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ひきこもりの40代男性が、父の介護を担うまで回復した道のり。必要なのは「正論」でなく「傾聴」

2021-10-28 15:30:00 | 日記

下記の記事は婦人公論.jからの借用(コピー)です。

ひきこもり状態にある40〜64歳の中高年は全国で60万人以上いると推計され、「80」代の親が「50」代の子どもの生活を支える「8050問題」という言葉もよく聞くようになりました。一方、ひきこもった本人やその家族と接してきた精神科医の最上悠先生によれば、年を取れば取るほど克服するチャンスが失われて深刻化する可能性があると言います。またその原因はさまざまでも「背景」には共通する点があるそうで――。
「原因」はそれぞれでも「背景」には共通する点が
ひきこもり自体は医学的に正式な病名ではなく、状態を指す言葉であり、社会的ひきこもりとも呼ばれます。しかし、さまざまな精神疾患が関係していることも少なくないうえ、そもそもひきこもり自体は決して健康的なことではなく、私自身は精神疾患の生まれる背景と共通する部分も多いと思っています。
では、子どもはどんなことが原因で自立に向かうことから目を背ける(心理的ひきこもり)ようになり、ときには社会的ひきこもりにまで至るのでしょうか。
ひきこもりのきっかけや原因は人それぞれで多様なのですが、背景には共通する点もあるように思います。
それについて述べるのは、精神科医である私としては非常に勇気が要るのですが、日頃診療に当たってきた患者さんたちのケースを見ると、ひきこもりや問題行動など、子どもの心の行き詰まりの背景には、深刻なケースやこじらせているケースほど、親との確執や葛藤を抱えていることが少なくないという印象を抱かざるを得ません。
病名はさまざまであっても、長くひきこもり生活などに苦しむ患者さんたちに、初診時に私が、「心の行き詰まりは、本音の感情を押し殺し続けた結果生じてくる現象とも考えられています。あなたも小さい頃からこれまでずっと、自分の心を殺して我慢してきたのではないでしょうか?」と聞くと、ほぼ大半のかたがいきなり目を真っ赤にし、なかには涙が止まらないかたもいるほどです。
感情を押し殺してきた対象の大半は「親」
では、誰に対して感情を押し殺してきたのでしょうか? その大半は、もちろん親に対してです。
でも多くの親は、「こんなに好き勝手なことを言い、やっているのに、この子のどこが我慢しているのか?」と言います。実は、親が未だに気づいていない、信じられないとさえ思っている、この行き違いの原因こそが、問題の核心なのです。
問題の核心は「親子の行き違い」
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ここで誤解していただきたくないのですが、私は親にすべての原因があると言うつもりはありません。そう決めつけるのは大きな誤りだとさえ思っています。
どこにかわいい我が子をひきこもりや病気にしようと思って育てる親がいるでしょうか。どんな親も我が子には立派な人間になってほしいと願って一生懸命に育てたはずだと私は信じたいと思っています。
それでうまくいったケースも世の中には数え切れないほど存在しているのも事実でしょう。ただ、なかにはそのやり方では、心に行き詰まりを抱えてしまう繊細な子どもがいることも事実なのです。そのような心の行き詰まりを抱えた子どもや家族と接して感じるのが、多くの場合、子どもは親が思うよりはるかに繊細な感受性を持っているということです。
一方、立ち直ったすべてのケースで、ターニングポイントになっているのは、親による子どもへの「傾聴と共感」です。
「傾聴」とは、我が子の話を真剣に聴くこと。「共感」とは、話を受け止め、我が子の心の奥底にあるつらさや悲しさといった感情を理解し同じ気持ちになろうと努めることです。親がただひたすら子どもの話に耳を傾けるだけで子どもは大きく変わります。
著者が新刊で紹介した傾聴・共感の方法は「家族療法」と呼ばれる治療法の一環として行われたものです。ケースによっては心の悩みに苦しむ成人の子ども本人ではなく、親だけに指導されることで、たとえ精神疾患であっても、そして診察に一度も来ないお子さんまでもが回復することもまれではありません。 
ここで「傾聴と共感」の一例として、親が我が子への考え方を見つめ直し、接し方を変えたことで、子どもが心の行き詰まりから立ち直った例をご紹介しましょう。
行き詰まり具合としてはかなり重い部類に入りますが、こんな厳しい状況からでも子どもは立ち直れるのだということを示す好例だと思います。
「父親の重圧から解放されて立ち直ったSさん」の例
【子ども】
男性Sさん:40代前半。ひきこもり、複数回にわたって自殺未遂を起こす

【両親】
父親:70代後半。母親:70代前半

※子どもと親の年齢は、「家族療法」開始時点のものです。
* * *
Sさんは、二人姉弟の長男で、父親はある地方都市で自ら創業した会社を経営していました。父親は会社だけでなく、家庭の中でも絶対的な存在で、Sさんの母親も夫には絶対に逆らいません。
父親がSさんに望んだのは、他人様に自慢できる立派な大学を出て、自分の跡を継がせること。幼い頃から帝王学を学ばされたSさんは、父親に反論したり、自分の意見を言ったりすることなど想像もできませんでした。
大学はなんとか自分の志望する東京の学校に進んだSさん。そして、大学4年になり、本当は就きたい仕事があったものの、それを父親に切り出すことができないまま、父親の経営する会社に入社します。
Sさんは、入社してからの1年はなんとか仕事をこなしていました。ですが、同僚や取引先など、周囲の人々とのコミュニケーションがうまくいかず、入社2年目には会社を休みがちになり、自室にひきこもるようになりました。

「お前にいくらかけたと思っているんだ!」
そんなSさんに、父親は、「お前にいくら金をかけたと思っているんだ!」「**家の跡取りがそんなだらしないことでどうする!」と激しい言葉を浴びせます。母親も、見て見ぬふりをして、救いの手を差し伸べようとはしませんでした。
追い詰められたSさんは自殺未遂を図ります。幸い命に別状はなく、一度はすすめられて精神科を受診しましたが、担当医からは「あなたは病気ではないから」とあまり有用なアドバイスも得られなかったために、長続きしません。それを何度か繰り返すうちに、Sさんは40歳を過ぎていました。
そんな状況に我慢できなくなったのか、このときすでに80歳近くなっていた父親はある日、Sさんにこんな厳しい言葉をぶつけました。
「もう、お前なんか必要ない!」
この言葉に打ちのめされたSさんは再び自殺を図りました。今回もなんとか一命をとりとめましたがSさんの度重なる自殺未遂は一家に大きな衝撃を与え、ついに母親の目を覚まさせました。
「ひきこもりのまま、後の半生を過ごさせるのはあまりにも不憫だ」
そう考えた母親は、家族全員でSさんの治療に臨むことを決意したのです。
ひたすら話に耳を傾ける
家族療法による治療は、Sさん自身ではなく、母親と姉が、ある家族会(家族だけが集まる形式)に参加し、セラピストのアドバイスを受けるところからスタートしました。
『8050 親の「傾聴」が子どもを救う』(著:最上悠/マキノ出版)
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Sさんが何度も自殺を図ったのはなぜでしょうか?
「誰も僕の本当の気持ちや苦しみをわかってくれようとはしない。僕が死ねば、少しは僕の死後に何かをわかってくれるかもしれない」
これは後になって、Sさん本人が話したことです。
Sさんは、この年になるまで、自分の本心を両親に打ち明けたことがありませんでした。正確には、幼少期にそれが叶わないと諦めてしまったと言えます。言いたいことは心の底にため込まれてきて、その処理ができなかった苦悩の蓄積が、究極的には自殺未遂という極端な形になって表れたのです。
セラピストは母親と姉に、「とにもかくにも、まずはSさんの言いたいことや気持ちのすべてに、丁寧に耳を傾けて聴いていただけませんか?」と提案しました。大切なSさんを失いかけた母親と姉は、「Sの話すことは、何でも聴くようにします」と答えました。助言されたことを忠実に実践すべく、二人はSさんの話に耳を傾けることを開始し、続けました。
母親にすれば、それまでそんなことをしたことがなかったので、どうしてよいか戸惑い、ときには苦痛も伴ったはずです。でも子どもは、親が自分の話に耳を傾けてくれることで親の「愛情」を感じるのです。 
一方、父親は当初、セラピーに加わるのを大の男のやることではないと嫌がっていました。しかし、妻から家族療法やSさんへの接し方に関するアドバイスを聞くうちに、頑なだった態度が少しずつ変化していったのでした。
以前はSさんの言うことに全く耳を貸そうとしなかったのが、息子を死なせかけたことがよほど心に響いたのか、妻や娘と同じように、Sさんの話に耳を傾けるようになっていったのです。
父親の一言が転機に
母親と姉が家族療法を学び始めてから1年後、Sさん自身に大きな変化が表れていました。両親が自分のことを理解しようと努力しているのがわかったことで、少しずつですが、両親に対して口を開くことが増えていったのです。
少しずつ心を開いていったSさん(写真提供:写真AC)
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両親も、子どもが少しずつ心を自分たちに開いてくれていることが実感できるのでうれしくなり、さらにSさんの話に耳を傾けるようになりました。そして、Sさん自身にもなんとかしたいという前向きな気持ちが育まれ、自ら希望してカウンセリングに通うようになりました。
転機となったのは、父親がSさんにかけたこんな言葉でした。
「会社は姉さんに継がせる。もうお前は好きにしていい」
その言葉で、Sさんは長年の胸のつかえが取れたそうです。それからはまるで別の家族のように互いに満たされた時間が経過していきました。
しかし数年後、父親は認知症を発症していることがわかり、自宅で療養することになりました。このときなんとSさんは、父親の身の回りの世話を買って出ます。食事の世話や入浴、そしてオムツの交換までしたそうです。
ある日、お風呂でSさんが父親の背中を洗っているとき、父親が涙を流して感謝している姿を見て、Sさんは「親父がしたことのすべてを許そう」と心の底から思えたのだそうです。
数年後、父親は亡くなりました。そのとき、Sさんはこう言いました。
「僕も親不孝をしたけど、親父がわかってくれて、最後に親父の面倒を見ることができて、本当によかったと思います」
父親が亡くなった後、Sさんは家業である会社の仕事を少しずつ手伝うようになりました。その後、母親も80歳を過ぎて認知症になってしまったものの、Sさんは家で仕事をする傍ら、母親の面倒を見ながら二人で仲よく暮らしています。
「親の正論」は一発逆転どころか四面楚歌を招く
ひきこもった子どもが未成年や20歳そこそこであれば、親子の問題の所在もわかりやすいことが多く、常識的にも親が子への関わりを受け入れやすく、親もまだ若いので子の問題に向き合うエネルギーもあります。
しかし、子どもの苦悩やひきこもりが長引いて自立できないまま中年を迎えると、親は我が子を支えることに疲れ果て、「もうどうすることもできない」「成人しているのだから、この子は自分の力で立ち上がるしかない」「親の努めは、もう終わっているのだから……」とあきらめてしまいがちです。
ときに親が自分の不安解消にしか目がいかず、一発逆転を狙った言動の典型が「お前なんていらない」とか「家を出ていけ」といきなり罵倒するパターンです。
親としては正論を吐くことで「愛のムチ」を振るってやった、などと自身の責めを負うことから目を背けることができても、言われた子どもは、中年になって追い出されるとなると、四面楚歌の状況に一気に追い込まれます。
その際、衝動が内側に向けばSさんのように自傷行為に及びますし、「親のお前のせいでこうなったのに」と恨みが外に向けばときに他害となります。「ひきこもりの中年息子が、自立を促した老親を金属バットで傷害を与えた」と、警察沙汰になり報道される事件の背景にはこのような経緯が多々あります。
それでも、Sさんのように親が自分のことをわかってくれたというだけで、子どもは大きな苦しみから抜け出すきっかけがつかめ、長く苦しんだぶんだけ、かえって親に対して深い感謝の気持ちが生まれることさえ珍しくはないのです。
とりわけ親のことでこれほどにとらわれて苦しむ子どもというのは、本当は親が大好きでたまらず、大好きな親に認めてほしいという気持ちが人一倍強く潜在しているから、このように苦しむのだと理解してあげたいものです。
※本稿は、『8050「親の傾聴」が子どもを救う』(マキノ出版)の一部を再編集したものです。 



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