富岡町観光協会ブログ「夢咲くら」

警戒区域となった福島県富岡町の現在…
東日本大震災・原発事故・避難に関する新着情報などをお伝えしています。

ある家族のケース 3月16日(水)午後1時00分 昼食

2011-06-06 10:22:36 | 地震・津波・原発事故・避難
遅めの昼食をGS向かい側のレストランでとることに。
レストランは水がダメで、駐車場でテイクアウト販売中。

6日ぶりの食事らしい食事を、車中で食べたけれど、
避難生活での食事状況が影響し、
一人前のカレーを胃袋に入れるのはとても大変だった。

一方で「こんなに食べていいのかしら?…」
「避難所にいる人達は食べることが出来ていないのに…」と。
罪悪感を感じ…食欲など一つもわいてこない。
無理矢理押し込み、飲み込んだ。

72歳になる実家の父が昨夜からずっと車の運転をしていて、
すごく疲れているのが目に見える為、
昼食後にちょっとだけ仮眠をとることに…
水戸市まであと30㎞、谷和原ICまで100㎞、
なんとかなるかも…



ある家族のケース 3月16日(水)午前11時00分 給油

2011-06-05 10:05:28 | 地震・津波・原発事故・避難
毎日給油できるGSがあるらしいと弟から教えてもらい、
そこを目指してさらに6号国道を南下し、
日立那珂市まで車を進めた。
国道沿いのGSは至る所で大行列!!

教えてもらったGSは6号国道より少し横道の入った所で、
地元の人が利用しているらしく乗用車が多かった。
それでも40分以上は並んだが…
エンジンを切りながら待って少しずつ進む…

やっと給油できたが、2000円分しか入れてくれなかった。
もう一度最後尾に並んで2度目の給油を試みる。
他は長蛇の列で給油の可能性が薄い。
ここも2回目の給油は保証出来ないと言われたけど、
無駄なガソリンを使わないで済むかもしれない。

30分以上かけて2度目の給油が完了したのは、
12時30分を過ぎていたけれど、ラッキーだった。
満タンになったのが1台、半分くらい給油出来たのが2台。
井戸水があったのでGSでトイレも済ませることが出来た。

ある家族のケース 3月16日(水)午前9時00分 子供たち

2011-06-04 09:46:03 | 地震・津波・原発事故・避難
日立市大みか町のガソリンスタンド二軒をまわったが、
結局給油できなかった。
一軒は並んでいたものの営業しないことがわかり、
もう一軒は販売が終了してしまっていた。

弟は、もしもの時にと、
持ってきたガソリンの2リットルを1台に、
1リットルをもう一台に給油し、
一足早く弟の横浜の自宅に子供2人(中3・高3)を乗せて出発。

4人で住んでいる妹夫婦宅に、12人で押しかけるのは
さすがに大変と、子供2人を弟に預けることにしたのだった…

別れ際、不安そうに涙ぐむ中学生の娘を抱きしめ、
もしもの時にと、保険証を渡した。
(抱きしめたことなど、ここしばらくない)
「きっと横浜は楽しいよ。すぐ会えるから。」と
言葉をかけたものの、涙がこぼれてきてしょうがなかった…



ある家族のケース 3月16日(水)午前7時30分

2011-06-02 13:08:34 | 地震・津波・原発事故・避難
昨夜からの緊張がほぐれたのと、
弟が準してくれた朝食のおかげでお腹の調子が…

国道沿いの大甕神社の境内のトイレが故障中で、
仕方なく近くの民家のお宅へ…福島から避難している事情を話し、
「トイレをお借りしたい」とお願いするとと、
見ず知らずの私たちに快く貸して下さった。

この地域一帯はまだ水道がダメで、
訪ねたお宅は、たまたま井戸水が出る為、
なんとか生活できていたとの事。
自宅では生活出来ないので、実家に戻っていた娘さんが
対応してくれた。この家のお孫さんはちょうど出勤前で、
「福島第一発電所に、仕事で行ったことがある。
 人ごととは思えない」と。あたたかい言葉をかけて頂いた。

お礼を言って帰ろうとした時、アルミホイルに包んだ、
出来たてのあったかいおにぎりを6つ渡して下さった。
さらに、ペットボトルに入れた井戸水を4リットルも…

優しいお母さん(娘さん)の気遣いと心遣いに、
また涙がこぼれた…あったかいおにぎりは、
「あたたかい気持ち」そのものだったように思う。

家のそばに立っていた電柱の住所と、表札の名前をメモし、
清々しい気持ちで車列に戻った。

本当に、あの時はありがとうございました。
ご恩は一生忘れません…何度お礼を言っても足りないくらいです。

どこかでは、「福島」というだけで
いわれのない差別もあったと聴きましたが、
ほんの一部の報道と信じます。信じたいです。
多くの皆さんは、親身になり親切にして下さいます。
 
悪い事ばかりが大きく記事になっていますがこの場をお借りして、
応援して下さる多くの皆さんの「心」をご報告します。
  
一ヶ月後、ひたちなか市のお宅へお礼の葉書を書きました。
近況をお知らせするとともに、あの時のお礼を込めて…
本当に届くかどうかわかりませんでしたが、
2週間後、宅急便が仮住まいのアパートに届きました。
 
あのお母さん(娘さん)からの救援物資とお手紙でした…
またお世話をかけてしまったと反省しましたが、
ありがたく、遠慮なく使わせて頂く事に。
この縁を大事にしていこうと、心に誓いました。


ある家族のケース 3月16日(水)午前7時00分

2011-06-01 13:02:16 | 地震・津波・原発事故・避難
横浜から駆けつけた弟の先導で、
6号国道を日立市からさらに南へ移動。
川内村から走っきた3台の車のうち、
すでに2台はエンプティランプがついている。

ひたちなか市に入り大甕神社の近くのガソリンスタンドに並ぶ。
すでに車の行列はかなりの長さになっている。
給油出来るかどうかは店が開かないとわからないらしかった。

ある家族のケース 3月16日(水)午前6時00分

2011-05-31 12:43:04 | 地震・津波・原発事故・避難
嵐とも思える強い風が吹き、
小雨が車の窓に横殴りに突き刺さる…そんな
不安な時間を過ごしながら横浜から来るはずの弟を待つ…

午前5時30分少し空が明るくなり始めて来た頃、
一台のバイクが通り過ぎる…新聞配達のバイクだ!
住む人がいるらしい事がここでも確認できて、
また一つ心がホッとした。が…まだ弟は来ない。
「お願い…早く来て!」
両手を胸の前で組み、心の中でひたすら祈る…

人の顔が確認出来る明るさになってきた午前6時頃、
1台の車が6号国道から駐車場に入って来るのが見えた。
弟が車を降りた。
思わず涙がこぼれた…不安が嬉しさに変わった瞬間だった。

ずーっと、両親・私たちきょうだいとも連絡が取れずに、
かなり心配していた事。18日(金)までに連絡が取れなかったら、
新潟県内で車をチャーターし郡山市経由で、
川内村に入るつもりだったらしく手配を進めていた事を聞いた。
「会えてよかった!もう大丈夫だからね…」
また涙がこぼれた。「安心」と「ありがとう」の涙だった…

ある家族のケース 3月15日(火)午後11時30分

2011-05-30 11:15:38 | 地震・津波・原発事故・避難
6号国道バイパスを南へ進みながら妹や弟へ連絡を取りました。
勿来の手前で連絡が取れましたが、12人で避難していると伝えると、
さすがにビックリしていました…でも、
ずっとメールや電話をしていたけど、通じなくて心配していたとの事。

3台の乗用車のうち1台はガソリンが満タンに近かったけど、
残り2台は、1メモリくらい…どこまで進めるか…
妹が来るまでどこかで待っていなければならないかも…

6号国道は所々段差がありました。
また、海沿いは津波の被害を受けたらしく、
フロントが下向きになって止まっている車も…
道路脇の草が全部同じ方向を向いているのも不気味でした。

11時頃、人の気配がまったく感じられない
6号国道をひたすら進んでいると、
ハザードランプをつけた車の車列が見えました。
ガソリンスタンドに並んでいたらしく、
人がいるらしい事がわかり少し安心…

ガソリンの赤ランプがついて、しばらく走り続け、
11時30分頃に日立市内の6号行動沿い
ヨークベニマル駐車場へ停車。
横浜に住む弟と連絡が取れましたが、
これ以上走れないことを告げると
今から迎えに行くと言ってくれたので、ここで待つことに…
一人1枚ずつの毛布で体をくるみ、車中で一晩過ごしました。

小雨だったのに、強い風も吹き始めてしまい不安が募りました。
この駐車場も人気がなくとても静かです。
3時頃、救急車が1台目の前の病院へ吸い込まれ、
人が動いているのが見え、ちょっと安心…
よーく見ると右側には交番が…
いざとなったら交番へ相談しにいこうか…
などど考えながらウトウトと朝まで過ごしました。

ある家族のケース 3月15日(火)午後10時

2011-05-29 10:53:43 | 地震・津波・原発事故・避難
小野町方面へ向かったはずが途中、迂回路となり、
いわき市川前へ向かうとんでもない林道へ…

ガードレールもなく、乗用車1台が通れるような道を進みます。
登り坂はガソリンランプが点灯し、心細くなりました。
本当にこの道を進んでいいのか迷いながら…
(カーナビがなかったら、怖くてきっと引き返していましたね…)

どこまでも登り坂が続き、1時間が何時間にも感じました。
心臓はドキドキ…分岐点では車を一時止めて皆で相談しながら避難…
山の頂上らしい所を越え、下り坂になってきた頃、
やっと携帯やメールが通じ始めました。

3月15日(火)午後10時。JRいわき駅前に到着。
このとき、いわき市内の親戚宅は全~部、
石川町や塙町、群馬県へ避難済みだったことがわかりました。

いわき駅前道路脇に車を止め、
これからどうしようかと協議していたその時!
車が大きく揺れ、ビルも大きな音を立てて…一瞬怖くなりました。
静岡県内でおきた大きな地震でした。

大きな地震があったにしても…
人の気配が全くと言っていいほどなく、静か…
タクシーが1台も走っていない…
異様な静かさ…まるでゴーストタウン…
仕方なく、茨城県内に住む妹夫婦宅へ向かうことに…
でも、その妹にもまだ連絡はとれていませんでした。




ある家族のケース 3月15日(火)午後9時

2011-05-28 10:37:32 | 地震・津波・原発事故・避難
ある家族のケース

翌日16日には富岡町・川内村合同災害対策本部が主導で、
川内村から避難することは決定していましたが、
車のガソリンが少なく、渋滞に巻き込まれれば、
遠方の親戚宅までは難しい為、川内小学校の避難所を、
乗用車3台に5世帯12人が分乗し、退所することに。

3月15日(火)午後9時、小雨が降る中、小野町方面へ。
親戚の多くはいわき市内に5~6件あり、そこを目指して出発。

富岡町から乗ってきた乗用車は4台でしたが、
ガソリンが少ない事、11日の地震で屋根の瓦の直撃を受け、
フロントガラス・ドアミラーなど、
左半分の破損がひどかった1台はあきらめ、
積み込めない布団類を乗せたまま小学校脇の道路沿いに置いてきました。
1年3ヶ月前に買ったばかりの新車、ローンも6年残っていましたが、
仕方がありません…

しかしながら、この時点で親戚の誰とも連絡がとれていませんでした。



3月15日(火)避難所内の生活

2011-05-27 10:11:25 | 地震・津波・原発事故・避難
電気、水道、ガス(プロパン)は、
一応大丈夫だった川内村内での避難生活。
12日から4日目となった15日には、屋内待避指示。

テレビやラジオのニュースでは、
1号機から4号機までの現状が終始流れ、15日朝食時は約650名、
夕方までに結構な人数が避難所を退所していきましたが、
川内村内の他の小さい避難所から、床暖房もある川内小学校へ
移動してきた人々もあり、15日(火)の夕食時の人数に
変化はありませんでした。

川内村の標高は高く、まだまだ寒かったですよ。
毛布を床に敷き、ダウンなどのコートを着たまま、
毛布を掛けて寝ていましたから…

小学校の体育館内の人数も減ったので、校舎側へ移動して頂き、
体育館で使用していたストーブが、夕方に昇降口前へ設置されました。
洗面所で洗った下着や靴下・タオルなどを持ち寄り、
乾かしている避難者の方もいました。
着のみ着のまま、4日目ともなると本当に困っていました。
大人はなんとかなりましたが、小さい子どもさんは汚れも激しく大変…
役場担当者の方の配慮に、感謝していました。

(本日、27日は関東地方が梅雨入りしました。
 まもなく東北地方も梅雨入りします。
 一時帰宅のスケジュールに影響が出なければいいですね…)

3月15日(火)夕食

2011-05-23 10:33:31 | 地震・津波・原発事故・避難
3月15日(火)の夕食は、
おにぎりとゆで卵、チョコ菓子1個
いつもより少し早めの夕方6時頃、配布となりました。

お昼過ぎからは避難者のボランティアの皆さんが
おにぎりを握って、明日の朝食分のおにぎりは確保。
(ご飯は、屋内待避にもかかわらず、
 川内村婦人会メンバーの皆さんが、
給食用の炊飯器で炊いて下さいました。
 今日からは、屋外テントでの消防団の炊き出しは
出来なくなりました…)
明日の昼食分のおにぎりは調達出来るかどうかは不明との談話も…

3月15日(火)屋内待避

2011-05-22 10:33:31 | 地震・津波・原発事故・避難
屋内待避指示により、一日中、校内で過ごしました。

子ども達は今日も中高生のお兄さんお姉さんのところで遊び、
大人達は廊下のテレビから流れるニュースや
手持ちのラジオから情報を得て、屋内待避にもかかわらず,
荷物をまとめ避難所を退所していく家族もありました。
それでもパニックという感じはなく落ち着いていましたよ。

今現在、福島第一原子力発電所の中で働く父をあんじ、
原発事故の収束を願い…
そしてその成功を信じる家族もまたいました。
「お父さんが、絶対やってくれるよ!がんばってくれるよ!」
そういう親子の心を思いやる優しい地元の方々が
避難所にはたくさん…

今でもきっと、地元下請け企業で働く方々が
原発内にはいらっしゃいます…
この二ヶ月間、必死に頑張っていると思うと
「頑張って下さい」とはこれ以上言えません。
祈るだけです…感謝するだけです。

3月15日(火)朝食

2011-05-20 20:48:30 | 地震・津波・原発事故・避難
14日(月)の昨夜、夕食時に確認した避難者とスタッフ数は
約950名でした。

15日(火)の朝食は、
ゆで卵とおにぎり、果物1/6(ミカンかリンゴ)

やはり、ゆで卵の数で避難者数をカウントしました。
その数、約600名…
早朝にかけて約350名が避難所を退所して行ったことになります。

3月15日(火)ペットたち…

2011-05-19 20:25:19 | 地震・津波・原発事故・避難
富岡町からの避難者の皆さんの中には、
家族ともいえる犬や猫などのペットと一緒に避難をしている方がいました。

14日(月)までは、自家用車の中に入れて
散歩や食事の時にお世話されていましたが、
15日(火)よりは屋内待避の指示が出てしまい、
散歩も出来なくなった他、食事を与える為に
建物の外に行くことも不可となってしまいました。

避難所の責任者の方が、そうした皆さんに配慮し、
川内小学校の北側校舎の一番端の教室を
ペットと過ごせるような専用部屋にしました。

早朝にかけて退所する人々が多く、
各教室の人口密度も低くなっていましたので、
精密機器がある特殊教室を使用せず過ごせるよう組み替えを行ったようです。

ペットと家族の部屋の他、
トイレに近く床暖房がある部屋は、体に不自由がある方とそのご家族、
図書室は授乳が必要な乳幼児の親子専用の部屋とし、
屋内待避となっても絵本などが読めるようにしてくださいました。

これまで朝に行っていた、
各自の清掃を兼ねていた一斉換気も出来なくなりましたが、
心細い状況の中、家族同様のペットたちと過ごす事が出来るようになった事、
そして、退屈気味だった子ども達は、そんなペットたちとふれあい、
ひとときの間、心癒される時間を頂いた事は、よかったと思います。

3月15日(火)町長さんより

2011-05-16 19:55:18 | 地震・津波・原発事故・避難
平成23年3月15日(火)午前5時20分
富岡町の遠藤町長さんが、川内小学校にいらっしゃいました。

これまでも毎日、議長さん・教育長さんなどが必ず一日1回、
各避難所を訪問し、状況説明の為に訪れていましたが、
この日の朝は大事なお話があるとのことで、
自ら出向かれたそうです。

「富岡町と川内村は合同災害対策本部を設置し、
富岡町民5200名と、川内村民3000名の
避難をすることになりました。
現在、避難先と移動のバスを手配しているところです。
どうか皆さん、落ち着いて行動してくださるようお願いいたします。」

以上のような内容のお話がありました。

町長さんのこの言葉を聞き、一時積み込んだ荷物を自家用車からおろし、
朝食ボランティアのお手伝いをすることに…

ただ、前日まで可能だった屋外に出ることなどは禁じられ、
屋内待避指示となってしまいました。