下記の記事は婦人公論.jpからの借用(コピー)です
「卒婚」ーー夫や子どもの世話に明け暮れる生活をリセット、環境も少し変えて、離婚はせずに生きることを楽しもうという夫婦の新しい形態。しかし、卒婚したくてもできない理由のひとつに、経済的な問題があるのではないだろうか。卒婚を実行した人たちに、気になるお金のことをたずねてみたら──(取材・文=上田恵子)
「もう死んでくれよ」という夫の一言で
兵庫県に暮らすカオルさん(57歳)は、長期計画で卒婚に臨んだという。夫(62歳)の浮気が発覚したのは、まだ子どもが小学生だった頃。家事と育児に追われるカオルさんの目を盗み、ママ友との不倫に励んでいた。
「問い詰めると大声を上げて逆ギレ。包丁を持ち出して暴れるなど、息子の見ている前で大騒ぎになりました。後日、私から離婚を切り出したところ、夫は『今後は改めるから』と平謝り。その時はその言葉を信じて、やり直すことにしたのです」
夫に寄り添う努力をしたカオルさんだが、浮気癖は直らなかった。
「念書まで書いてもらったのですがムダでした。それ以降も浮気がバレるたびにキレる、謝るの繰り返しで」
そんな夫と結婚生活を続けた理由は、経済的な事情もあったが、それ以上にパートナーとしての相性が良かったから、とカオルさんは言う。
「夫と私には登山という共通の趣味がありました。しかもお互い大の宝塚ファン。浮気さえしなければ一緒にいて本当に楽しい相手なんです」
2人の間に決定的な亀裂が入ったのは6年前。またもや別の女性に走り、それを責めるカオルさんに夫が放った「お前、もう死んでくれよ」という一言がきっかけだった。
「死んでくれという言葉で私の存在意義を丸ごと否定された瞬間、張りつめていた糸が切れてしまいました」
その時カオルさんは51歳。一人息子は、すでに就職して家を出ていた。
「離婚や別居について調べ始めたのはそれからです。夫が60歳を迎えて定年退職する年をゴールに設定し、法律の無料相談に通うなど水面下で準備を開始。息子も好きにするといいよと背中を押してくれました」
先回りして市役所に離婚不受理届を提出
その結果、カオルさんは離婚ではなく卒婚を選んだ。そこにはカオルさんなりの考えがあった。
「長年苦しめられた夫に“おしおき”することに意味があるので、離婚は避けたい。それに、離婚をするとすべての財産を夫と妻で半分に分けることになりますが、手続きに労力を使うことすらイヤ。保険をはじめとする書類の名義変更も同様です。夫名義の自宅とはいえ、半分に分けるというのも私には納得がいかない。それを踏まえた結果、別居という形での卒婚が私にとってベストだったのです」
ところで、専業主婦だというカオルさんは、どうやって卒婚後の生活費を準備したのだろう?
「亡くなった両親が不動産を遺してくれて、その家賃収入が月に15万~16万円ほどある。贅沢をしなければなんとかやっていけます」
だからこそ、ここまで強気に出られたということか。そんなカオルさんが最終的に立てたプランは、次のようなものだった。(1)離婚はしない。(2)自宅の名義は夫のまま。ただし夫には家を出てもらう。(3)夫の退職金は夫婦で折半する。(4)自宅の固定資産税、夫の保険料等の費用は、すべて妻が支払う。
「夫は浪費家。遊ぶ金欲しさに無心をされても、これなら『税金も保険も私が払っているのに』と拒否できますから。また勝手に離婚届を出されないよう、先回りして市役所に離婚不受理届も提出しておきました」
まさにパーフェクトな卒婚支度である。そしてそうこうするうちに夫が定年退職する時がやってきた。
「私は精神的限界を訴え、夫に家を出るよう要求しました。最初は拒否されるも、私の決意が固いと知ると態度は徐々に軟化。ついに『部屋を探すよ』と折れてくれたのです」
カオルさんは夫の退職金1400万円のうち、半分の700万円を受け取り、4つのプランをすべて了承させた。夫は700万円を手に引っ越して行ったそう。
「引っ越し先は彼の地元の福岡県。老後に頼られたら面倒なので『地元なら友達もいていいんじゃない?』とすすめました(笑)。今は向こうで楽しくやっているようですよ」
気分一新、一人暮らしを満喫しているカオルさん。卒婚して夫婦ともに心穏やかに暮らす。これも一つの幸せの形なのかもしれない。
親の介護で実家暮らしに
「親の介護が卒婚のきっかけになりました」と言うのは、長野県在住の万里子さん(66歳)。内装業を営む夫(70歳)とは、仕事を手伝っていた関係で、朝から晩まで顔を合わせながら生活してきた。
「夫は、家の中では縦のものを横にもしない人でした。仕事を終えて2人で帰宅すると、家事や子どもの世話はすべて私一人の負担に。しかも、仕事場を離れても関係性は“雇い主と従業員”。常に上からものを言われ、息が詰まる毎日を送ってきました」
そんななか、5年前に隣県に住む万里子さんの母親が骨折して寝たきりに。母親は一人暮らしだったので、介護のため一人娘の万里子さんが実家へ通うようになった。
「最初は日帰りだったものの、だんだんと帰るのが億劫になってきて。実家に1泊、2泊とするうち、自宅に戻るのは週に1回程度になってしまいました。娘たちも嫁いで家を離れていたので、ますます帰りたくなかったんです。ちょうどその頃、ワイドショーで卒婚という言葉を耳にして、いい響きだなあと。そこで私も夫に『結婚を卒業して自由に生きたい』と申し出ました」
夫は当初「ばかばかしい」と取りあわなかったが、万里子さんが「離婚じゃないから籍はそのまま。面倒な手続きもない。ご近所には、引き続き親の介護で実家に帰っていると言えばいいから」と説得すると、しぶしぶながら承諾してくれたという。
卒婚を機に人間的に丸くなった夫
その後、自身の身の回りのものを運び出し、実家で暮らすようになった万里子さん。母親は1年前に亡くなったが、それでも夫のもとには帰っていない。今ではせいぜい月に1回、顔を出すくらいだ。
「1人のほうが気楽というのもありますが、何より卒婚したことで夫が変わったんです。私が訪ねると黙っていてもお茶を淹れてくれるようになり、以前のようにとげとげしい物言いもしなくなりました。問題は食事でしたが、店屋物に飽きてからは、料理本を見ながら自分で作っているようです。ビックリですよ(笑)」
現在、万里子さんは年金と、母が遺した少々の現金、そして自身が貯めた500万円を生活費に充てている。
「実家だから家賃はかかりませんし、贅沢をしなければ十分暮らしていけます。子どもたちの教育費を払い終えて以降、夫からの給料は、いざという時のためにコツコツ貯めてきました。物理的にも精神的にも、それが卒婚に踏み出す原動力になったことは間違いありません」
また、庭で家庭菜園を始めたことで食費も節約できていると言う。「気持ちに余裕があるせいか、夫にも優しくできるようになった」と笑う万里子さん。この調子なら「卒婚を卒業」する日も近いのでは?
「それはありません。離れているからこそ良い関係でいられるので。お互い一人暮らしが難しい状況になったら、それぞれ家を売ったお金で介護施設に入るのが最善の選択だと考えています」と冷静に将来のプランを語る。卒婚からのセカンドライフは、夫には自立を、妻には初めての自由をもたらしたようだ。
卒婚をするうえで注意すべきこととは?
今回2人に取材して感じたのは、一口に「卒婚」といっても解釈は人それぞれであるということ。そして精神的に自由になれたことで、卒婚後のほうがパートナーとの関係が良好になっているという点だ。これは離婚との大きな違いのように思う。
また2人が2人とも「子育てが終わったらもう夫婦でいる必要はないのでは」と考えていた点も興味深かった。その一方で、妻の側に経済力があるか否かが卒婚成功のカギになることは間違いない。いずれは卒婚をと思っているなら、今から対策をしておく必要があるだろう。
最後に、離婚問題に詳しい弁護士の秋田一惠さんに、卒婚にあたっての注意点を聞いた。
「カオルさんや万里子さんのような卒婚スタイルをとるケースは珍しくありません。しかし忘れてはならないのは、あくまでもこれは別居であって、法的には婚姻関係にあるということ。たとえ卒婚状態にあっても、互いに何かあれば扶養する義務があるのです。たとえば医療の現場では家族であることが非常に重視されます。延命治療や手術の同意などは家族でないとできませんし、その後、要介護状態になったときは夫婦である限り介護しなければなりません」
また、別居している間に夫から離婚を切り出されたらどうなるだろう。
「いくら妻が離婚したくないと言っても、別居状態が長く続いていれば、婚姻関係は破綻していると裁判所に判断され、すんなり離婚が認められることが多いです。また、卒婚後に築いた財産は共有財産ではないと考えられる可能性もあります。夫の定年退職後に離婚を決めた卒婚夫婦のケースでは、別居期間中は婚姻関係が破綻していたという理由で、退職金の妻への財産分与額が減らされる場合もあります」
卒婚によって、想定外のトラブルに遭わないためにはどうしたらよいだろうか。
「弁護士に相談して、夫婦間の取り決めを書面化するよう依頼したほうが安心です。別居中の医療や介護をどうするか、財産やお墓のことなどを事前に決めておくのです。もしもあなたが卒婚を考えているならば、まずはこれから生きていくのにどれくらいのお金が必要かを洗い出し、将来的な計画を立てることから始めてはどうでしょうか。卒婚は夫婦のこれからを見直すきっかけになるかもしれません」
上田恵子
うえだ・けいこ
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