下記の記事はプレジデントオンラインからの借用(コピー)です。
ノンフィクション作家の佐々涼子さんは『エンド・オブ・ライフ』(集英社インターナショナル)で身近な友人や家族の終末期を描いた。その中では200人以上を看取った訪問看護師でも死を怖がる様子が綴られている。一体どんな死に方が「理想的」といえるのだろうか。佐々さんと鳥取大学医学部附属病院の原田省病院長の対談をお届けする――。
※本稿は、鳥取大学医学部附属病院広報誌『カニジル 8杯目』の一部を再編集したものです。
読了して「日本も豊かになったな」と思った
撮影=中村治
鳥取大学医学部附属病院の原田省病院長(左)とノンフィクション作家の佐々涼子氏(右)
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【原田省(鳥取大学医学部附属病院長)】もしかして、他の方々と少々違った感想かもしれません。佐々さんの『エンド・オブ・ライフ』(集英社インターナショナル)を読み終わったとき、最初に思ったのは、日本も豊かになったなということでした。
【佐々涼子(ノンフィクション作家)】(首を傾げて)豊か、ですか?
【原田】ぼくが医者になった頃、年齢、症状に関係なく、患者の容体が危なくなってきたら、とにかく救命措置を執るというのが常識でした。90年代にベストセラーになった『病院で死ぬということ』(文藝春秋)という本があります。
そこでは若手医師が亡くなった老人に強心剤を入れて、顔つきが変わってしまうほど強引に心臓マッサージをするという話がありました。亡くなることが明白であっても、延命処置を繰り返すのは当たり前でした。
そして、医師はそれに疑問も持たなかった。一方、『エンド・オブ・ライフ』に出て来る訪問看護師、医師たちは患者の死を前にして患者一人ひとりの希望や気持ちに寄り添っている。隔世の感があります。
【佐々】(微笑んで)なるほど、そういう意味ですか。
【原田】この本の取材を始めるきっかけを伺ってもいいですか。
【佐々】当時、私は『エンジェルフライト 国際霊柩送還士』(集英社)という本で『開高健ノンフィクション賞』を受賞した、駆けだしのノンフィクションライターでした。
在宅治療する末期がん女性の“最後の希望”
鳥取大学医学部附属病院広報誌『カニジル 8杯目』
【原田】エンジェルフライト、読みました。面白かったです。海外で客死した人たちの遺体を運ぶ仕事を描いた作品ですね。
【佐々】ありがとうございます。その頃、ある編集者から在宅医療の医師について取材をしないかと声を掛けられたんです。
京都に彼の担当する作家がいて、原稿を取りに行くと、いつもお茶を飲みながら、世間話をしている医師がいると。志のある、すごい先生だからちょっと会ってみたらと言われたんです。
【原田】それが渡辺西賀茂診療所の医院長、渡辺康介さんだった。冒頭で、渡辺さんのスタッフが在宅治療している末期がんの女性の“最後の希望”を叶える話が出てきます。
【佐々】はい、彼女は家族と潮干狩りするという約束をしていたんです。
【原田】潮干狩りに渡辺西賀茂診療所の訪問看護師たちがボランティアとして同行する。医師や訪問看護師が患者さんの気持ちを分かって、その最期を大事にしてあげたいと考えている。
そこまでスキルフル(技能のある)人が、どれだけいるだろう、京都という街だから出来ているのかと思いました。
“病気を診ずして、人を診よ”
【佐々】ええ、京都は進んでいると思います。
“緩和ケア”一つとっても地域差がありますよね。私自身、この取材を始めるまで、身体の痛みや不快感を緩和する、“緩和ケア”についてほとんど知りませんでした。患者さんの痛みって、数値化できない。
(薬物投与で)痛みを止めるかというのは、医者のさじ加減みたいなところがあります。本当に痛みをとってくれる先生に当たれば、最期までいい状態で過ごすことができる。
【原田】緩和ケアは本当に難しい。とりだい病院でも強化しなければならないと思っているんです。緩和ケア、終末期医療を考えると、“病気を診ずして、(病)人を診よ”という言葉が浮かんできます。
特に大学病院では高度医療に集中しがち。病気を治すことに注力して、人を診るという境地まで到達するのは難しい。人を診るには、患者の日常生活まで見通さなければならない。医師だけでは無理です。そこで、とりだい病院では訪問看護をやっています。
【佐々】大学病院では全国的にも珍しいのではないですか?
【原田】ええ。看護師たちが、ご自宅を訪れると発見もあるんです。例えば、トイレが洋式でなかったりする。用を足すときに足腰に負担が掛かりますよね。そうした要因も考慮しなければならない。
ぼくたち、医師はどうしても自分と同じような生活をしているという思い込みで患者さんを診る傾向がある。でも患者さんにはそれぞれの生活があるんです。
どんな人も直線的に死を受容できない
撮影=中村治
ノンフィクション作家の佐々涼子氏
【佐々】そもそも私が在宅医療に興味を持ったのは、当時、私の母が在宅で療養していたことでした。
父が付ききりで看病していたんですが、終末期の患者は家で過ごすのがいい、家で死にたい人がたくさんいるという論調の記事を見かけました。でも、そんなに単純なものではないですよね。
【原田】そんなとき佐々さんが出会ったのが『エンド・オブ・ライフ』の主人公、森山文則さん。森山さんは先ほど触れた渡辺西賀茂診療所の訪問看護師でした。彼にがんが発見され、その経過を“縦糸”、在宅医療、特に終末期医療の家族たちの姿が“横糸”として本は進んで行きます。
中では、エリザベス・キューブラー・ロスの「受容の五段階」に触れています。死が近づくと、たいていの人はまず“否認”する。次に“怒り”“取引”の感情が起こり、“抑鬱”そして“受容”の五段階を辿る。まさに森山さんはこの五段階を辿ることになりました。
【佐々】森山さんは何百人もの人を看取ってきた経験のある看護師です。自分が終末期に近いことは分かっていました。死を受け入れるのかと思ったら、そうではなかった。
『モーリー先生との火曜日』(NHK出版)という本があります。死にゆく恩師が人生を再考するという内容でした。しかし、そんな風に直線的に死を受容するという風には行きませんでした。
【原田】(深く頷いて)まずならないです。死だけでなく、がん、あるいは難病の宣告を受けても、最初はみんな信じない。それが普通の人間の反応です。
【佐々】森山さんから話したいことがあるって、呼ばれたんです。自分の病状について体系だった話をしてくれるんじゃないかと思って、京都まで行きました。
でも、彼は大したことは言ってくれない。家族が患者さんに会いに行っても、何も話をせずに帰ってくるみたいなことがある。そういう間合いに似ていたのかもしれません。
改まって、自分の死期が近いということを言いたくない。口に出してしまうと本当になってしまうという恐れがあったのかもしれない。
在宅医療を7年かけて取材し1冊の本に結実
【原田】彼が佐々さんを呼んだのは、自分の経験を残したかったからだと思うんです。佐々さんに何かを託したかったでしょう。でも、彼ほどの経験のある医療人であっても、死と向き合うのは怖い。だから理屈に合わない行動に出てしまう。
【佐々】(自分の)本を書いてくれって言うんだけれど、行ってみると何も話さない。理屈じゃないんです。
【原田】横浜在住の佐々さんにとって、京都までの往復交通費も馬鹿にならない。無駄足を踏むことは、時間的、金銭的な負担となったはずです。それでも取材を続けた。
【佐々】私が来ることで、彼はいいところ見せなきゃいけない、って気持ちに張りが出ますよね。そういう効果もあるでしょうから、もう一緒にいるだけでいいや、本にならなくてもいいやって思った時期もあります。
森山さんの気持ちも揺れているんですが、(取材者である)私の気持ちも揺れていました。
【原田】通常の取材では、質疑応答というか、質問があって答えがある。森山さんだけでなく、死を目の前にした人に対しては、言葉を選ばなければならない。余計な口を挟むことはできない。
【佐々】だから、私はずっと聞いてました。森山さん、そして(終末期の)患者さん、家族の話をただ聞いていたんです。それですごい量の(取材)テープが溜まっていくわけです。
『エンド・オブ・ライフ』はそれをピックアップして、分かりやすいようにまとめた。ただ、書いているとき、これが商業出版として成り立つんだろうかと思っていました。でき上がったとしても、読者にとっては相当きつい内容になるだろうと。
【原田】取材開始から書き上げるまでどれぐらいの時間が掛かりましたか?
【佐々】在宅医療について書こうとして取材を始めてからは、7年間。まるで(地中に長く潜っている)蝉のようですね(笑)。その前の作品は、だいたい半年程度。
自分は早く書ける人間だと思っていたんです。ところが取材しているうちに、これもう書けないと思った。放っておいたんです。そうしたら、森山さんががんになってから再び動き出した。
【原田】そして彼が亡くなるまで追いかけ1冊の本に結実した。やはり託されたんでしょうね。
産婦人科を選んだのは病棟が一番明るかったから
撮影=中村治
鳥取大学医学部附属病院の原田省病院長
【原田】現代の日本人って、死についてあまり語らないし、子どもたちにも教えようとしない。
昔は、おじいちゃん、おばあちゃんがだんだんご飯食べられなくなって、やがて寝たきりになって、亡くなる。人間は必ず死ぬ。本来は身近にあるもの。核家族化によって、死から目を背けがちになっている。
【佐々】医師という仕事は、死と向き合う仕事でもありますよね。
【原田】ぼくが産婦人科医を選んだのは、産婦人科の病棟が一番明るかったからです。
不幸なお子さんもいるんですが、ほとんどのお母さんはみんな若くて、周囲の家族も子どもが生まれて希望にあふれている。ただ、隣りの婦人科では、子宮がんなどで悩んでいる患者さんがいる。
【佐々】その意味で産婦人科は明暗のコントラストがくっきりとしている。
【原田】とはいえ、ぼくが死に慣れているかというとそうでもない。先日、ぼくは兄弟のように思っていた親友を亡くしました。
彼は亡くなる前、大阪からわざわざ米子まで来てくれたんです。長くないことが分かっていたんでしょう。ぼくは彼の肩を抱いて「また会おうや」としか言えなかった。
ただ話を聞いて筋トレするしかない
【佐々】原田さんは医師ですから、彼の病状が冷静に分かってしまう。
【原田】ええ。彼が別れを言いに来てくれたことは分かりました。つらかったです。でも何もできない……。佐々さんは『エンド・オブ・ライフ』の扉ページで、〈これは、私の友人、森山文則さんの物語〉と書いています。
森山さんは単なる取材対象者ではなく、友人になっていた。彼のことを、患者さんから人がいいのを見透かされて、無理難題をふっかけられるような〈根っからの優しい人〉と書いています。
その友人にインタビューするのはきつかったのではないですか。インタビューするということはその人間の毒を飲み込むことだと表現する人もいます。佐々さんはその毒とどう対峙したんでしょうか?
【佐々】さっきも言ったように、もうただ聞くしかないんです。そして頭を空っぽにするために筋トレに励みました。そうすると、どんどん重い80キロ、90キロのバーベルが上がっていくんです。
【原田】それは凄い。それだけ精神的に負荷が掛かっていた。
【佐々】とにかく自分の身体を健康に保つための努力をしていましたね。筋トレを続けていると、脳みそから余計なものがそぎ落とされていくというか、自分がシンプルになっていくような気がしました。
【原田】身体がくたくたになれば、余計なことを考えない。人は必ず死ぬ、そして同じ“死”はない
【佐々】ストレス発散として、泣くために悲しい音楽や悲しいドラマを観るっていう人がいますよね。
でも、私はわざわざ落ち込むためにそうした音楽やドラマを観る気にはなれませんでした。そもそも悲しいドラマよりも、自分の目の前にある現実の方が上回っているんです。そして、その重みを抱えることなんてできません。
「Yahoo!ニュース/本屋大賞 2020年 ノンフィクション本大賞」受賞作。「看取りのプロフェッショナル」である訪問看護師の友人が癌に罹患。彼の最後の日々を主軸に、著者の母を自宅で看取った経験など終末期医療の現場に寄り添い続け、まとめられたノンフィクション。様々な死の迎え方について、深く考えさせられる一冊。
【原田】医師も同じです。患者さんの苦悩を全部抱えていたら、やってられないです。ドライじゃないと、毎日現場をこなせない。
【佐々】若い頃だったら意地悪な言葉を言われたり、誰かに嫌われたりすると、何が悪かったんだろうって悩むじゃないですか。でもどうにもならないことがある。
現実はそうなんだと、右から左に流すしかない。ただ、聞くしかなかった。そうした意味では、私の取材はカウンセラーの仕事に似ていたかもしれません。
【原田】当たり前のことですが、人は必ず死にます。しかし、同じ“死”はない。最期は、自分らしく死にたい。
自分らしく人生に幕を下ろせば、本人もご家族も幸せ。その意味で、佐々さんに最期を伴走してもらった森山さんは幸せだったんだろうなと思いました。
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佐々 涼子(ささ・りょうこ)
ノンフィクション作家
1968年生まれ。神奈川県出身。早稲田大学法学部卒業。2012年『エンジェルフライト 国際霊柩送還士』(集英社)で第10回集英社・開高健ノンフィクション賞を受賞。著書に『駆け込み寺の男』、『紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている 再生・日本製紙石巻工場』(ともに早川書房)など。
原田 省(はらだ・たすく)
鳥取大学医学部附属病院長
1958年兵庫県出身。鳥取大学医学部卒業、同学部産科婦人科学教室入局。英国リーズ大学、大阪大学医学部第三内科留学。2008年産科婦人科教授。2012年副病院長。2017年鳥取大学副学長および医学部附属病院長に就任。患者さんと共につくるトップブランド病院を目指し、未来につながる医学の発展と医療人の育成に努めながら、患者さん、職員、そして地域に愛される病院づくりに積極的に取り組んでいる。好きな言葉は“置かれた場所で咲きなさい”。
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