9月12日(火)
11日、テレビでニューヨークの同時多発テロ事件の事が話題となった。
そう!思い出した!!
富士山の家に滞在していた時だった。
夜、テレビを見ていると、何度も何度も繰り返し、飛行機が超高層ビルへぶつかっていく。
私たちは、すごい映画だと話し合っていた。
それが、実際にテロ事件だとわかった時には、眠気も覚めて、すっかり、一晩を明かした事を覚えている。
「もう、海外旅行も止めようね」と、二人の感想。
映画だとばかりに見ていたニューヨーク世界貿易センターのツインタワーが、無残にも多くの人々を巻き添えにして爆破され、刻々とその情景を報道されるに従って私たちのショックは止まる事がなくなった。
ここには日本の会社や金融機関もあり、会社の出先機関として活動している人達がいる。
私の知人はどうしているだろうか?彼は無事だったが、朝出勤時の人たちが大勢亡くなった。
更に、救出に向かった警察官や消防士は危険を押してビルに入り、命を失っている。
この恐ろしいテロ事件は四カ所で起こり、飛行機に乗った人々は犯人たちの脅迫を受けながら犠牲となっている。
アルカイーダがアメリカ合衆国を標的にしたその最も残酷な事件として、世界の人々を驚かせた。
海外旅行へは毎年出かけていた私は、世界の事情を知るのに全くと言っても無知に近いと、しみじみ感じるようになったが、多大な犠牲を被ったアメリカの人たちには実にショッキングで、忘れられないものとなった。
そして、今、また、この事件が蒸し返されそうになっている。人種差別の問題が現在の米国民を分けて、深刻な事態を引き出すかもしれない。
考えてみると、私たち日本人には深刻さが足りないと思う。
切実感もさる事ながら、出来事に真剣になるのが足りないように思える。
今、過去の様々な出来事(その殆どは隠されていた)がニュースや映像などになって、広く公開されるようになった。
その中には「嘘!本当?」と言いたくなったり「信じられない」と言ったような事柄が多くある。
また、今まで、絶対に口に出されなかった事柄を明らかにする人もいる。
しかし、残念ながら、そうした人々はすでに九十近くになり、隠された日本の歴史や事件を語ることが難しくなった。
残念な事だ。
事実を知ると言う事は、過酷な事である。
しかし、様々な出来事をオブラートに包むような時代は、もう去った。
『知る』事は厳しいけれど、『知らない』事は、更にきつい。
宗教上の違いに理解を深め、人間同士として心を広める事が大切だと、つくづく思う。