崖っぷちに咲く白百合は、ギリギリまで追いつめられ、為すすべなく海に飛び込んでしまった数えきれないほど多くの犠牲者を悼むために毎年咲くのだと思います。
美しい風景なので写真撮ったのですが、戦争経験者の方にやんわり止められました。
気持ちはわかる気がします。むやみに写真撮りまくる行為は、不敬に見えたのでしょう。
戦争を知らない世代の浅はかさです。
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←平和の礎(いしじ)と読みます。
後ろに見える石碑には戦争で亡くなった方のお名前が都道府県・国名毎にびっしり書かれています。
今でもその名前は加筆されているのだそうです。
同行者が思い当たるふしのある人の名を探していました。
外国の名はアメリカ人が多いのかな。ただなぜか韓国人の碑は別の場所にあり立派な慰霊塔も建てられていました。石碑群は波形を表すウエーブ型で設置されていました。
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リゾートホテルとよく間違えられるそうですが、あくまでも慰霊の施設なのです。
中をじっくり見学する時間はザンネンムネンにもあまりなかったのが悔やまれます。
帰りの飛行機の時間が近づいていたのです。
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お天気に恵まれた旅行でしたが、帰る頃になってなぜか急に曇ってきました。
悲しい歴史を印象づけるように。
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那覇空港に荷物を置いて、那覇空港駅⇔県庁前駅をゆいレール(モノレール)搭乗体験もしました。↑が沖縄県庁。なかなか近代的です。
那覇空港です。↑アッとゆー間に帰りの時間となりました。また晴れてきました。
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とゆーことで、那覇空港でお土産まとめ買いした後、無事帰りの飛行機に。
ただ帰りの乗り継ぎ飛行機 東京⇒新千歳間ではオッソロシーことになるのでした。
東北~道内大荒れで、大吹雪だったのです。
機内は大揺れで、天井まで浮きました。(ちょっと大げさですw)
シートベルト常時装着状態で、酔ってアゲた人もいたのではと思います。
実際、機内でおにぎりといなり寿司食べたのを後悔するハメになりました。
胃の中でチャンポンしてアゲそーになりました。
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が・・・しかしなんとか
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は無事着陸を果たし、季節大外れの雪風吹き荒れる北の大地に生還したのでした。
生きている内にもう一度沖縄行きたいです。アナタと・・・。な~んてね。
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