富岡町観光協会ブログ「夢咲くら」

警戒区域となった福島県富岡町の現在…
東日本大震災・原発事故・避難に関する新着情報などをお伝えしています。

がんばれ! 日本 inもりや

2011-04-30 21:53:51 | 震災日記
平成23年4月28日(土)11時~14時
茨城県守谷市内「学びの里」校庭内にて
「がんばれ! 日本 inもりや」が開催されました。

守谷市内に避難されている方々が招待され
太鼓、守谷高校吹奏楽部、合唱団の演奏が披露されました。

校庭内のテントには、ボランティアの方々手作りの
焼きそば、カレー、豚汁、お餅なども準備されており、
飲み物は市内の企業さんからの提供ということでした。
鯉のぼりがたくさん泳ぐ五月晴れの中、
市長さん、議会議長さんのご挨拶で開始。

川内村からも避難している親子さん、
いわき市、南相馬市などからも…
市内の各家庭や民間住宅でそれぞれの避難生活を送っている人たちが
情報交換していましたよ。
(思わぬ知り合いと再開が出来て…感激!)

こうした取り組みをしている自治体は少ないと思いますが、
ボランティアの皆さんからの暖かいお声かけ、
そして避難者のお話を聞いて頂き、
本当にたくさんの元気を頂きました。
ありがとうございました。


猪苗代湖ズ 本日NHK出演 30分特集番組!

2011-04-29 08:43:01 | アクアタイムズ・ソウルセット・猪苗代湖ズ
本日、4月29日(金)お昼、12時15分~45分
NHKにて猪苗代湖ズがテレビ出演いたします!
30分の特集ですよ。

箭内さん(郡山市出身)、山口さん(会津若松市出身)、松田さん(塙町出身)
そして、渡辺俊美さん(川内村生まれ、富岡町育ち)の4人が
猪苗代湖ズとして「I love you & I need you ふくしま」を
心を込めて歌います…

47人の全都道府県人が歌うPVの
ダウンロード数も好調で一位を獲得したそうですよ!
ありがとうございます。
是非みなさんも応援して下さい!!

あの日から四十九日…

2011-04-28 08:34:18 | 震災日記
本日は、あの震災当日に亡くなられた多くの方が
四十九日を迎えます。

震災当日までは一日が短く感じ、
こうして歳をとっていくのか…と毎日思っていましたが、
あの地震の日からは、一日が1週間のように思え
1週間が1ヶ月…いやそれ以上に感じていました。

まだまだ行方不明の方がいらっしゃいます。
私の叔母夫妻も安否不明です。
(後日、叔母が津波で亡くなった事が判明しました…)
友人の義父母も行方不明。
知人も1回目の津波は避けられましたが、
2回目の津波の前に、自宅に戻ったきりです…

ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

3月13日(日)朝刊

2011-04-27 23:29:53 | 地震・津波・原発事故・避難
避難所で唯一、たった1回、この日だけ新聞が届きました。
一面記事の写真を見て愕然…
福島第一原子力発電所の1号機建屋の写真でした。
水蒸気(?)爆発がおこり建物が破損してました。
(後に水素爆発だったらしい事が判明…)

13日は川内小学校内の固定電話も通じ、
10円玉を片手に利用者が列をなしていました。

携帯電話はほとんどが不通、
auのみがかろうじて通じたり、通じなかったり。
それも、ある一定の場所しか通じません。
比較的メールは大丈夫だったようです。
避難者のほとんどは着のみ着のまま、
充電器を持っている人もあまりなく、
お互いに貸し借りしていましたね。

テレビの前にはいつも人だかりがあって、
三陸地方の大津波の映像や
政府の会見などのニュースに釘付けでした。
ラジオを聞いている方もいらっしゃいました。

大勢で見ていたのでチャンネルが程度固定されてしまい、
今思うと、かなり情報量は少なかったです。
避難所を出てから、知った事、わかった事が
た~くさんあってびっくりしたくらいです。

3月13日(日)夕食

2011-04-26 22:36:15 | 地震・津波・原発事故・避難
この日の夕食は川内村婦人会の皆さんが、
給食用のお釜でご飯を炊いてくださり、
避難者のボランティアが、おにぎりを作りました。
その数、約1500個!

その他、川内村民の皆さんから提供された野菜を使って
汁物を作りました。
ボランティア女性陣は、野菜切り。
屋外にテントを設置し消防団の皆さんが大鍋で炊き出しです。

そして、昨年の11月に友好都市締結を結んでいた
埼玉県杉戸町より支援部隊が夕方到着し、
すいとん汁の提供もありました。

約1400名全員への配布は2時間以上かかりましたが、
川内村の皆さん、川内学校の校長先生をはじめとする先生方、
消防団の皆さん、杉戸町の皆さん…
本当にありがとうございました。

この日の夕食は、皆さんのおかげで
おにぎり1個、食パン1枚、汁物でした。
食パンは柔らかいので、ご高齢で歯が弱い方には好評でしたよ。


3月13日(日)朝食

2011-04-25 20:52:18 | 地震・津波・原発事故・避難
昼夜を問わず強い余震が断続的に続き、
そのたびに悲鳴やざわめきがおこりました。
地鳴りが聞こえる余震は、
とても熟睡など出来るものではありません。
うつらうつらして朝を迎えましたが、
この日の朝食は、おにぎり、11時頃でした。

川内村は約2700名程度、
そこに、約5000名の富岡町民が避難していました。
川内村民の皆さんがお米を提供して下さり、
川内村婦人会のメンバーの方が
ご飯を炊いておにぎりを作ってくれたのです。
川内小学校には、そのうちの約1400人がいました。
本当に感謝…感謝です。

食事の配布は、避難者の中からボランティアを募り、
役場職員の方と相談しながら、
体育館、北校舎、南校舎と、
ブロック別に誘導して平等に配っていました。

福島県八重洲観光交流館

2011-04-24 20:22:05 | アクアタイムズ・ソウルセット・猪苗代湖ズ
平成23年4月23日(土)雨
昨日、JR東京駅八重洲口より徒歩3分の
福島県八重洲観光交流館へ行ってきました。

日頃より大変お世話になっていた、ご担当者様はあいにくお休みで
お会いすることは出来ませんでしたが、
特大の赤ベコが店頭でお出迎えしてくれました。

入って左手の壁には福島県内の観光パンフレットが並び、
中央に各市町村のお土産品、一番奥には日本酒のお手頃サイズが…

そして店内には、猪苗代湖ズの
「I Love you & I need you ふくしま」の曲が
エンドレスで響いていました。
(ちょっと、感激!)

福島県内の桜の名所を紹介している
「うつくしま ほんものの旅 2011春号」を頂き家路につきました。
福島県の観光スポット、旬の地域情報が満載、
キーワードは「福島の旅」、下記のHPではダウンロードも出来ます。
http://www.tif.ne.jp

東日本大震災の影響で、浜通り以外の中通り・会津地方などの観光客が
少なくなっていると報道がされていますが、
どうか皆さん、桜の名所が多い福島の春…見に行ってみて下さいね。



立ち入り禁止に…

2011-04-22 23:00:08 | 震災日記
平成23年4月22日(金)0時より、
福島第一原子力発電所より20㎞圏内は
立ち入り禁止となりました。

一時帰宅には、1世帯1人のみ、
バスで移動し、安全確保のうえ2時間程度。
(3㎞圏内は一時帰宅もできないとか)
時間がかかりそうです…

3月12日(土)妻子を捜して

2011-04-20 17:57:52 | 地震・津波・原発事故・避難
彼は会津地方の出身
仕事の関係で富岡町に暮らしていた。

地震発生当日、11日深夜に、
災害対策本部のある「学びの森」で会った時、
奥様とお子さんの所在がわからないと言っていた。
彼の住まいは、JR富岡駅前のマンションの2階で、
大津波が押し寄せた付近。
無事らしいとは聞いているが、
富岡町内の各避難所を回り捜したけれど
見つからなかったとのこと。

その彼が、12日(土)朝8時頃、
一人で車を運転し、川内村へと続く大渋滞の中にいた。
昨晩のうち、船引町まで車を飛ばし給油をしてきたが、
所持金は数百円。やはり妻子には会えなく、
これから川内村や他の避難所に行くという。
祈るような気持ちで彼を見送ったけれど…

後日、奥様たちと会うことが出来たと彼から電話が…
現在はいわき市四ツ倉で仕事を再開しているの近況報告も。
いつか富岡町でお会いしましょうと、
堅い約束をかわし電話を切った。
無事に会うことが出来て本当によかった!

11日(金)の夜は、連絡がつかず会えない家族、
所在は確認出来たけれど、交通事情で離ればなれとなり、
不安な一夜をあかした家族など、
様々なドラマがあったようです。

3月12日(土)ある親子の避難

2011-04-19 17:43:18 | 地震・津波・原発事故・避難
3月12日(土)午前7時頃の防災無線により、
川内村へ避難するために、
自家用車で夜の森から上手岡方面へ進んだある親子…

渋滞がひどくガソリンが少なくなり
車列から外れ、少し様子を見ていたが、給油はできない…

その時、高校2年生の息子が言った!
「お父さんの車にガソリンがあるかもしれない!」
(お父さんとは、正確には「別れたお父さん」であるが…)
と、車のおいてある祖父母宅へ直行。

でもガソリンは入っているがバッテリーが繋がっていなかった。
「僕、見ていたからわかる!」と、バッテリーを接続し、
無事に川内村へ移動することが出来たそうです。

何事も経験しておくと、いざという時に役に立つのですね…
それにしても、彼の機転は200点満点だ!
(もちろん、車を借りたと置き手紙をしてきたそうですよ。)


ザンジバル ナイト 日比谷野音にて

2011-04-18 23:34:19 | アクアタイムズ・ソウルセット・猪苗代湖ズ
2011年4月17日(日)日比谷野音にて
ザンジバル ナイトが開催されました!

川内村生まれ、富岡町育ちの
Tokyo No1 Soul Setの渡辺俊美さんも出演。
オリジナル2曲を歌ったあと、
3曲目の「イノセント ラブ」には、
息子の登生君も登場、息のあった親子ハーモニーを披露。

4曲目には、話題の猪苗代湖ズ
「I Love You & I Need You ふくしま」を熱唱!
会場全体が「ふ・く・し・ま」「ふ・く・し・ま」の大合唱!
聞いていると涙がこぼれてきてしまいました…
福島の被災者の皆さんに届いたでしょうか?

その他、桃色クローバーの皆さんは
エキサイティングな踊りと歌を披露、
清水ミチコさんは、ものまね満載のエンターテイメントショー、
猫ひろしさんも会場を笑いの渦に巻き込みました。
(プライベートは背広に身を包み、とても紳士…)

そしてエンディングは斉藤和義さんが登場
おなじみのヒットソングのあとは、
スチャダラパーのBoseさんを加え
原発事故応援特別バージョンでエンディング。
アンコール曲はもちろん「道を歩こう」で会場は盛り上がりました。

斉藤和義さんは栃木県のご出身で
今回の大地震の支援活動をなさっているそうです。
会場内では義援金の募金活動も行われていました。
がんばれ富岡町!がんばれ福島県!がんばれ東北!がんばれ日本!





猪苗代湖ズ 本日夕方NHK出演!!

2011-04-17 09:02:08 | アクアタイムズ・ソウルセット・猪苗代湖ズ
2009年は中通り、2010年は会津にて、
民報新聞社主催の「風とロック 207万人の天才」か開催されました。

その際、福島出身のミュージシャン達が
「ILove 福島」という曲を作りました。
川内村生まれ、富岡町育ちの渡辺俊美さんも参加していました。

昨年度、会津で開催された時、
クリエイティブディレクター箭内道彦さん、
サンボマスターの山口さん、
バックホーンの松田さん、
Tokyo No1 Soul Setの渡辺俊美さんの4人で、
「猪苗代湖ズ」を結成。

本日夕方6時頃より、NHKの「ミュージック・ジャパン」に出演します。
是非見て下さい!お願いします!

この曲を作った時はこんなことになるなんて思っていなかったと思います。
東日本大震災・原発事故で被災している方をはじめ、
風評被害で苦しむ福島県民皆さんの応援歌になるなんて…

音楽サイトで「猪苗代ズ」を検索すると、
鶴瓶さん・西田敏行さんら47人がリレーで歌う
「I love you & I need you ふくしま」の曲が
ダウンロードできますが、それらの収益金が
すべて福島県に寄付される予定だそうです。


「風とロック 207万人の天才」「猪苗代ズ」
音楽で福島を元気にする彼らを! 福島を!
応援して下さい。

2日前からやっと…

2011-04-16 21:46:23 | 震災日記
4月14日(木)よりやっと、
福島第一原子力発電所より10㎞圏内の地域の
行方不明者捜索が開始されました…

3月11日(金)、大地震発生のあの日から1ヶ月、
14日(木)のニュースでは、
浪江町の請戸付近を捜索している様子が放映。
防護服に身を包んだ福島県警の皆さんが300人体制で手作業の捜索。
この日は約10名の方の遺体が発見されたとのこと。

「岩手・宮城では道路やガレキの撤去が始まっているのに、
ここだけは、時間が止まっているようだ…」
取材レポーターの方が言っていた言葉が印象的でした。

9日(土)のニュースでは、
富岡町のJR富岡駅付近が放映されたとも聞きます。
今頃、富岡町の桜は満開を迎えているのでしょうね…

3月12日(土)徒歩で川内村へ

2011-04-15 22:21:35 | 地震・津波・原発事故・避難
12日夜、再避難をした翌日の13日(日)は、
避難所となった川内小学校で
いろいろな方とお話することができました。

あるご家族は、一度は車で川内村へ避難を試みたものの、
渋滞がひどくてガソリンがもたないと自宅へ引き返し、
近所の方達と共に徒歩で川内村へ避難してきたとの事でした。
重い荷物を背負い、五枚沢地区まで3時間半歩いたそうです。
車より速かったと言っていました。
途中、知り合いの方が乗用車で迎えに来てくれたとか。

そのご家族の長男と、我が家の長男・従兄弟は同級生で、
13日と14日の2日間、一緒に仲良く寝ていました。
友達と一緒にいると安心するのかな…
友達って   いいなぁ…

3月12日(土)夜の再避難

2011-04-14 22:11:41 | 地震・津波・原発事故・避難
夕食をとり、もう就寝しようかと思っていた矢先、
午後8時頃に村の防災無線より放送がありました。

「川内村の8区は、20㎞圏内の為、避難して下さい」との事。
消防団の皆さんが家を訪ねてこられて、
「避難して頂かないと困ります。」という。
「川内村の避難所はいっぱいで入れないと聞いたが…」
「大丈夫です。避難して下さい」とのこと。

車に積めるだけの布団・座布団・毛布・食料などを積み、
川内小学校へ移動。午後10時に到着。
ガソリンは一目盛りになってしまいました。
私たち5家族12人が一番最後の避難者だったよう…
受付で氏名・年齢を記入し、
40才以下の人にはヨウ素剤が配布されました。

昇降口近くの廊下へ布団を敷き、腰を下ろして
防寒着を着たまま、毛布一枚にくるまって眠りにつきましたが、
地鳴りがする大きめの余震が断続的に続き、
熟睡できないまま朝を迎えました。