない。我以外誰にも責任はない。我一人の不徳の致すところ。我一人が咎を受ける。ただ、川嶋皇子は一刻も早く返せよ。」と堂々と皆に聞こえる声で仰言って死を受け入れられ賜わることをお選びになった。

夕陽に照らされる時刻…語沢田の舎で…

私は、大津さまより先に磐余の池で入水し、あの世でお待ちしようとしたが道作に助けられ水びたしのまま香具山の邸に戻された。お腹に鈍い痛み…私は大津さまとの和子の命を奪う覚悟だった。

もうこれ以上生きていたくはない。

モトとフキが布を持ってきて身体を拭いてくれた。二人は泣きながら「お妃さままでいなくなったら…」と泣いていた。

「大丈夫よ。自死など私には出来ないことがわかったわ。それに二人のことは大津さまがきちんと良いようになさっておられるから。」

「違います。お妃さまがいなくなることが嫌なのです。」とフキが言った。

「わかった。もうこんなことはしない。ただ二人にお願いがあるの。死ねないということがわかったら…大津さまとの約束を思い出した。近江に帰り和子を産むという約束を…数日経てば大津さまの姉上の斎宮さまがここに御出でになると思う。この首飾りと勾玉を渡してはくれまいか。」

多分大津さまの姉上さまならこのモトとフキに譲り渡してくれるであろう。この二人が困らないように。

モトは「それまでここに御待ちなされては如何ですか。」と抜け目なく聞いてきた。

「悲しいけれど、謀叛人とされた御方の妃はここに長いは出来ないわ。どんな理不尽な理由を突きつけられるかわからない。大津さまと約束した近江でこの和子を産ませていただくわ。粟津という場所があるの。来年の夏前に二人も来て。きっと大津さまに似て美しい御子になるわ。」と言うと「約束でございますよ。」と二人は泣いてくれた。

遥か西の二上山に夕陽が空を茜色に染めていた。

大津さまはあの茜色の空の向こうに逝かれてしまった。

私が大津さまの自由を奪ったというのにどうして生きておられよう。

少しでも早くあの御方のそばに行かなくては。

皇族の殉死は禁じられているけれど、この和子が大津さまのような運命を辿らぬよう消してしまった…

この和子の母だというのに…

斎宮さまは大津さまとこの和子の鎮魂をなさってくださるであろう。

この世は美しい。それを大津さまが教えてくださった。

でも大津さまがいないこの世は悲しみと苦しみでしかない。

少しでもお寂しくないように私はやはり大津さまのそばに行きたい。

いや、私が寂しいのだ。結局私は大津さまのためと言いつつ私のためにしか生きてない。

愚かだと後の世の人は言うであろうか。そんなことはどうでもいい。

誰も私にはなれないのだから。

誰にも許して貰えずとも私にはやはり大津さましかいない。


日本書紀によれば
朱鳥元年10月3日
「被髪徒跣、奔赴殉焉、見者皆歔欷(髪をくだしみたしてそあしにして奔りゆきて殉ぬ。見る者は皆嘆く。)」と記されている。

「フキ、彼の御方が大津さまの姉上さまの斎宮さまよ。」とモトが言う。
「そうね、お綺麗な御方ね。妃さまの御遺言通りこの白く光る珠と紫水晶の勾玉をお渡ししなくては。」とフキは言い二人とも斎宮さまに跪ついた。

ー完ー

我が背子 大津皇子 山辺皇女 32

2019-10-01 10:40:31 | 日記
その夜が明け東雲が見えるようになった頃ようやく大津さまと二人きりになった。

「山辺、身体はどうだ。眠っていないが大丈夫か。少し痩せたな。」と大津さまは香具山の邸で尋ねられた。

「私は全く自覚がなくて。びっくりいたしました。大津さまこそお痩せになられました。」

「山辺…今度こそ別れだ。我はきっと参内は叶わないだろう。お願いだ。和子を大切に近江へ帰れ。」

「どうしてそうなるのでございます。」

「我は何らかの大義名分をつけられ抹殺される。我が生きた証に和子を守ってくれ。」

「あなたほどの方がどうして、どうして。」私は涙ながらに聞いた。

「我は一度皇統をいただいたというに、人間として自由に生きたいなどと望んでしまった。高天ヶ原に坐す神々や歴代の天皇の御怒りに触れてしまったのであろう。もういいのだ。山辺。もういい。」

死を決意されている…こんなにも民のことを思いこの国を思い生きてきた人だというのに…

私は、この御人を悲しませたくない。ただそれだけであった。

「わかりました。私は近江に帰り、粟津の地であなたさまとの和子を蘇我の家の子とし育てましょう。なるだけ草壁皇子や不比等に怪しまれぬように。」

不比等にとって近江の地は庭のようなもの…私が犠牲にならぬようにと…生き延ばせようと…大津さまは必死の訴えをされているだけ…

この和子が自らを呪うような運命に晒したくはないのはお分かりのはず…

「我のわがままばかりすまぬ。そなたがここへ来たのはこんな悲しい目にあわすためでなかったのに。
すまぬ。」大津さまは私の肩を触れ頭を下げられた。

「私は神のような皇子さまから尊い命を授かりました。光栄にございます。」と申し上げた。

そう申し上げることが私の精一杯の役目であると思った。例え嘘でも。

その時門の外が騒ぐ声がした。

二人で庭にでると数十人の兵が一斉に邸を囲んでいた。道作が大津さまと私守るように立ち塞がった。

「開門願います。大津皇子、謀反の疑いにて命が降りました。」とその中の一人が声をあげた。

「開けてやるがよい。」と大津さまは仰言った。道作が門を開けた。

しかし兵は道作の姿を見て、抵抗されると勘違いしたのか槍を向け「抵抗するなら不本意なれど大津皇子を捕縛する。」と言った。

「わからぬか、たわけが。そんな権限は誰にもない。」と道作は激高し一人の兵を斬りつけてしまった。

とても敵わない相手と思ったのか「皇太后、皇太子からの勅命である。賜死である。」と兵の長らしきものが言った。

大津さまは「皇太后さまだという嘘は見苦しい。いつ草壁が皇太弟から皇太子になったかは知らぬが。」と言いその兵の元に行かれた。

私は「大津さま、嫌です。こんなこと許されない。」と大津さまのもとに駆け寄ろうとしたが、大津さまから「山辺。」と静かだけれども荘厳な声をかけられ立ち止まるしかなかった。